空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

スネ夫が携帯電話を持つことの不安

ネット上ではこのニュースが話題になっていますね。


■のび太くん、しずかちゃんが「変身」(リンク切れ)

■ドラドラニュース(公式ページ) (リンク切れ)

今までのドラえもんが声だけでなく見た目もかなり変わるようです。
これの是非はいろいろあるでしょうが、私が気になったのは服装よりも公式に書かれていたこの部分です。

これまで登場しなかったひもぐつをはくようになったり、スネ夫が携帯電話を使っていたりなど、現代の生活を反映した変更も織りこまれていく予定!!

さて、この携帯電話の部分、以前私が書いたエントリーの所と関連して、非常に高いリスクを抱えているように感じました。


■携帯電話はすれ違いストーリーを難しくしたのか
 http://d.hatena.ne.jp/nakakzs/20070312/1173706817


このエントリーでは、携帯電話が普及したことによって、昔ならば「すれ違い」として使えたシーンでも、現在では読み手に「何で携帯使わないの?」というツッコミどころを与え、物語を不自然にする危険性がある。そのためにこういうシーンをやるためにはいちいち携帯が制約を受けていることをどこかで表現する必要が出来てしまっている、ということを書きました。
そして、リニューアルしようとしているドラえもんは、この問題を抱えているのではないでしょうか。というのも、通信手段を持つことで、今までのドラえもんの話でスネ夫がやっていたことを封じてしまう可能性があるためです。

例えば、のび太がみんなの位置をいつでも知ることが出来るようにする道具を出してもらうことがあります。(出だしはのび太が野球チームのマネージャーになって、全員に試合の予定を伝えるために町を歩き回るところからだったと思います)しかし、携帯電話持っていれば、少なくともスネ夫に関しては探す必要はなくなるわけです。また、スネ夫がのび太のしくんだ怖いものに追いかけられることがありますが、それの時も逃げ回る時、「何で携帯で助けを呼ばないんだ?」とツッコまれる恐れが出てきてしまいます。
つまり、事実上「すれ違い」、「隔絶」、場合によっては親からの「逃走」もできなくなるわけです。(ちなみに子供の携帯がOFFになる状態は、現代では親がかなり心配するので、それも封じられる可能性があります)

そして、一度でも携帯電話を持ってしまうと、持っている描写はなくても、視聴者にとってはその後にほぼ全てのシーンで「携帯電話を持っている」という意識をされてしまうからです。それは携帯電話の性質上、まずそれを持っている人は普通なら持ち歩くのを前提とするからです。それこそ携帯を持っていないという描写をわずらわしくも毎回入れない限り。(ちなみにたとえ壊す描写を入れても、その後ずっと持たない、という考えに至るのは携帯電話の性質上難しいでしょう)

もし、スネ夫以外のキャラまでもが携帯を持ってしまったら、相互の連絡までもが可能になってしまい、リスクはさらに加わるでしょう。


では何故、今までは携帯を出さなくても全然不自然ではなかったのかというと、これは私の個人的な考えでしかありませんが、ドラえもんという作品の空間は「時代」という概念をあえて薄くしていたからではないかと思います。
現実的にはF先生がまだ存命中だった平成初期にも、舞台となった練馬区内では開発が進み空き地なんてありませんでしたし、ハタキで叩く本屋もなく、ほとんどはビニールシュリンクをされていました。しかしそれを出すことはなく、かといって昔を全て残しているわけでもなく(ゲーム&ウォッチとかファミコンとか出てましたしね)、あのドラえもんの住む世界は時代の中性的空間のように感じられました。私の見る限り、その空間は新ドラになっても今まで変わってなかったと思います。しかし、今回はじめてその「時代」の部分にファッションやグッズという形で手を入れようとしているのではないでしょうか。
まだ新しい作品を見ていないので肯定も否定も出来ませんが、制作者の方達は、かなり難しい道をあえて選んでいるような気がします。


ちなみにドラえもんでも他の道具を使えば簡単に解決する問題を、新しい道具を出して解決する場合、ドラえもんが「あんなのとっくに壊れたよ」とかで封じることがあり、ほとんどの場合不自然さを感じずに済みます。
もし、新しいドラえもんで携帯電話が使われる場合、そのような「封じ手」がちゃんと機能するか、それが気になるところです。


ま、これを乗り越えて素晴らしい作品が生まれれば、それは喜ぶべきことなのですが……とりあえずは様子を見てみようと思います