空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

犯罪をゲーム等のせいにすることは、その犯人の罪を減らしてしまうことに繋がりかねないという話

珍しく真面目な話。

アキバの前に起きた江東区の衝撃的な事件、これで犯人は「ゲームやアダルトビデオを見ているうちに女性を監禁しようと思った」と言っているそうです。
しかし、この手の『○○(ゲームやらアニメやらマンガやら)に影響された』という話、何故犯人はそのように言うのか。これ、おそらく理由があると思います。おそらくは「責任転嫁」。つまり、自分の意思で起こしたのではなく何かのせいにすることで、自分の意思による責任をそれの影響に転嫁しようとするもの。アキバの事件の犯人の言っているらしき台詞、「会社が悪い。親が悪い。社会が悪い」と対象が違うだけで似たようなものですね。心理的には、子供が「△△ちゃんが悪いんだよう〜」と親に怒られるのを回避しようとするものと似ていると思います。ま、子供の場合はたいてい親に余計怒られるオチですが、ごくごく希にそれを信じてその他の子の親に文句を言うモンスターペアレントがいるとか。

しかしこの犯罪者の理屈、今に始まったものではなく、捕まった犯人に対して裁判中などでもよく使われているものです。例えば1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件では、犯人は黒澤明の映画『天国と地獄』に影響されて誘拐に臨んだと犯人はかたっているようです。そりゃあ世界の黒沢監督もいい迷惑ですな(ついでに『天国と地獄』では殺人は起きてないはずです)。

吉展ちゃん誘拐殺人事件無限回廊さん)

もっとも家庭環境など、本当に考慮すべき場合も存在しますが、多くはそれで情状酌量されることを狙った、責任転嫁である弁明も存在します。というか、判断するのは裁判所なので、言うだけならタダ、もし罪がそれの影響と認められて軽減されればもうけもの、って思っている人もいるでしょう。まあ実際の判例では、そういった要因は阻却されることがほとんどですが。そりゃあ、子供の「△△ちゃんが悪い」的な理屈を真に受ける人はそうはいないでしょうね。


しかし何故かこの『○○の影響』という犯人の言い分、マスコミに出ると何故か信じてしまう人が増えます。特にその分野に興味のない人。しかしこの『○○の影響』というもの、論理的に考えるとこれを受け入れるということは、その犯罪者の罪や責任を軽減していることにはならないでしょうか。

すなわち、犯行が「○○の影響」と言う人は、それがあるから犯罪が起きる(増加する)という主張ですよね。つまりは、そのものに犯罪の影響があると認めているわけです。では、その時犯罪を起こした犯人はどうなるのか。その○○に責任があるということは、その犯人はある意味においてそれに影響された犠牲者でもあるということ、つまりはその犯罪は○○にも原因があるので、その分(影響を受けた)犯罪者の罪が軽減されるというロジックに繋がらないでしょうか

すなわち、他の媒体のせいにすることによって、その犯罪(の一部)を許してしまっているということにもなり得るのではないかと。罪を憎んで人を憎まずを自分の立場でも徹底できるような人ならある意味立派ですが、さすがに私や多くの人は、犠牲者や遺族のことを考えると、そこまで寛容できる人はあまりいないでしょう。

でもこれ、前述のように犯罪の度に言われたり話題になったりしています。ある意味、犯罪者にマスコミ、そして社会がいいようにかき回されているとも言えるかもしれません。


これから数年後、裁判員制度が始まります。しかし、このように「何かに責任転嫁する」という土壌を許容してしまった場合、その関係ないものを悪者扱いして、本当に裁くべき犯人を100%適切に裁けない可能性が出てくるのではないでしょうか。またさらに一周して、本当に叙情酌量すべき事情(家庭的、環境的事情とか)を考慮できなくなる可能性もあります。そのあたりのこともきちんとしておかないと、裁判で全員が全員『○○が悪い』と言い出す可能性はあるでしょうね。願わくば、それを信じ込んで減刑してしまう人が出ないことを願います。