空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

恐怖のイメージはアイテムと結びつきやすいと思う話

何の偶然か、先週はあちこちで昔のエロゲーに関連のあることばかり書いていたような気がします(おそらくOTSU#2行った影響かも)。せっかくですので、それに関連してもうひとつ。

ハサミ、トースター。

……これを見て、どう思いますか? 別に何とも思わなかった方、それは普通だと思います。ただこれ、10年前にとあるコミュニティーでは恐怖のイメージそのものだったのですよ。それはLeafさんのエロゲー『雫』を語る場で。このゲームはもともとサイコホラー(サスペンス)要素が強く、その中にはBADENDもあるのですが、そこでヒロインの女の子の衝撃的な死因となってしまうものがハサミ。そしてトースターは、主人公のせいで町中の人が発狂してしまうわけなのですが、そのことを忘れて朝、目が覚めてみると、その大事件のニュースが流れているテレビを横目に朝食を作っている主人公が「ああ、大変なことをしてしまった」の次に最後に放った言葉、「トースターの電源を入れ忘れていた」からくるものです。これがわかっている人の間では、「ハサミ」「トースター」だけでも、その怖さの象徴となったものです。

しかしこういった「アイテムが恐怖のイメージを持つ」というのは、そこで始まったことではありませんよね。たとえば「電動のこぎり」も、本来は林業の道具であるのに、映画「13日の金曜日」で、一気に殺人鬼が持っていそうなアイテムのイメージを負ってしまいました。おそらく今なら、ひぐらしのなく頃にの「おはぎ(というより針)」「ナタ」とかでしょうか。

こんなように、「怖い」というものは、そこにあったアイテムと密接に結びつきやすいのではないか、と思ったわけです。そしてそれは直接的に残酷な「血」やら「肉」、それに「包丁」「銃」「電ノコ」のように、(普段は無害でも)それ自体が殺傷力のあるものではなくて、「トースター」みたいな、そこにあっただけのものでも。たしかに、幸福なシーンなどでもアイテムとそのシーンを結びつけるものは多く存在します。よくあるのだと指輪とかね。だけど、恐いと思う部分では、それよりもさらにアイテムと直結しやすいのではないでしょうか。

ちなみに今日のエントリーを思いついたのは、たまごまごごはんさんが「多重人格探偵サイコ」のところで「ポカリスエット」という言葉を出されたからです。

猟奇・陰惨物はなくならない。〜嫌悪感生成機械としての表現〜

まあさすがにそれ単体で飲めなくなるものではないですが(ポカリの日常的要素が強いので)、マンガ読みながら飲むの
はさすがにキツいですな。余談ですが、ホラーの巨匠、楳図かずお先生の『神の左手悪魔の右手』では、ケーキが恐怖の対象となることもあります(実は今でもけっこうトラウマ)。

そういえば、このイメージを使って、たとえ普通はそんなに怖くないものでも恐怖のイメージを与える作品ってありますよね。例えば何かのものが常に落ちていて、それがだんだん主人公の周りに増えてきて、そのうち殺人事件とかも起きて、とうとう怪しげな人影が……みたいなの。


逆に言えば、これを利用してあるものを怖く思わせることも出来るわけで。ちょうど別ブログで「時計じかけのオレンジ」について書いていたのですが、これの「ルドヴィコ療法」もそんな感じですよね。恐怖とはちょっと違いますが、好きだったベートーベンの曲を嫌悪するようになるという。

さて最近では、とある殺人事件の犯人がなんらかのマニアだったりすると、そのアイテム(主にゲームやアニメ、マンガ)を報道します。さてこれは、報道する人が今までにそのゲームに対して「怖い」というイメージを植え付けられたからなのか、それとも上のように、意図的に「怖い」と思わせるためにやっているのか……。もし後者なら、本当に怖いのはその行為自体ですね。