空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

実際に見ていない作品の感想は危険だけどよくあり得るという話

今日は自戒を込めて。

私はテレビアニメをあまり見ていません。理由は簡単でそこに時間を割いたらいよいよブログが更新できなくなるか、仕事が全く出来なくなるので。ですが、ブログなりTwitter等では部分的にアニメに対して触れることがあります。最近なら『とらドラ!』なり『らき★すた』なりについて触れた記憶があります。しかし、前述のようにこれらをアニメとしてはあまり見ていません(『らき★すた』は後からDVDで見たけど)。じゃあ何で語るのか、というと、殆どの場合はこの2つとも原作、つまりラノベとコミックを読んでいるので、それに準拠して語っています。つまりアニメで盛り上がっている時も、語る内容は「アニメ」「原作」の共通項と思えることについて(つまりキャラとか共通のストーリー)が主なんですよね。

んで、昔書いたのの一例。

■参考:泉そうじろうはオタク男の理想像かもしれない - 空気を読まない中杜カズサ

さらに、最近はネットを巡回しているとほかのサイトの感想なり掲示板やTwitterの話題で、ある程度その作品の概要がわかってしまうことが多いです。例えばコードギアスではあのキャラがどうなるとか。たしかにこれらは見なくても概要がわかるという意味で、役に立つ情報源であるとも言えます。しかし反面、この状態でその作品について何かを語ろうとする時は、非常に危険な要素を孕んでいるとも言えます。なぜなら「本当はその作品を見ていないのに、その作品を見たように錯覚して語ってしまうから」。

つまり現代においては、実際にはその作品に触れていないのに、周辺知識だけがいろいろと集まってしまうため、やろうと思えばネット上などでは一応見たように振る舞えてしまうのですよね。たとえば最近巡回していたら『とらドラ!』のアニメと原作違いがどうだとかいう話が一部で賑わっているようですが、正直私は現在片方(ラノベの方)しか見ていないので、それについて深く語ることは難しいです。しかし、ここに書いている意見を一通り見ると、それをふまえて語ってしまうことというのが表面的には出来てしまうような気がします。

これは何もアニメだけではありません。たとえばゲームでも、FF7の○○○○(一応伏せ)死亡とかは、ゲームをやったことのない人でも多くが知っている展開だと思われます。もっと古く言えば『はんにんはヤス』もそうですかね(つか、今リアルタイムでポートピアやった人って、多くは20代後半以降だろうし)。

ですが、これは非常に危険な状態であると言えます。それはネット上の情報、もしくは他人の意見が必ずしも正しいとは限らないから。正直、正しいように見えても実は間違っている、もしくは論点がずれているというものはネット上に限らずいくらでもあります。それは悪意がそうさせる場合もあれば、本人は正しいと思って語っていても間違えてしまうものまで。正直これは誰にでも言えます。このブログだって悪意はなくても、人間である以上間違いはあるでしょう(そうならないように気をつけてはいますが)。しかし、その間違ったままの情報を鵜呑みにしてしまう可能性があるのです。つまり、本当はその作品では全然見当違いなのに、作品を見ていないばかりに伝聞のそれを鵜呑みにしてしまうことがあると。そして、その間違った見解の上に自分の意見を重ねてしまう危険性があると思うのですね。

たしかに人間だからそれを最初に見た人がちょいとミスリードをしてしまい、間違ったことを書いてしまうのはある程度仕方のないことだと思いますが(指摘などがあってわかれば直すのも容易ですしね)、ここで厄介なのは作品を見ずにそれを見た人が「自分のもとにした情報があっている」という錯覚を及ぼしてしまうことではないかと。そうなると論じ合うところにおいて前提が違うわけですから、そもそも議論自体がすれ違いになってしまう危険性があると思うのです。

今もネットではいろいろなものが論じられていますが、それについて100人が語っていたとしたら、そのうち何人かは両方の作品には触れておらず論じられている可能性も全くの否定は出来ないでしょう。

昔からこの手のもので批判が集まるのは、Amazonにおける発売前のゲームレビューですね。発売前の情報は当然そのゲームをやったものではありません。しかし前情報や前作をもとに語られています。そして百人のうち1人でもその「やってないけど評価している情報」をあてにしてしまうことは、危険が高いのではないかと。


ただ、「見ていないなら絶対に何も語ってはいけない」というのではありません。その周辺知識だけで語れることもたくさんありますから。たとえば前述の「犯人はヤス」もそれだけならある程度記号化しているってのもありますし。問題なのは、それを実際に見ていないにもかかわらず、さも見たように振る舞って語ることだと思われます。

最近は一つの作品について多くの書き込みが出ますし、そういうのをまとめた感想、投票サイトもありますが、正直そういう「やってるの?」というものが混じっていることがあります(特にマイナス票が入るものについては)。私の場合は点数はほとんど無視して、その書かれている文章によって判断します。それがきちんと書かれていればその人の意見を受け止めますし、具体的にその論拠がなければスルーするという感じ。

そしてそういった文章(特に短文)を読む側も、「この人は本当に見て、読んで、やって語っている」という前提を一度疑って読み、そして納得したなら受け止めるというように、判断する目を持つべきだと思います。これは作品だけではなく、ネットの情報全体に言えることでしょう。

というわけで、ネット上の多くのもの、言ってみればこのブログのエントリー自体も過信はせず、怪しいと思う所があったら疑ってみるのがよいかと。そしてそれは何もネット上のものだけではなく、新聞や雑誌やテレビ、人の意見なども、「疑う」というと言葉は悪いですが「それを鵜呑みにせず自分で考え、判断する」という癖はあったほうが何かとよいと思ったりするのです。