以前から話題となっていた、表現規制を含む東京都の青少年育成条例が提出されたようです。
■番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載: 無名の一知財政策ウォッチャーの独言
これのソース元はここみたいですね。
■The Prefectural Ordinance about young healthy upbringing (a reform bill) - 2010/2/24
■都議会条例改正案と現在の条例の比較資料
まだ断片的な情報なのですが、かなり見た時に「ネタ?」と疑いました。事実、今でもかなり信じられない感じです(もしネタだったら「よかった……変な改正案は存在しないんだ」とでも言って、ウイスキーでも飲みます)。というのは、あまりにも法律としてその定義が曖昧であり、このまま施行してしまうと運用次第ではとんでもないことになってしまうので。しかし多くの人(特に表現物になじみの薄い人)は「そのようなことはないだろう」と思うでしょうが、このような動きがとんでもない方向に行ってしまった前例は、すでに存在するのです。それを踏まえて今日はいろいろと書いてゆきたいと思います。
明らかな表現規制と拡大解釈可能な定義
まず、この条例改正案(正確に言うと「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」)ですが、ざっと読んだところ大きく「青少年に対しての携帯電話規制」、「青少年に対してのインターネット規制」、「児童ポルノ所持しない努力義務の制定」、そして「創作物(図書類又は映画等)の有害図書・不健全図書指定対象への追加」となります。インターネット規制や携帯電話規制などのアクセスコントロール、それに児童ポルノ規制の件も現行の条文においてはいろいろと諸問題がありそうなのですが(本当はこちらも語るところは多いのですが、非常に長くなるので今日は割愛します)、今回特に問題としたいのは、第七条から第九条に加えられる条項。現行条例と併せて引用します。
まず現行条例第七条(こちらから引用)。
(図書類等の販売等及び興行の自主規制)
第七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。
以下が第七条の改正案(ここから引用しました)。
第七条中「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがある」を「次の各号のいずれかに該当する」に改め、同条に次の各号を加える。
一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
そして第八条。
(不健全な図書類等の指定)
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。
一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
二 販売され、又は頒布されているがん具類で、その構造又は機能が東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
三 販売され、又は頒布されている刃物で、その構造又は機能が東京都規則で定める基準に該当し、青少年又はその他の者の生命又は身体に対し、危険又は被害を誘発するおそれがあると認められるもの
以下がその改正案。
第八条第一項中第三号を第四号とし、第二号を第三号とし、第一号の次に次の一号を加える。
二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもので、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく阻害するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
ここで一番問題なのは、第七条二項の新条文。ここで「非実在青少年」というのは、つまるところ一八歳未満のキャラクターすべてに当てはまります。ここで18歳未満のキャラクター、すなわち架空の人物で創作されたものがセックスしたら不健全な図書として指定されるという点だけでも、それは表現規制として大いに問題があります。おそらく現在連載されているマンガの中でも、かなりのものが該当してしまうでしょう。
それでも青少年にセックスシーンを見せるのはいけないと規制に賛同する方もいらっしゃるかと思いますが(しかしこれは青少年に限定しない話なのですが、それについては後述)、この条文だと何もセックスに限りません。「性交類似行為」というものの定義が曖昧だからです。極論、男女の接触があれば、キスレベルでさえ「性交類似行為」に該当し、不健全図書の対象となってしまう可能性はあるのです(余談ですがここの条文「肢体」だと思っていたら「姿態」でした。ということは、体が顔しか映ってなくても、それが性交類似行為となっていたら対象となるわけで)。
さらに問題なのは、この18歳未満という定義でさえ曖昧なものとなっています。というのは「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの」というように、誰かの主観によってたとえそうではなくても18歳未満と判断されてしまうからです。しかし創作物のキャラクターに明示されていないのに年齢を客観的に判断するなんて不可能だと思われます(エルフは何百年生きるんだっけ?)。ちなみに大友克洋作品ばりの老人化した子供だったらどう判断されるのでしょうか。
つまり、この条文は表現規制をしているという問題のほかにも、「性行為」にせよ「容姿描写」にせよ範囲が広すぎて、極論男女の接触があった場合どのような年齢で表示してあってもアウトとなりかねないのです。
ただ、もちろん「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」か判断する人がいるので、全部が全部そうなるわけではないと思われるでしょう。しかし、その人の性的描写に関する主観は、必ずしも同じでしょうか。軽いものでも性描写とみなす人がそこにいる可能性はゼロでしょうか。そしてそれは表現を破壊しかねない程のものとなる可能性はないでしょうか。規制を判断する人の基準は、必ずしも自分の基準とイコールではなく、大きくかけ離れていることもあり得るのです。
20年前の過剰なコミック規制の波
こう書いても、「いや、そんなところまで規制されないだろ」とお思いの方がいらっしゃるかもしれません。しかし個人が考えているよりも厳しい規制というのは、行われる可能性はた大いにあり得るのです。それは20年前、実際に起こってしまったので。
1990年代はじめ「有害コミック運動」というものが起こります。それがどういうものかご存じない方は、昔ちょっと書きましたのでそちらをご覧ください。
この全国の自治体に波及した有害コミック指定の波ですが、たしかにエロシーンが多いもの(主に遊人作品)も存在します。ただ、その中に今その本を見てみると「なんでこれ有害指定?」となったものがたくさんあります。それは以前に書きまして、性描写はあるけどそれは自由奔放さを示すもので、同じ作者が描いた『まんだら屋の良太』と同様明らかに欲情的な目的で書かれたのではない『百八の恋』(長崎、宮城、静岡、福島、島根、埼玉、山口、山梨、佐賀)や、軍事政権下の状況を娼婦を中心にして動物を擬人化して描いたジョージ秋山の『ラブリン・モンロー』までもが規制対象(宮城、山口)となっています。
■参考:
nakamorikzs.net
あと、ジャンプの人気作品『電影少女』が山口で指定、小池一夫&池上遼一の劇画『傷追い人』も宮城で指定されています。さらにまた、現在では石川県に記念館も建設された『デビルマン』の永井豪が書いた教育風刺のマンガ『けっこう仮面』が有害指定図書となっています。ちなみに氏はその10年以上前にも『ハレンチ学園』で槍玉にあげられていました。
たしかに20年の間に価値観が変遷し、これらから受ける印象が変わったというのもあるでしょう(あと作家が大家になったのもあるかな)。しかし、当時私はまさしく青少年で、ヤングサンデーやヤングマガジンを読んでいましたが、少なくとも裸が出ていても『百八の恋』や『ラブリン・モンロー』に性欲的なものを感じることはなかったのですけどね。で、それが有害とされても、読んできた私はとりあえず無事に社会生活を送っています(不健全人間だと言われればそれまでだけど、少なくともそれはマンガのせいではない)。
このように、自分の、もしくは社会の人の多くが持つ基準がそのまま指定する側と同じとは限らないのです。とりわけ規制する側だった場合、基準が厳しくなる可能性も否定できません。
ちなみにこの有害コミック運動も、地方での有害コミック指定から全国に波及しています。その動きが今回と重なるので、同じ轍を踏むのではないかとかなり心配しているところがあります。
性描写に限らず、作品全体に影響を与える規制
そして規制を直接受けないような作品であっても、その影響を受けるのです。20年前、有害コミック運動が起きた時には、直接指定を受けなかった作品でも、いきなり性的描写が壊滅的になりました。それまであったようなライトなお色気シーンでさえなくなったのです。必然性があるようなものでも、性描写は影を潜めていました。これは作者がこの運動の動きで批判を恐れ、自主的に規制に入ってしまうような動きとなってしまったのです。これは作者に表現する気があっても、その本を出すのは出版社ですから、そこが自主的な規制をしてしまえば作家はどうしようもありません(まして当時はインターネットもなかったのですし)。つまり、本来多くの人が規制を意図していないような作品でさえも、それをねじ曲げてしまい、中には生み出されなくなってしまう作品もあるのです。『太陽の季節』や村上龍の『限りなく透明に近いブルー』はそれまでにない表現で賛否両論がわき起こりながらも、文学を発展させたと言えるでしょうが、そういった文化の発展を法による規制の影響として封殺することにもなりかねないのです。
青少年規制にとどまらず大人も影響を受ける
これだけ書いても「いや、対象は青少年だし大人には関係ない」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私ももし青少年(小学生とか)が対象で、そのあたりの年齢に今でも成年マークがついているエロマンガレベルのものを読ませないようにする、そして判断の出来る大人は自由というのだったらやむなしと思います。しかし20年前に照らし合わせると、現実は大人も読むことが出来なくなる可能性は高いのです。
今回の青少年育成条例では、第九条にその指定図書類、表示図書類に関する規定があります。不健全の規制を受けると、ここの勧告が成されることになりますが、拘束力がないように見えて、実はかなり強い影響を与えかねないと思われます。20年前、有害指定された本はどうなったでしょうか。それは出版社により二つの方法がとられました。ひとつは「成年マーク」をつけて、販売し直す(講談社など)。しかし多くの場合はそうではなく、廃版、書店から撤去されてしまいました。ちなみに一時期有害指定を受けたヤングサンデーの遊人『ANGEL』がプレミア価格でまんだらけとかで販売されていたという。これは、苦情を恐れて各書店や取り次ぎが注文しなくなったからというのと、大出版社の場合は有害とされているものを扱いたくないというメンツがあったというのもあるでしょう。故に指定を受けるというのは、一部の例外を除けば事実上廃刊だったのです。
それは今でも同じでしょう。たとえ苦情がなくても青少年に売らないように分けなければいけませんから、それ専用のコーナーを作らなくてはいけません。しかも売る毎に年齢確認などが必要になるため、小さなところやもともと成年向けを扱っていない本屋では、それ自体を扱わなくなり、結局廃刊となったり、単行本にならない可能性は高いのです。
また、公的な立場からの指導というのは、それに直接的な刑事罰がない場合でも、非常に力を持つものです。行政指導などもそうですし。故に事実上、指定を受けるとそのまま廃刊となってしまう可能性は大きいのです。そして前述のように、それを最初から恐れて、表現自体がたとえ大人向きのものであったとしても、過度に抑えめになることもあり得るでしょう。極論、青少年の恋愛描写自体最初から生み出そうと思う人が減るかもしれません。
ちなみに現行で販売されているものは対象となるみたいですから、過去に作成されたものであっても流通をしているものは(中古含め)指定対象となる可能性は多分にあります。実際、20年前も『けっこう仮面』が有害指定を受けましたが、これはすでにそれよりだいぶ前に書かれたものです。ですので、条文の通りに行けば、それこそ過去の作品でさえ対象になることはあり得るのです。
まとめ
このように、この条例は青少年だけ、もしくはかなり明示的に子供が性的描写をしているものだけではなく、全ての作者&読者に、そして非常に広い範囲で影響を与えかねないのです。私も個人的には小学生など明らかな子供にどぎついエロを見せるようなのは好ましくないと思いますし、子供達の目にそういうものが入らないようにする仕組みは否定しません(ただ高校生くらいになるとそういう欲求は出るだろうから、徐々に解放していかないといけないような気もする。小学生と高校生をいっしょにしているところも、この条例の瑕疵のような気もする)。しかし、それはあくまで子供のみという限定的な範囲に留めないと、上記のように明らかに表現に対する問題が生まれてしまうわけです。
さらに付け加えると、この認定権は知事なりお役所が持つわけですが、あまりにも出版を業とする業者に対してのそれらの権限が大きくなる恐れがあります。最悪、とある出版社が出している週刊誌でそこのスキャンダルを書こうものなら「(俺に都合の悪い事を書いたら)お前のところの本を有害指定して、出版できないようにさせるぞ」ということもこの定義の広さなら出来てしまうのです。(もちろん直接的に言うわけではなく、日本っぽい間接的圧力で)。
法というものは人の行動を制御し、場合によっては人生まで変えてしまう可能性を持つものです。ですので法を作成、制定する際には、それが絶対に意図的に拡大解釈されないよう、条文には細心の注意を払うべきだと考えます。
〓参考文献〓
・『誌外戦 コミック規制をめぐるバトルトイヤル』コミック表現の自由を守る会(創出版)
・『有害コミック問題を考える』(創出版)