空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

「嫌い」は隠れたがる。しかしネットは「嫌い」を隠さない

こんなニュースが。

asahi.com(朝日新聞社):民主・前田衆院議員、マルチ業界から1100万円受領 - 社会

ちなみにこれ、8月くらいにもネットで話題になりましたよね。

マルチ商法を推奨しているアホな議員 - NC-15
マルチ商法事件には政治家がよく話題に出てくるという話 - 秋嵩Libra

「マルチ商法好きか」と言われて、「はい」と答える人は、それをやっている人以外ではあまりいないと思われます。マルチ、というかネットワーク商法はたしかに違法ではありません。しかしこれは違法行為に繋がりやすく、周りに迷惑をかけやすい(知人が填った人ならよくわかりますよね)、しかもこれに参加した人もよほどうまくやらなければ破綻する可能性が高いということが言われてます。そう、たしかに違法ではないかもしれませんが、嫌われる人からは蛇蝎の如く、それこそ振り込め詐欺や悪徳商法同然に嫌われているのですよね。ネットでは初期から、このマルチ商法を警告するホームページが数多くありました。悪徳商法?マニアックスさんとかもそのひとつではないかと。

ここで疑問に思うのが、何故これほどまでに嫌われているものに、政治家が肩入れしたのかということ。私の予想ですが、おそらくは広い意味で「無知」だったのではないかと。それはこのマルチ商法というものの問題に対しても無知だったし、そしてこれがどれだけ多くの人に嫌われているかということに対しても無知だったと(もしそれらをふまえてやっていたのだったら、救いようがないですが)。でも、弁護する気はさらさらないですが、ある意味においてこういったどれだけの人に嫌われているという情報は、認知するのが難しいのですよね。とりわけリアル社会での会話や、マスコミのニュースなどからしか情報を得ていない場合は。

考えてみれば、リアルの一般的な会話で、「自分は○○が嫌い」というのを自ら言い出すというのは、実はそんなに多くないのではないかと。それにはいくつかの理由があって、まず、その○○が他の人が属しているとか、好きな場合がある。そうすると場が一気に悪くなるので言えないと。そこまでではなくても、和気藹々とした会話の中で、あまり否定的な話題や暗い話題を出すのは躊躇われますよね。まあ、気のおけない人たちと酒でも飲んでいれば、そういった話題も出てくるでしょうが、やはり「○○が嫌い」という話題は、親しさがそれほどの場合は、あまり出せないと。たしかに「自分はあの芸能人が嫌い」とか「同僚の○○が嫌い」なんて話題を言い続ける人に対してはちょっと引くでしょうし(そのへんもさじ加減だとは思いますが)。話す方も、その空気を破ってまで話すことはないと。井上陽水の「傘がない」じゃありませんが、都会で自殺する若者が増えていることより、今日雨なのに傘がないことのほうがはるかに重要という感じ。そういう意味では、好きなものの利点を主張するより、嫌いな理由を説明する方が何倍も難しいのかもしれません。さらにマルチの場合、この話題を持ち出したことで妙ないざこざ(押しかけてきてマルチのすばらしさを延々と説得させられる)に巻き込まれる危険性を警戒しているという可能性もあります。

また、マスコミがこのマルチ商法に対して国民がどう思っているか、それほどとりあげなかったというのもあるでしょう。これも政治家がバックにいた、マルチ会社がスポンサーだったから、あと一応合法なので訴えられる危険性を回避したなどいろいろ考えられますが、やはり暗い話題は避けられる傾向にあったのも原因ではないかと。

そういうわけで、情報取得の視野が狭かった場合、このようにマルチもそれほど嫌われているわけではないと思ってしまうのではないかと。政治家は、この表面には出にくい「嫌い」の空気を読み誤っていたのではないでしょうか。「サイレント魔女リ」、もとい「サイレント・マジョリティ」という言葉ありますが、これはあながち詭弁で使われるだけではなく、サイレントな部分にその「嫌い」があったとも言えます。今回も、マスコミがとりあげ、サイレントではなくなったことで「王様は裸だ」と子供が言ったあとのように、リアルでも「マルチ商法は嫌い」という会話が堂々となされるのかもしれません。


では、何で我々はマルチ商法が嫌われているのかと知っていたのか。それはやはりネットユーザーだからではないかと。ネット、とりわけ2chなど匿名性の高いところというのは、そういった「自分は○○が嫌い」というのを堂々と言える場所です。いや、匿名関係なく、多くの場所でそういう空気が出来ているのかもしれません(もちろん「好き」と言い合っている人の中で「嫌い」と言ってはマズイ場所も存在しますが)。もちろんそれを表明することで、個人の誹謗中傷などよく言われているような問題もあるでしょうが、マルチや悪徳商法のように、本当にみんなが嫌っているもの、迷惑しているものの話題について隠れないというメリットも存在するのではと。少なくとも、自分で調べるきっかけにはなりますよね。よく、ネット世論と現実社会の隔離が言われることがありますが、別に根底は同じで、それを隠しているから、明らかにしているかの違いでしょう。ネットに触れているのは人間なのですから。

ただ、何故その声があまり現実の会話で出てこないかというと、その意見がもしかしたらノイジー・マイノリティ、つまり声の大きな少数の人が言いまくっているだけという可能性を警戒しているノかもしれません。今回の件だって、マルチ商法を嫌っている人がどれだけいるかというのは、わかりにくかったわけですし。でも、このように一度出てくれば、同意する人が増えると。そう考えると、現状ではマスコミってのはコンバータ的な役割があるのかな?(完全に果たせているかどうかはわかりませんが)


今もマスコミや一般社会ではそれほど話題にはなっていないのに、ネットではかなり嫌われているものは多数あります。それらはネット上だけの声、人によってはノイズとして潜み続けるのでしょうか、それとも今回のように、いつか顕在化し、現実社会で声高らかに発言されるようになるのでしょうか。