空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

デジタルプレイヤーによる音楽のパーソナル化と受動的環境の衰退

以前、音楽の音を捉えると、その音楽のタイトルなどが判明するiPhoneアプリMusicIDのことについて書きました。
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しかし実はこれ、最初はこのMusicIDを使って全く別の事をしようと思っていたのですよね。それはすなわち、放送以外の受動的な音楽環境を探して、そこでMusicIDを試すというもの。つまりは、「放送における音楽(ここでは今まで日本の音楽CDにおける売り上げの主流だったJ-POPを指す)が聴かれなくなっても、他にも受動的音楽環境になり得るところはこんなところにあるから、そこでMusicIDを使うと便利だよ」みたいな展開を予想していたのです。
しかし、iPhoneを持ちつつ外に出てあちこち行ってみると、そうはらない。というのは、町中で最近のJ-POPを聴けるところがあまりなかったので。いや、J-POPだけではなく、洋楽なども同じく。

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最近の世の中における音楽印象

私の印象だと、テレビ等の放送は見る機会が減ったけど、こういった店舗の中ではまだまだ流れているような気がしたのですが、実際に行ってみると流れてない。いや、音楽はもちろん流れているのですけど、それはJ-POPと呼ばれるものではなく、主にはピアノなどの環境音楽的なものが多い感じで、ボーカルソングがあまりないのですよね。ファーストフードやコンビニなどのチェーン店ではたまに流れるのですが、それはラジオ仕立てで「pick upアーティスト」とかなっていて、どっちかというとその流す音楽自体が宣伝かなあという印象を受けました。聞き慣れない最近のらしきJ-POPが流れていたかと思うと、それはFMラジオ(J-WAVEとかFM東京とか)だったということも多くありました(具体的には本屋と理髪店でFMが流れていました)。で、結局MusicIDを試す機会もほとんどありませんでした。

10年前くらいは何処に入ってもBGMとしてJ-POPが流れていたような印象があるので(ちなみに具体的に思い出すのは、勤め人をしていた2000年代前半、昼はたいてい外食だったのですが、そこで椎名林檎とかモーニング娘の曲が流れている感じ)なんだかちょっと意外でした。もちろん、これは自分の生活範囲内でのことであり、別の場所、別の生活時間帯ではそうでもない、という可能性はありますが、ただ、ちょっと考えてみると、特定の場所を除くと、現代においてはそういった最新のJ-POPを流すよりも環境音楽を流したほうが客にとっても店にとっても都合がよいのでは、と思えるのですよね。それは10年前より大きく変化したものがあるから。

iPodなどのデジタル音楽プレイヤーの普及による大きな変化

前に、音楽を聴く際に昔と今とでは大きく変わっているものとして、テレビやラジオなど放送による影響を挙げました。
■参考
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しかし、その他に大きく変わったものがあります。それはデジタル音楽プレイヤー、すなわちiPodなどの普及。
2000年代前半に、iPodをはじめとするデジタル音楽プレイヤーが登場し、普及してゆきます。たしかにそれまでも携帯して音楽を持ち運ぶものとしては、ウォークマンからのカセットプレイヤーやCDウォークマン、MDプレイヤーなどがありましたが、デジタル音楽プレイヤー大きく違ったのは、本体だけで何千曲もの音楽が聴けること。そうなると、CDなりMDなりを何枚も持ち歩かなくても、自分の音楽セットをそのままデジタル音楽プレイヤーに入れておけるようになるという、「音楽の持ち運びにおける変化」も生まれたわけですね。その結果どうなるのかというと、CD一枚につき最大74分という制約があった時代と異なり、自分のお気に入りの曲だけ聴いていても、十分時間をつぶせるとなるわけです。

さらに、大きさもCDやMD等の大きさに束縛されていた時代よりさらに小型化され持ち運ぶのも楽になりました。加えてバッテリーの持つ時間も長くなりました。これにより、外で音楽を聴くという障壁が聴く種類的にも物理的にもだいぶ低くなったのではないでしょうか。

デジタル音楽プレイヤー登場前までは外で音楽を聴くといっても、限られた曲数(いくら好きでも同じ曲を何度もってのは飽きますし)、そして限られた時間があったわけです。たしかにCDなりカセットなりを何枚も持ち歩いたり、電池やバッテリーを複数持ち歩けばそれなりに長持ちはしますが、荷物も多くなりますし、それをする人間は少数派だったのではないかと。すると、音楽を楽しむとはいっても、意外と外している時間も多かったと思います。故に音楽が鳴っていないようなところ、例えば歩いているときや電車の中だけつける、というスタイルで、音楽が鳴っているような店舗内ではつけないというスタイルもあったのではないかと。

音楽を聴くということにおけるパーソナル化

しかし、前述のようにデジタル音楽プレイヤーは「つけっぱなし」を曲数の面でもバッテリーの面でも克服しました。そうなると、それまでは店の中や移動中は携帯音楽プレイヤーを外していた人もつけっぱなしになった、という人も多くなってきたのではないでしょうか。

これも前に語りましたが、音楽は新しいものを聴くより、自分のお気に入りの曲を聴いていた方が心地よさが確定しているので楽なのですよね。だって、音楽の趣味は個人により違うわけで、新しいものが必ずしもその人に合うとは限らないわけですから。故に、もともと多くそういったものが聴けるのだったら、わざわざ外から入れるというのは、音楽に積極的な人ではない限りしなくなっていると考えることが出来ます。

つまり、技術的に可能になったことにより、「音楽のパーソナル化」みたいなものが起きているのではないでしょうか。iPodの「マイリスト」なんて、その象徴的なものですよね。

全体的な受動的環境の減少

そして、お気に入りの曲を流しっぱなしにする店の中で流れる音楽は逆に邪魔になります。音が重なりますから。故に、現代の店舗ではそういう人達に配慮するために、BGMを抑えめにして、邪魔にならない環境音楽を流す、というスタイルにしていても全くおかしくないのではないでしょうか。しかも、そういったデジタル音楽プレイヤーを利用する人は、音楽に(詳しいかどうかはともかく)積極的興味のある人、つまり音楽CDなりを買いうる人であるだけに、その影響がかなり大きいと言えるでしょう。

そうなると、先日語ったテレビの視聴時間の低下以外でも、新しいアーティストや音楽を受動的に得る場が少なくなり、その結果、音楽CDの売り上げ低下に繋がっているとも言えるかもしれません。

iPodが市場のかなりを占めるまで、日本の企業、とりわけそれまでは携帯プレイヤーで強い力を持ってきたソニーが出遅れたというのはよく聞く話ではあります。それの原因として、ソニーがレコード会社でもあったため、著作権対策に縛られたということが言われています。しかしそれの他に、そもそもレコード会社としては「音楽のデータを大量に持ち歩ける」というシステム自体を嫌ったのではないかと考えることも出来るのではないでしょうか。何故ならそうすることで、新しく売り出されるCDに目が行きにくくなるので。


CDショップの存在感の復活?

ともあれ、こう考えるとますます外で受動的音楽を受けられる場所がなくなっていることになります。

しかしそういった場所が少なくなる反面、それを受けられる場所として、存在感を増しているところもあると思うのです。それが音楽CDショップ。すなわち、音楽CDショップは、昔はパッケージを売るということが主な目的でしたが、それ以外の存在感がかえって増してきたとも思えるのです。