空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

勝ち組と負け組の基準って結局何?

もしかしたら、リア充とかといっしょに語り尽くされていることかもしれませんが。

秋葉原の例の事件で「勝ち組」「負け組」なんて言葉が出てきて以来、前から思っていることも兼ねていろいろ考えてみたのですが、じゃあ勝ち組、負け組っていったい何か、というのを考えてみました。しかしいくら考えても現在マスコミで使われているような、人間の人生全体を「勝ち組」「負け組」とするようなものの基準というのがわからないのですよ。*1それは以下のようなパターンで、どれが勝ち組か、どれが負け組か、定義づけることができないからです。

《ケース1》
収入は高くなく、家も借家。そして子供が5人もいるため家計も圧迫している。だけどへとへとになるまで残業して家に帰れば、子供が寝ている。その元気な寝顔を横目で見ながら女房が飯(ご飯と安い魚)を出してくれる。感謝して食べ、そのまま明日に備えて寝る。たまの休みには疲れている身体に鞭打ちながら子供と近所の公園で遊ぶ。そんな毎日の生活。

《ケース2》
社会的地位があり年収はかなり高い。しかし結婚した女房との仲は冷えている(どうやら他に愛人がいるらしい)。家では会話の一つもない。ただ、世間体があるので離婚や別居が出来ない。友人はいないが立場上すりよってくる人は多い。

《ケース3》
ケース2と同じ人。定年後、病気となり寝たきりに。ただし妻は寝たきりになると同時に離婚宣告される。幸い蓄えはあるので十分すぎるほどの介護は受けられるが、ここ数年、介護担当の人以外とのやりとりはない。

《ケース4》
妻に財産を持ち逃げされる。だけどその後、友人がなぐさめてくれたり生活を保障してくれたりで、友達のありがたさを感じつつ、生活を徐々に取り戻している。

《ケース5》
ケース1と同じ人。定年退職後、身体を壊して数年後には寝たきり。最近は満足な介護手当が支給されない上、蓄えもそんなにないので捻出に苦労している。ただ、妻のほか、独立した5人の子供が交代で介護にきてくれているので、一人に負担をかけずにすんでいる。もっとも、ケース3よりは機具や受けられる医療が不足しているが、それを工夫で補っている。誕生日にはみんなで集まって、パーティーを開く。

《ケース6》
収入はそこそこ。でも、ちょっと忙しいながらもストレスにはなっていないので会社を辞めるつもりはない。まあ、結婚はしていないし、老後や今後の収入の心配はないわけではないけど、友人はまあまあいるし、なんとかなるかなと思っている。

《ケース7》
ニート。でも今が楽しい。

《ケース8》
身にそぐわない贅沢をしてしまいカード破産。風俗で働くも、身体を壊す。その時から宗教に嵌り、財産をすべて寄進&破産。だけどその宗教のために働けるので、充実していると本人は語る(そういえば、闇金ウシジマくんにも似たようなのがいたな)。

これ、財産をもとにした場合の勝ち組、リアルの生活状況をもとにした場合の勝ち組、そして本人がそう思うか否かの場合の勝ち組で、全部YESかNOが異なる気がします。ある意味においては、ニートの『働いたら負けかと思っている』という台詞は、本人がそう思うか否かという点を基準とするならば的を射ているとも言えます。逆に言えば、どんな立場にあろうとも自分の意識次第では負け組になるということでもあります。

今、これがすべて一緒くたにされて勝ち組とか負け組と言われているような気がするのですね。となると、前述のように視点が違うのですから、ある方面で勝ち組の人がある方面で負け組になることはよくあるのではないかと。もともとこういう意味で使われていなかった言葉が、変形したものですからね。かなり不完全な言葉ではないかと。

■参考:勝ち組 - Wikipedia

それなのに、よくこれが画一的な基準のあるもののように使用されることは多いような。だけどこういうことを言うと、さらに「負け組の思想」とか言われるのも何故かと。そもそも何かと比較しないと勝っていると思えないってことは、本当は勝っていないんじゃないかと思ったりします。


だけど、今日も報道には「勝ち組」「負け組」という単語が踊ります。

*1:何かの売り上げとか、明確な基準があるものならある意味言葉遊び的なものも含むとしてわかるのですけどね。