空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

録画やソーシャルブックマークという『時間貯金箱』

先日第二期の『ドラえもん』の9巻が届きました。

この巻も道具が全く出てこない『ウルトラよろい』、感動エピソードとして代表的な『のび太の結婚前夜』など、興味深い話が多いのですが、その中で特に注目したのは『時間貯金箱』という話。この話、てんとう虫コミックスなどでも収録されていたので、覚えていらっしゃる方も多いでしょう。

ざっと説明すると、「時間を貯金しておける」というひみつ道具。つまり、時間が余ったときにはその分を飛ばすことで貯金し、そして時間が足りなくなったときにはその貯金しておいた分を解放して伸ばすことが出来るというものです。


 藤子・F・不二雄『藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん』(小学館)9巻P98

話はだいたいいつものドラえもんストーリーチャート(問題発生→道具→問題解決→更なる道具の使用→成功or失敗)の通りですが、機械の悪用で最後にのび太に災厄が降りかかるケースではなく、この話はのび太自体はそんな損をしておらず、機械のマイナスがあまり目立たないというのも注目です(パパが迷惑を被りますが)。まあ、道具を使ったときに自分の周りでの時間の流れ方における認識がけっこう曖昧だったりするのはご愛敬。ちなみに「ドラえもんの道具で何が欲しい?」という問いはいろいろな場所でなされていますが、『どこでもドア』『タイムマシン』のようなメジャー系や、『ソノウソホント』などの使い方次第ではオールマイティになるものを除けば、わりと知っている人には高位になる道具ではないでしょうか。特に忙しい人には。

しかしこの『時間貯金箱』のようなもの、実は現代において似たようなものがあるのではないでしょうか。もちろん時間を変動させるという意味ではありません。そしてすべてのものにあるわけではありません。ただ、特定の分野において、「時間をストックしておく」という仕組みが生まれているように思うのです。それは「情報を取得する」というもの。

ビデオやソーシャルブックマークによる情報閲覧時間のストックという側面

その道具は何か。まず録画デッキ(HDDデッキ、DVDデッキ、ビデオデッキ)があります。その他PCを利用したものや、音声のみならカセットなど。
昭和の時代、テレビは生で見るものであり、その時間を逃すとそれを見ることは出来ませんでした。故に人間は人気の番組が始まる時間にあわせてテレビの前に陣取り、それを見る、というのが当時のライフスタイルだったと思います。ドリフやひょうきん族が放映された土曜夜八時には全国の子供がテレビの前にかじりついたとか(ちなみにうちは親が『暴れん坊将軍』見てたのだよね。まあ当時幼稚園〜小学校低学年くらいだったからそんな実害はなかったけど。たぶん同じ子供は潜在的にいると思う)、ラジオで『君の名は』が放送された時は、銭湯の女湯が空になったという話は、テレビやラジオの前に張り付いていないとその番組を見ることが出来ないからこそ生まれた現象でしょう。

しかし、ビデオやカセットの「録画」という機能は、その「テレビやラジオの前に固定する」という状態から解放させてくれることになります。つまりその時間に必ずしもテレビやラジオの前にいなくても、その番組という情報を得ることが出来るようになるわけですね。つまり、録画と言えばその情報(番組)を貯めた状態であるのと同時に、(視聴の)時間を貯金した状態とも言えるわけです(ちなみに、テレビの前から解放されたことはこの前書いた「受動的音楽試聴」の機会を大幅に減らしたとも言えるかもしれませんが)。

■参考
nakamorikzs.net


これはテレビに限ったことではありません。インターネットでもそういった時間を貯金する仕組みというものはあります。それはソーシャルブックマークや、最近ならEvernoteのようなもの。インターネットの情報の場合はテレビ番組のように一度見逃してもすぐになくなるということはあまりありませんが、そのかわり一度読まないとそのかわり多数の情報が毎日膨大に入ってくる情報に押し出されるように読む機会を逃してしまう、ということがあります。しかし、ソーシャルブックマークなどでそこにポインタをつけておくと、「あとで読む」というマークをつけることで、録画と同じような機能を持たせることが出来るでしょう。

「見る必要」からの解放

とはいっても、結局録画したりブックマークしているだけなら、あとで時間を消費するから変わりないじゃないかと思う方もいるかもしれません。ただ、すべての人がその録画なりブックマークなりをした情報を見るでしょうか。今、HDDレコーダーの普及で、録画するという行為がとてつもなく簡単になっています。中には毎週分の予約だけしてそのまま放置、という人もかなり多いと思えます。さらに、ブックマークをして「あとで読む」とタグ付けしたのにもかかわらず、結局読まなかったということはないでしょうか。とはいえこれは今に始まったことではなく、自分15年前くらいにはもVHSテープに番組を1クール分取り溜めておいたにもかかわらず、結局一度も見ずにビデオテープをムダにしただけ、ということがあります。ただ、今はその素材的ムダがないからいいですよね。

私は、録画やブックマークの本当の役目は、「情報を見るために蓄えておくこと」ではなく、「情報をいつでも得られるという意識(安心感)をその人に与える」ことだと思っています。喩えれば、いつ売り切れたり廃刊になるかわからない本をとりあえず購入して、本棚に入れておくことで「いつでも読める」という意識を与える感じ。

時代による情報量の変化

ただ、この『時間貯金箱』の描かれた時代(初出は1977年)の背景と、今の時代の録画やソーシャルブックマークとは全く逆だと思います。この作品の中では、何もすることがなくムダに過ごす時間を貯めて、何か時間が欲しいときに貯金を下ろすということをやっていましたが(作中でも、テレビ番組「ボロコン」までの時間を貯金していますし)、今の録画などは、あえて今得る情報を溜め込んで、時間を捻出しているということです。つまり同じ「時間を溜め込む」という行為のように見えて、情報を溜め込むことにより、時間をストックするわけですから、時間を溜め込んで娯楽の時間とかを得る機会をストックする時間貯金箱とは真逆となるわけですよね。これはおそらく、当時と今の情報の流通量の違いにもあるのではないでしょうか(勿論大人と子供の立場の違いもありますが)。

思うに1970年代はまだ一般市民が得られる情報(娯楽)の絶対量が少なく、情報の価値が時間よりも高かったと思うのですよね(そういえば80年代とかは、12時以前でカラーバー出して終わるテレビ局も珍しくなかったなあ)。そこではひとつひとつの情報(娯楽)時間を費やすだけの価値が見いだされていたと思うのです。しかし現在ではあらゆる娯楽の増加やインターネットなど情報分野の発展により、ひとつひとつの情報の価値が相対的に低下してきたでしょう。反面、その情報を消化する時間のほうがなくなり、情報と時間の価値の逆転が起きていると思えます。

おそらく、今の世の中を舞台にしたドラえもんだったら、いちいち時間貯金箱を使わずとも、携帯電話とかゲームとかその時間を潰す何かがあるのではないでしょうか。そして、溜め込む時間自体なかったりして(そんなドラえもんなんかイヤだけど)。

手に入れた情報を取捨選別出来る裁量の幅が広がったということ

録画やソーシャルブックマークのような「情報を貯めておく」という仕組みは、むしろこの情報過多の世の中で必然だったと思うのですよね。だって、とても目についた全部の情報を吸収しきれるわけなんてないのだから。そして前述の通りEvernoteなど、そういった仕組みはまだ新しく生まれています。ただ、これは情報を溜め込んでおくというわけではなく、「時間のストック」という側面があると思うのですね。勿論人によってはストックしたものを全部消化しないと気がすまないという人もいると思いますが、それも含めて情報を取得する選択の裁量が広まったことはよいことではないでしょうか。


ま、せっかく貯金箱に時間を入れたのだったら、それを全部使おうとせず、取捨選別して利用するのがよいのではないかと思います。