空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

はたしてドラえもんに「心」はあるのか

さて、ここのところドラえもん関係でいろいろと書いてきましたが、今日はそういったドラえもんの話の中でも、一番の謎であり、そしてそれに答えるのも一番難しいと思われるものを書きたいと思います。


前に「セワシには自我がない?〜「物体瞬間移動機」は魂を殺すか 」のエントリーを書いたとき、本と映画と、時々仕事さんからトラックバックを頂きました。そしてそこに面白いことが書かれていました。ちなみにお名前は知っていた方でしたのでちょっとびっくりしました。(同人誌持ってます>私信)


■「魂」の話・瞬間物質移動機①
 http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53854086.html
 同②
 http://blog.livedoor.jp/magimagi7/archives/53854255.html


さて、ここで興味深かったのは「哲学的ゾンビ」という単語。これはすなわち、「外見は人間と同じでも、内面的な意識(魂、心)を持っていない人間」を指します。(詳細はWikipedia「哲学的ゾンビ」をご参照くださいませ)

で、この前のエントリーの例だと、魂が抜けてしまった下界の人々がこれに当たるわけですね。エントリーではそれを「転送機を使った未来の人々」に当てはめて、ひょっとしたら、未来の人間には魂はないのでは?と仮定したわけです。

しかし、それよりももっと重大、かつとんでもないことに気づきました。それは人間ではなく「ドラえもん」自体に、はたして「自我(心)はあるのか?」ということです。

現在でも「ロボット」というものは存在します。しかし、アニミズム的なものでなければ、それに心があるなんて思っている人はあまりいません。ホンダのアシモも、はてはAIBOもそういう風に(心があると思って)振る舞うものの、心の底から本気であると思っている人は少ないでしょう。少なくとも恋愛や人生相談をロボットに出来る人はほとんどいないと思います。
ちなみに余談ですが、「ある」(というより「機械に心が生まれる」)ということで書かれている作品では、楳図かずお先生の『わたしは真悟』という名作がありますので、機会があったら読んでください。([asin:409192431X:title]


では、現在のロボットがこうなら、ドラえもんはどうでしょうか?そう、ドラえもんには人間と同じような「自我」はあるのでしょうか?もしかしたら、アニメや漫画の中では総じて、人間に対して「心」があると思わせる行動をしているだけかもしれないのです。そう、笑っている姿も、起こっている姿も、それは人間がそう思っているだけで、実際は「人間にそう見せるために」出力された結果なのではないかと。これはドラえもんだけではなくて、ドラミちゃん他未来のロボットすべてに言えます。もっと言ってしまえば「鉄腕アトム」のようなキャラにも全く同じことが言えます。

もちろん現在のロボットやコンピュータとドラえもんは違い、ドラえもんの場合は明らかに人間と同じような思考が出来ます。しかし「知能がある」ということは「心がある」というのとイコールにはならないのです。たとえ知能が低くても、人間は動物には「心」があるとみなしていますが、コンピュータにはみなしてませんね。

しかし、この問題は超がつくほど困難、というか現在考えられる限りでは不可能です。それは、同じ人間自体も、他人に心があることを証明する術はないわけですから。それこそメタな領域に行ってしまえば、自分以外はみんな作られた人間だとか(なんか思春期に想像しそうな妄想のような感じですが)、そんなことも言えなくもないのです。

SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(映画の『ブレードランナー』って言った方がいいかな?)では、人間界で潜んでいるアンドロイドを見抜く方法として、動物に対する感情でその反応を確かめる方法(フォークト=カンプフ感情移入度測定法)なんてのが使われていますが、作品中でもそれは不完全なものとなっています。というのも、それに対する反応まで、人間と近くなってきているからです。
そして、自分が人造人間だとわからない人造人間まで出てきます。
しかしこの場合でさえ、人間にとっては「人間にもそう見えるように振る舞っているアンドロイド」という「心の存在しない物体」でしかないのです。

まあこの辺まで来てしまうと、「独我論」とかもう難しい哲学の領域になりますので割愛させていただくとします(正直哲学方面はあまり得意ではないので)。とにかく、「心」というものを証明する手段はないのです。


それでは、ドラえもんはロボットである以上「心」がないのでしょうか?しかし、それに対する完全な答えではないものの、こんな考え方があります。
それは岡崎二郎氏のマンガ、『国立博物館物語』3巻の最終話からです。ヒロインの弥生は、人間と同じ思考が出来る(自分自身を批判することの出来る)コンピュータに、「あなたは心があるの」と訪ねます。そして、コンピュータにもその答えは導き出せません。しかし、弥生はこう答えます

きっとスーパーE(コンピュータの名前)には心があるはずよ!!
私たちがそう感じたのなら、そこに「心」はあるんじゃないですか?

「心」を持つものが「心」を感じたら、そこに「心」はある、という考えです。
これも人間の意識の問題で、証明する手段にはなりません。だけど、のび太たちが「ドラえもんには心がある」と思っているのだったら、ドラえもんには「心」があるのではないでしょうか。少なくとものび太たちにとっては、ドラえもんは「心」を持っている友人でしょう。


ちなみに未来の世界ではそういった面も現代人には予想もつかないところで発達して、それを証明する手段があるのかもしれませんね。


最後に……まあこの文章は科学論を心情論で落としており、ラスト周辺の文章も最終的な結論とは成り得ません。最後の引用につきましても、ご判断は読まれるそれぞれの方におまかせします。