空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

何故、現代には天才と呼ばれる人がいないのかを考えてみた

このような話題がありました。

スラッシュドット・ジャパン | 「天才」はもう現れない?

ちょっと興味が湧いたので、色々考えてみました。

では、そもそも天才の定義とは何か。まずgoo辞書。

てんさい 0 【天才】
生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。

では、その「きわめてすぐれた才能」を持っていたとして、どうすれば天才と呼ばれるのか。それは他人に認められることが絶対条件ではないでしょうか。すなわち他人にその人はきわめてすぐれた才能を持っていると認識させなければ、その人は天才とは定義されないですよね。

では、人々が誰かを天才とみなす基準は何かというと、あえて言えばその当時の人々達より突き抜けて頭脳を働かせたり、何かを成した人ではないかと。しかしながら、世の中の価値というのは常に変動します。従ってとある時代の天才でも、とある時代には天才と評価されるには至らないのではないでしょうか。

よく、近現代の天才としてアインシュタインが持ち出されますが、それは当時、そしてその当時の状況をふまえて知っている今の人間達から「アインシュタインは天才」と認められたが故に天才と言われているのでしょう。しかし現代、アインシュタインと同じ頭脳を持つ人がいたとして科学の道に進んだとしても、アインシュタインと同じならば、アインシュタイン以上の功績は残せない可能性もあるのです。仮に運良く科学の道に進んだとしても、思いつけるだけの頭があったE=mc²は、既にアインシュタインが見つけ出しており、普通に考えれば思いつくよりも早くその先人の知識を頭に入れてしまうでしょう。となるとその人はアインシュタインと同じ頭脳を持っていたとしても、ほかの要素において天才とみなされる行動をしない限り、秀才止まりになってしまう可能性があるのではないでしょうか。

いや、秀才ならまだいいですね。同じ才能を持っていても、それを生かさずに別の分野で平凡な仕事をしている可能性も高いでしょう。もっともこれは大昔から言われていることですが。

文学でもおそらく同じことでしょう。仮に夏目漱石と同じ能力を持つ人がいても、後追いと言われて天才と評価されないでしょう。つまり最低条件としてそれを超えなければいけないと。

ついでに言えば、ゴッホなどその時代では全く評価されなかったのに、後世にその業績が評価されるようなパターンも非常に多いですね。というか、その人の生存中に評価される人は少数派なのかもと思えます。これは当時の価値観では、多くの人はゴッホを天才と定義できなかったこともあるでしょう。


つまり、現代において天才という評価をもらうためには

  1. 多くの人から天才であるという支持を集めなければならない。
  2. 先の天才の領域よりさらに上に行かなくてはいけない(じゃないと後追いでよくて秀才)
  3. その価値観が現代の天才基準と適合していなければならない

という高いハードルがあるのではないかと。さらに1によりこのハードルは時代と共にどんどん高くなってゆくでしょう。

そんなわけで、「天才が現れない」というのは「過去より頭脳が劣った人間しか現れなくなった」のではなく、あくまで「現代の価値観において天才と呼べるレベルの人間がいない」ということでしょう。というか、おそらく現代の人間が「天才」と呼ばれる範囲って恐ろしく狭いと思うのですよね。それこそ「バカと天才は紙一重」という言葉通り、あまりに飛びすぎてしまうと天才であることが周りに理解できないのですから。

ちなみに上で書いてきたことを逆手に取れば、たいした才能を持っていなくても、周りでその人のことを「天才」であるとしてしまえば、その人は天才と呼ばれるわけです。だって、才能の量が多いか少ないか何て、定義できないわけですし。なのでマスコミなどで「天才」としきりに叫ばれている場合、本当に層なのか、自分で確認することが必要かなとも思えます*1

また、現在どんなに有能でも「天才」と評価されない分野もあると思いますが、価値観の変遷によってそれを「天才」とみなすことは将来あり得るかもしれません。つまり、ゲームやアニメの制作に秀でている人も、時代によっては夏目漱石などと同じような天才とか文豪(文に限らないけど)と呼ばれることもあるかもしれませんね。そしてもしかしたらネット上でも、プログラマーとかそういった人が多数出てくるかもしれませんね。


◆追記
あともうひとつ。仮に天才としての資質を備える人がいたとしても、その人が絶対に外部に評価されようとするとは限らないのですよね。たとえば経済的な天才がいたとしても、その頭を使う方向が自分の人生が楽しくなるようなものに行ってしまえば、天才と言われることはないけど、個人としてはそれより財産面において楽しい人生を送れるかもしれないし。この頭脳が向かう方向性も、天才を出さなくしているのかも。まあこれを言い換えれば「世の中のせい」となるのかもしれませんが。

*1:まあ、多くの場合は度合いの表現としての天才とか、感嘆語句みたいなものなので、そうナーバスになることもないでしょうが。