空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

ゲームは「入力の娯楽」であり、ネットの「出力の娯楽」と共存できると思う話

Twitterのコメントで、興味深いものが。

携帯とかYouTubeとかmixiとかTwitterとか、そういうのが全部ライバルになってきて
ユーザーの時間を取り合ってると思うんだけどゲーム業界の人はそういう認識あるのかな。
他のゲームよりおもしろいもの作っても仕方ないってことに。by seabream

(情報元:まなめはうすさん)


私の考えでは、これは正しいとも言え、そうではないとも言えると思います。その理由をちょっと書いてゆきます。


まず、このブログやゲームミュージックなブログでも度々書いていますが、昔は数が少なく、時間を潰すために金を出しても得ようとした娯楽が、現在では非常に多くなり、無料のものも非常に多くなってきました。こうなると余暇の時間を潰すのに不自由しなくなるどころか、限られた余暇の時間内でどの娯楽を楽しもうかという、娯楽間の競争が起こります。そしてゲームの場合、昔ならばソフトの販売数はあまりありませんでしたが、今ではやりきれないほどのソフトが販売されています。それに加えてゲームだけではなく、昔からのマンガやアニメも全く減少してませんし(むしろアニメは莫大に増えている)、それに加えてネットの普及により各種サービス、すなわちmixiやTwitter、YouTubeやニコニコ動画といったものが存在するようになったために、そっちにも時間を割いてしまうことでゲームをする時間は昔より減少したと言えるかもしれません。特に、こういった娯楽を購入するのに金銭的にはさほど困らなくなったけど、その分娯楽に割く時間がなくなった社会人は尚更でしょう。この現象はおそらくゲームだけではなく、すべての娯楽に言えると思います(ゲームが一番時間を食うので、その影響を強く受けているかもしれませんが)。

ただ、これら、特にネット普及以降がゲームにとって、お互いを食い合うライバルか、というと、実は必ずしもそうではないとも言えます。というのはこれらはたしかに個人に対しては同じ『娯楽』というものですが、その性質がゲーム(ここではローカルでプレイするゲーム)とmixiやTwitterなどでは異なるため。

ちょっと図を作ってみました。

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※追記:今見直してみたけど、図を作ったわりにあまりわかりやすいものにはなっていないような。まあそのへんは勘弁。


さて、インターネット上にはたしかに『娯楽』に分類されるサービスがたくさんあります。そして今、利用者が最も多いと思われるのは、mixiやTwitter、2ちゃんねるなどの「交流」を目的としたものではないでしょうか。もっと広義では、メールなども含みますね。ただ、このような交流サービス自体はコンテンツを持っていないとも言えるのです。つまり、個人個人に話すことが何もなければ、交流は意味がないのですよ。だから話すことのある、同じ趣味の仲間でコミュニティが出来るわけですし。

そしてそのようなネタというのは、ほとんどの場合そのサービス外からその個人に対して「入力」されるものなのですよね。つまりそれがマンガでありゲームでありアニメであると。上の図だと、アニメのひだまりスケッチを見たから話したいと思ってmixiに参加したり、ワンピースのその後をどうなるか議論したいので、2ちゃんねるに書き込んだりと。もちろんほかにもスポーツやニュース、それに日常の出来事なども入力要素のひとつです。

そしてネットコミュニティという空間でそれを「出力」することでコミュニティのほかの誰かの出力を待ち(たとえば掲示板への感想コメントや分析など)、それをまた「二次的入力」するというのが、ネット上の交流ではないかと。で、あとはその入出力の繰り返し。

つまり、マンガやアニメなどは「入力の娯楽」であり、mixiやTwitter、それに個人ブログなんかは「出力(&再入力)の娯楽」であるため、娯楽としての性質が異なると思うのです。

たしかに時間だけを見た場合、ネットの文化はゲームなどからそれを奪うように見えます。しかしながらネットコミュニティというのは、どこかからの入力があってはじめて拡大するものだと思うのですよね。故に、ネットが既存娯楽を食うというよりは、全部を混ぜ合わせて平均化されるのだと思います。ただ、ゲームはその分昔に比べてプレイ時間は減るでしょうが、ネットに潰されて全くなくなることは、ネット内で完結するものが大多数を占めない限りはないと思われますが、ゲームより強い入力の娯楽は、ネット上にはそんなないのではないかと。あえて言えば、ニコニコ動画などはそこから入力も行え、出力も行えるために、完結してしまう面はあるでしょう。ただ、そこでも現在は圧倒的にネット外部から入力される娯楽、すなわち二次創作が多数です。故に多少時間を削ることはあり得ますが、ゲームに多大な影響を及ぼすまで、とまではいかないのではないかと(もちろん現在の傾向で、将来的にはニコニコだけで入出力を完結する可能性もありますが)。


そして、ネットのおかげでゲームが拡大してきた例も多々あると思われます。たとえば2000年あたりにはLeaf、Keyの作品が非常に盛り上がりましたが、あれは発展期のネットにおける話題が人気の拡大にかなり重要な要素となっていたと考えられます。あと、現在ものすごい勢いで広まっている東方Projectですが、あれもここまで広がったのは、ネットでのコミュニティが存在したからだと思えます(実際、DOS時代のはそこまでメジャーではなく、話題になったのはネット普及期に出た『東方紅魔郷』以降だと思いますし)。

■参考:
nakamorikzs.net


つまりは、このようなネットのコンテンツの多くは、ゲームなどと相互補完的であり、完全な敵対関係とは言えないと思うのですね。それは出力(ネット上での交流)は、入力(ゲームやマンガ、アニメなどを楽しむ)がなければ出来ませんから。

それに、よほど好きでない限り、何かの娯楽をひとつだけやるのって、結構疲れるじゃないですか。私もずっとパソコンの前は辛いので、マンガ読んだりしながらこういったブログを書いています。あ、ブログ書くのもゲームやマンガ、その他のものから入力しないとネタが思いつきませんしね。おそらくTwitterやらmixiなども、何かをしながら、って人は多いのではないでしょうか。


ちなみにゲームの話に戻ると、たしかに時間は食われていると思います。ただそれはほぼすべての娯楽に言えるのではないかと。ゲームが10だったものが5に減ったのに対してネットが0だったものが上がっていったために、そう見えるのではないかと。ただ、前述のようにある程度のところで食い合いはなくなると思われます。

ま、それでも他の入力娯楽との対立には晒されているわけですが、そのへんはいろいろゲーム業界も考えているのではないかと。それこそネットを利用しての要素をとりこんでゆくという試みが10年前からなされていると思います。それの代表的なものがネットゲームで、ゲームをプレイすることによる入力と、交流による出力を同じ場所で行えるというところが、人気のひとつだったのではないかと思えます。そしてコンシューマでもどうぶつの森シリーズなど、それをうまく取り入れようとする試みはなされていますね。そしてアーケードでは、カードで全国対戦ができたりもしますし。*1

ゲーム自体にネット要素がないものでも、前述のLeaf、Keyの盛り上がりがそうですし(半分偶然でもありますが、二次創作に対してメーカーが容認していたというのは大きいと思われます)、ホームページ連動企画なんてのもよく行われていますよね。おそらくはこのように、だいぶ前からネットに対してゲームはいろいろな試みをしてきて、最近やっとそれが形になってきたのかなと。

つまり、ゲーム開発者もひとりでゲームをやって自己満足する、という15年前のRPGみたいなものをいつまでも想定はしていないでしょう。いろいろな試みがなされているのです。その意味でいけば「他のゲームより面白いものを作る」というのは、意味があると思います。要は、どんな入力の娯楽にも負けないものを作れば、ユーザーはそれに時間を割きたいと思うのですから。もちろん、言うほど簡単ではないし、いろいろな工夫が必要でしょうけどね。

*1:ある意味、ゲーセンの対戦格闘も交流を生かした形かも。