空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

ブログのコメント欄を無くすことは臆病者の選択肢ではなくなった

しばらく前から、うちのブログはコメントを承認制にしてあります。最初の頃は忙しくなってきたので、その間にスパムが入り込むとまずいからそうしていたのですが、やや余裕が出来てからも解除しないままにしてあります。それはちょっとコメント欄の存在意義が本当によい方向に働いているのかという疑問が生じてきたので。今日はそんな感じでブログのコメント欄について考えたことを書いてゆきます。

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昔は「ブログのコメント欄は原則あるべきもの」と思っていた

そのサイトの管理人(書き手)が何か書いたものに読み手がコメントを残せる形のものは、ブログ以前からコメント欄や掲示板の設置などで存在していました。そしてブログが普及すると、そのシステムとしてトラックバックと共に自動的についてくるコメント欄は多くの場合はそのまま使用され、読み手も自由にコメントを書き込めるようになっていました。そんな中、コメントを閉じている人も数多く存在しましたが、そういう人は必ずしも肯定的な評価を受ける事はなかったと思われます。すなわち「反論を受け付ける度胸を持たないなんて」とかというような風潮。

そして自分もブログを始めた当初(だいたい2005年頃)、似たような考えを持っていたことは否定しません。さらに、コメント欄を設置することは、荒らされたり反論されるデメリットがあっても、メリットの方が大きいと思っていました。それは読み手の感想がわかるし、自分が知らない情報を受け入れることが出来るので。また、反論にしても自分が間違って居たのをそのまま誰にも言われずに晒し続けるよりは,指摘されて直した方が「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」的によいと思ったからです。ですのでそのブログが一方向の通知を目的としていて、特に交流や意見の収集を目的としていない場合はともかく、個人ブログでそれをしないのは勿体ないと思っていました。故にコメント欄は原則無制限で解放していて、スパムや広告が来た時だけ排除するようにしておきました(そのうちコメント欄にもスパム通報&防御の仕組みが出来たりしたし)。あと、承認制などもありましたが(はてなの場合ははてなIDを持つものの書き込みなど)なんとなくそれでも自分に対する好意的な意見ばかり選んでいるように思われるのもなんだかなあという感じもあったので、そのまま無制限に書き込みOKとしていました。

ただ、それから数年が経ち、そこそこ人が来てくれるブログとなった今、今まであったことも考えて「コメント欄はこのままでいいのか」という思考が浮かぶようになったのです。しかしこれは何も実際に運営してみて、やっぱり自分の書いた事に反論されるのがイヤになったというわけではありません。むしろ、筋が通っている反論は読んでそれに思考を重ねてくれたということで、ありがたいくらいです(まあ人間ですから、その書き方次第で気に障る場合も当然ありますけど)。もちろん肯定的な評価は嬉しいですし、新規の情報は参考になります(最近レスできなくてすみませんが)。むしろコメント全体から見れば、プラスの書き込みの方が圧倒的に多いと言えます。そして、実を言うとたとえ反論ではない、ただの理の通っていない殴り書きであっても、一瞬むかつく程度でさほど気にはならないのですよね。というのはそういうものは反論に値しないものだとおもっているので頭でスルーしてしまいますし。むしろ丁寧な言葉でも、的確な反論をされたほうが自分の間違いがわかるということですからへこみます。つまり、自分に影響があるだけなら、どうせ文字だけですし問題はないのですよ(それがコメントの範囲を逸脱する場合は問題が生じることもありますが、そこまでになったことはないので)。しかし、コメント欄の書き込みというのは、当然自分以外の人の目にも入るものです。そしてそれはその文を書いた人のブログに、その文章と一緒に表示されるのです。それが良いのかと強く思ったのが、以下のエントリーでのこと。
nakamorikzs.net

ここのコメント欄を見て、「荒れている」と思った方はいらっしゃるでしょう。さらにの時のはてブも。

はてなブックマーク - 古本屋でのバイト時に教えてもらった便利な本・雑誌の縛り方 - 空気を読まない中杜カズサ

経緯をまとめますと、『古本屋でのバイト時に教えてもらった便利な本・雑誌の縛り方』というものに対して、それを知っていたという人がコメントで「そんなの知っている」というコメントで溢れたというもの。口調などは見ての通り。これは正直「どうすればいいんだっての」と思いました。もし私が間違ったものを書けばそれは訂正すればいいのですし、相手が自分の見解と違う場合、それに反論すればいいのですが、どうもコメントを残している人は「そんな知っていることを書くな」という内容みたいなのですが、私は人によって知っていること、知らない事なんて違い、誰かが知っている事でも他人は知らないし、その逆もあると思っていて、それを出してゆくのもアリだと思っていて、知らない人が見ればいいし、別に知ってるならスルーすればいいんじゃないか、と思っていたので、これには逆に驚きました。もし、多くの人が知っている可能性のあることを書いてはいけない理由もつけて反論してくれたのだったら、それはアリだったと思いますが、書いた事に否定的な見解のコメントで、その理由が書かれたものはありませんでした。これでは反論のしようもありません。あと、ブログタイトルについて反論してきた人もいましたが、少なくとも私はこのタイトルを別にヘンだとは思いません。「古本屋でのバイト時に教えてもらった」と書いたのは釣りの意図ではなく、その神保町で教えてもらった本屋さんに対する敬意です。で、考えた挙句、以下のものを書いたり。
nakamorikzs.net

コメントが第三者に及ぼす影響

さて、上のことでもいろいろ考えるものがあったのですが、それ以外に困ったことがありました。というのは、このエントリーを肯定評価していただいた方がいて、その方達がその方達が上のようなコメントを見た場合、少なくともいい気分はしないだろうと思ったこと。これはたとえ肯定評価してくれた人のほうが多くても、一人そういう書き込みを見れば、気分を害される可能性は高いでしょうから。

そしてもう一つの大きな問題は、そのコメントにより何も見ないで本文を読んだときと比べて本文の印象が変わってしまう可能性があるのではないかと。つまり、ある人が本文をコメントなしで見た時の評価と、それに否定的な見解が書かれている場合、その文章は批判されているもの、と受け取られる可能性があるということです。もちろんそ否定見解が正当なものであればよいのですが、単純に書き殴りであっても「本文が否定されている」と捉える人はいるのではないかと。

たしかに捉え方は個人の自由ですが、問題はそれが本文を読んで受けた「自分で判断した」評価である場合であって、「誰かの評価」が混じった結果の評価を個人の自由とするには、抵抗があります。たしかにブログのコメントに限らず、第三者の評価に影響を全く受けないことは出来ないでしょう。例えば評論においてもそれは本文の評価前に読めば、人によってはその影響を受けることがあります。ただ、それらは本文とは切り離された位置にあります。ブログにおいても、それの反論を自分のブログで書いてトラックバックを飛ばす、というのは十分アリだと思います。それは本文から分離された場所にある一意見として。しかし、本文のすぐ下にそれを書かれると、それらをセットとして考えてしまう人もいるのではないでしょうか

それでも、その印象がその第一段階で止まればよいのですが、問題はそれを再発信してしまう可能性があるということ。つまり見た人がブログで受け取ったことを否定的に書いて、否定的な見解のまま再発信されてしまうということ。だけどそれは「声の大きい(少数の)意見」であって「大多数の人の意見」とは必ずしもイコールではない場合もあり得るのです。ちなみに現実でも、マスコミのニュースの採り上げ方などで似たような現象が起きる可能性はあるのではないでしょうか。

■参考
nakamorikzs.net


ありがたいことですが私のブログはアクセス数が増えてきました。しかしそれは逆に言えば、それらの曲がった見解までも、広く再発信してしまう可能性があると言えるのです。となると、コメント欄にも影響力が全くない、とは言えないと思えるのです。勿論説得力のあるコメントが影響力を持つのはよいのですが、論理的根拠のないものが再発信されるのは、危険だと思えるのです。

ただ、それらが野放しになるとは限りません。このテのことが起こると、それに対して反論してくれる人が出てきてくれます。上の例でも、コメントやはてブでそれらコメントに対して反論をしてくれる方がいらっしゃったのでよかったのですが、必ずしもそうなるとは限りません。特に客観的にはそれが合っているのか間違っているのか判断しづらい場合にはなおさら。それに対しては自分で反論するのももちろん良いでしょうが、ただその場合にも管理者側にとってデメリットがあります。というのは、そこがあくまで自分の管理するところであるということ。例えば自分のブログである以上、前述のように第三者に対して不快な思いをさせられないという気持ちが働くことがあります。もちろん自分のブログで議論(ケンカ)するのが好きな人もいますが、全員が全員そうではないのです。故に場合によって反論をすること自体が制約されてしまう場合もあるでしょう。うちの場合はともかく、芸能人や著名人など、立場がある人ならば、匿名もしくはそれに近い人に比べて、制約のため不利になっていると言えるでしょう。となると、そもそもブログのコメント欄では公平な議論は出来ないのではないでしょうか。

正直、これらのことを考えて、コメントを消すべきかどうか考えました。しかしどうもこれらは「荒らし」か「手荒い意見」かで判断が難しいところにあると思うのですね。前者なら消すべきですが、後者なら残すべきだと思う、だけどその基準は人に寄って違うので、自分以外はそういう見解を持っているかもしれない。そこで消したらなんか言論統制しているみたいで嫌だったので、そのまま残すことにしました。まあ正直言えば、当時からコメント欄については何か書こうと思っていたので、それのために今日みたいなエントリーを書こうと思って残しておいたというのもありますが(あと次の日に書いた反論エントリーがわかりにくくなるのもあったし)。

ブログコメント欄の存在意義は変わってきているのではないか

このようなことを考えて,コメント欄を消すべきか残すべきかというのを考えました。しかし最初に書いたようにコメント欄から得られる情報は反論含めて貴重なものがありますし、励みになるものがありますのでなくすのは勿体ない。でも、よくよく考えると、すでにコメント欄で得られるメリットは、コメントを承認制にしても、もしくはコメント欄がなくても得られるものばかりではないか、と思ったのです。

現代においてははてなブックマークやTwitterなど、コメント欄ではなくてもそこに対して意見を述べる仕組みはかなり整っています。本文に対して意見を述べたかったら、そちらを使うというのは自由でしょう。さらに承認制にしても、それらの意見を見ることは出来ます(公開するかするかどうかは判断するとして)。特に承認制を試してしばらく経つのですが、特に問題は起きていませんし、むしろ最近忙しくてなかなかレスができないのですが、承認することで「私は読みましたよ」という合図にもなるのではないかと思ったりもします。故に、コメント欄を完全解放して上で書いてきたようなデメリットをとらなくても、そちらからメリットだけを取ることが出来るのではないでしょうか。

あと、「近頃の若者は……」的になりそうな面があるのですが、どうも昔のネットにおける一般サイトへのコメントの書き込みと今のでは、違いが生じているように思うのです。なんというか、2ちゃんねるのノリがそのまま個人サイトのコメント欄に流れ込んできている感じ。しかし昔は2ちゃんねるのようなアンダーグラウンドと呼ばれた掲示板と一般サイトの掲示板などは分離していて、たとえ2ちゃんやらあめぞうなどで乱暴な口調で書き込んでいる人でも、個人が運営している掲示板では敬語、ということはわりとあったように思えます。しかしながら、どうもそれらの境目がなくなってきているような気がするのです。これは新しいネットの文化として認めるか、それとも認めないかは人によって違うでしょうし難しいところですが(私もはてブとかではけっこう口調が荒いことがありますし)、少なくともそれを望んでいない人の管理するところに直接書き込む事は是とは思えません(まあそうなるとはてブという仕組みに対してもいろいろあるのですが、それについてはまたそのうち書きます)。

もちろん全解放して全部のコメントを表示し、それに対応するのもありでしょう。しかし、必ずしもそれは強制されるものではありません。だから、それを消すのは別に臆病者の選択肢とは思いません。人によって、ブログによって、状況によって、立場によってコメント欄はどのような形でもよいはずです。それも含めて「ブログの管理」なのですから、自分が運営するそのブログなりサイトなりに対して、最適だと思う形をとるべきでしょう。どのみちネット上において、完全に自分への評価をシャットアウトすることは出来ないのですから。