今日、誕生日を迎えた。ただ、毎年のことながらこの時期のフリーランスは確定申告の準備があり、それどころではない。家族もいない身なら尚更だ。
その中でクレジットの明細を整理している時、はてなからPROの代金が毎月引き落とされているのを見つける。そしてその存在に気付いてブログを見てみれば、最終更新が2020年の冬、もう2年以上前になる。その期間ずっと更新もせず、PROの料金だけ払い続けていたことになる。
これを機会にもうブログも閉じることも考えたが、そうしようとすると書き残していた、しかしまとまっていないので実際にキーボードに指を運ばせるまでに至らなかったことが出て来てしまう。これはもう幾度も繰り返されたことで、やめようとした時に未練が出て来てしまい、そのままになってしまっていた。
ただ、そろそろ「ブログの終活」、ひいては「ネットの終活」をしてもいいのではないかと思い始めている。『ラーメン再遊記』にいて、ラーメンハゲのかつての先輩であった宇崎さんが語ったように自分の中でゴミ屋敷のようになってしまっているものから要らないものは捨ててスッキリさせてしまおうという感じだ。ここではゴタついているものを1度見直してみる必要があり、それを試みてみようと思う。
そこでまず原点から整理して、書き連ねてゆくことにした。そこから今後何をする(書く)べきか、或いは捨てるべきかが見えてくるかもしれない。もし横道に逸れたら、それは必要なものの消化作業としてご容赦いただきたい。
ただ、途中書いている間に、ネット老人以外の読み手には明らかにわかりづらい単語が多いように思えたので、そこに注釈を入れてゆくことにした。
ブログを書き始めた2005年のこと
いろいろ詰まっているもののどこから語ればいいかとなるので、こういう場合は例によって原点に戻ってみることにする。
ブログを更新し始めたのは、2005年の冬。当時勤めていたゲームソフト製作会社を辞め、フリーランスになろうか勤め先を探そうか悩んでいた時だ。その時に二つのブログを始めた。ひとつはFC2ブログ*1で「空気を読まないブログ」というもの。もうひとつがSeeSaaブログ*2で「ゲームミュージックなブログ」*3というものだった。
もうすでに17年前のことなので記憶も曖昧だが(それを思い出しつつログとしておくのもいいだろう)、当時ブログというのを強く意識していたわけではなかった。ただ、その前に辞めた会社に就職する前にテキストサイト*4やSS*5を書いていたことがあるが、もう当時はテキストサイトは衰退期でブログの波があったように思う。そこで便利そうだし使ってみたいと思ったのがきっかけだったように思う。
そこでFC2ブログで、思いついたことを書くことにした。自分の文章を読んでほしいという願望はもちろんあったが、とにかく思ったことを書いて出力したいという、若い当時ならではの渇望みたいなものが強かった。今思えば、文章を書く仕事をしつつも、仕事で書いた文章は仕事であるが故にその型に当てはめざるを得なく、そこで漏れ出した渇望が趣味という形で執筆欲に繋がったのかもしれない。
当時のブログは消してしまい、どんなことを書いたのかおぼろけだが、一部はてなで再掲したのがある。
こんな感じのネタ文章を書いていた。おそらくテキストサイトのノリがけっこうあったのではないかと思う。ただ、政治的、社会的なものは自分は描かなかった。政治的、社会的なブログのクラスタというのは、自分の書いていたような趣味を前提としたようなクラスタからは分離されていたように思える。このへんは体感でしかないので個人の体験によって違うかもしれないが。
もちろん無名の人間が書いているブログを読む人は少ない。アクセス数もそんな伸びることはない。しかも当時は拡散手段も少ない。Twitterもなければはてブもあったことはあったが、大半の人になにそれ?という状態だ。ただ、当時は思いついたことを自由に文章にして書くこと自体が楽しかった。
それでもやはり書いた以上、読んで欲しいという欲求が生じるのは当然だろう。だからブログ村などのポータルに登録をしたり、ブログパーツ*6をつけてアクセスを増やす努力もしていた。もう少し後になるが、Yahoo!のカテゴリ検索*7に登録依頼をしたこともある。
個人ニュースサイトに紹介され、アクセス数が激増する
ただ、一つの大きな転機になったことがある。それが個人ニュースサイト*8のひとつに掲載されたことだ。おそらくは二桁だったアクセス数が三桁にはなったと思う。その後のPVから見れば些細な数字である。ただ、この時は本当に嬉しく、そして何を差し置いても記事を書きたいと思うようになる。
しかし幸運はここで留まらなかった。そのうちに当時最大手の一角であった個人ニュースサイト『カトゆー家断絶』*9からリンクされたのだ。前述の通り、Twitterもなく、はてブも弱かったこの当時、この手の個人ニュースサイトからのリンクは非常に大きかった。アクセスカウンター(当時は忍者カウンターだったかな)の数値は文字通りケタ違いになる。嬉しい、と言うよりむしろ驚いたと言っていいだろう。それまでもちゆ12歳などでの「ちゆ砲」*10など「アクセス津波」と言われたものが、自分のところにも来たのだから。そしてそれは同じく運営して、ゲーム系のことを書いていた『ゲームミュージックなブログ』でも同じで、それまでよりアクセス数が格段に増えてきた。
アクセスが増え、ブログモチベーションが最大に
その後、当時いくつもあった個人ニュースサイトにも掲載され始めるようになる。おそらくカトゆーに入ったことから、巡回アンテナに入ったのだろう。そこからどちらのブログでも書けばわりと紹介されることが多くなってゆく。当時KKGと言われた『カトゆー家断絶』『かーずSP』『ゴルゴ31』*11にも紹介され、1日のアクセス数が万単位になることもあった。今と違って個人ブログが当時万単位というのは、かなりのバズりだと思っていいだろう。
この時、文章を書いてそれがそれなりのものであれば紹介され、読まれるということに繋がったので、モチベーションは最大になっていたと思う。しかしただアクセス数が増えるだけではなく、それらのニュースサイトのリンクに一行コメントが付け加えられていることが嬉しかった。それは感想みたいなものなのだから。ブログにせよ創作にせよ同人活動にせよ、反応というものはやはり大きなモチベーションに繋がるのだ。
また当時、ReadMe!Japan*12にも登録していたが、時にはベスト100に入ることもあった。
はてなダイアリーを始めた理由
しかしアクセス数が増えると同時に「制約」を感じるようにもなってゆく。それはある程度ブログの方向性が決まってしまうと、それ以外のものが書きづらくなってくるということがある。
そこで、見つけたのが当時いくつかあったブログサービスで、また手を付けていなかった「はてなダイアリー」だった。
途中はてなブログに移ったものの、当時の一番最初に書いたものが残っていた。
2006年11月、もう16年以上前のものだ。
当時の記憶もだいぶ薄れているが、この時「はてなダイアリー」で文字通り外に向けるような文章ではなく「日記」を書きたかったのだと思う。これもまた、テキストサイトからの影響かもしれない。
当時、はてなにコミュニティらしきものがあるなんてことは全くわからず、ただブログサービスの一つとして使った。そもそもこちらでたいしたことを書くつもりなんてなかった。
ただ、何故かこの後このはてなダイアリー、続いてはてなブログで16年間、総記事数700以上(途中消したのもあるからもっと多いけど)を書くことになるとは思ってもいなかったが。
文字数が4000を超えたので、ここで止めて続きはまた徐々に(文章より注釈書く方が疲れた)。書きたい続きはまだまだあるので、更新間隔まで数年空くことはないと思う。
*1:今も続くブログサービス。別にアダルト専用ってわけではなく、自由度が非常に高かった
*2:今も続くブログサービス。こちらは初期は何故か再構築ボタンというのがあり、変更時にそれを押さないといけなかった。
*3:ゲーム音楽のことを書いているマイブログ。FC2からWordpressに移転し、ほとんど更新停止しているけど、今もやっています。
*4:90年代末~2000年代のブログ以前にブームとなった、文字通り読ませることを軸とした個人サイト。「先行者」の『侍魂』やバーチャルネットアイドルの『ちゆ12歳』が有名
*5:個人が公開していた二次創作ショートストーリー文章。当時ブームだったPCエロゲーやエヴァのものが多かった。それを連携したRINGというものも存在していた。
*6:当時の閲覧形態はPCが主だったので、サイドバーにベタベタパーツを貼り付けるのが流行っていた。今はすっかり消えたけど。
*7:当時、またGoogleというかロボット検索は出始めで、Yahoo!のカテゴリ検索が力を持っていた。数年後にGoogleが席巻してしまうが。
*8:文字通り個人が運営するニュースサイト。多くは「羅列型ニュースサイト」を指し、多数の記事のリンクをキュレーションして羅列表示するもの。当時、面白い記事を知るのに非常に有効な手段のひとつだった。
*9:当時の個人ニュースサイトの最王手のひとつ。12年間連日ひとりで更新を長年続けるという偉業で、2013年の更新の停止時にはそれ自体がネットニュースになった。現在OCNホームページが消滅したので消えているが、文章系としてはてなブログに移転している。
*10:テキストサイト「ちゆ12歳」で紹介されると、とんでもないアクセスが舞い込むことがら生まれた言葉。当時の貧弱なレンタルサーバでは、トラフィック負荷で閲覧出来なくなってしまうこともあったほど。
*11:当時の羅列型ニュースサイトの代表格。ゴルゴ31はマンガ系がメインだった。かーずSPは現存している。
*12:テキストサイト自体からある登録制ランキングサイト。2007年更新停止。現在も跡地は存在している。