とても幸せだった…
それが日常であることをぼくは、ときどき忘れてしまうほどだった。
そして、ふと感謝する。
ありがとう、と。
こんな幸せな日常に。
ネットの世界を駆けぬけ、炎上した火の粉がブコメにつくことだって、それは幸せの小さなかけらだった。
永遠に続くと思ってた。
ずっとぼくはネットの世界で跳ね回っていられると思ってた。
幸せのかけらを集めていられるのだと思ってた。
でも壊れるのは一瞬だった。
永遠なんて、なかったんだ。
知らなかった。
そんな、悲しいことをぼくは知らなかった。
知らなかったんだ…。
……とまあ、前世紀からネットをやっているオッサンでは有名だけど、今アニメ「Charlotte(シャーロット)」を見ている人のうち、何割がこれを見てピンとくるかなあというくらい発売から時が経ってしまった『ONE~輝く季節へ~』(1998年)の出だしフレーズの改変からスタートするという、これまた前世紀のテキストサイト風、もしくは増田風にはじめてみました(引用:瑞佳ワールド)。
現在、iOSにおける広告ブロックでいろいろな記事が出てますが、こういった心境の人もいるかも。それこそ、
「えいえんはあるよ」
彼女は言った。
「ここにあるよ」
確かに、彼女はそう言った。
永遠のある場所。
…そこにいま、ぼくは立っていた。
という感じで声かけられたら旅立ってしまうくらい。
これで今日書きたいネタの半分以上は書ききった感じなんであとは軽く。
賛否両論含めて話題になっているiOSのアドブロック問題。ただ、以前のエントリーでも書きましたが、こういう日、つまりアドブロックが広まるという日は来ることを予見していた人は多いのではないかと思うのですよね。というのは、こういったユーザビリティに引っかかるものというのは、排除されるというのがネットの常でしたから。
前世紀からネットをしていた人は「ポップアップ広告」というものがおなじみでしょう。ネット黎明期には広告手段としてよくあったもので、ついでにブラクラ(今よく使われる制震できブラクラではなくて、本来の意味でのブラウザクラッシャー)としても使われていたものです。それを防止するためにフリーソフトを入れたりしてた人もいるでしょう。
ただ、現在ではポップアップ防止はセキュリティソフトには常備してあるどころか、ブラウザにもセットされています。
でも、ポップアップ広告がなくなったからといって、広告がなくなっていないのはご覧の通り。
おそらくそれと同じように、数ヶ月もすればアドブロックを乗り越えて表示させる方法が出てきそうな気はします。それも気にされない形で。
あくまで予想ですが、Googleあたりがそれ用に引っかからないコードを作りそれへの張り替えを推奨して、それがまたブロック、そしてまた……という感じで当面続くような。
そしてその次には、現状の広告とはまた違う、新しい方法が生まれるのではと。それが現在の形での広告と言われるものと近いのか、全く別のものになるのかはわかりませんが。
そんなわけで来年くらいにはこんな騒動が起きてたこと自体、ほとんどの人の記憶から消えているなんて可能性もあります。まあ未来は予測できないので、そうじゃなくてまだ騒ぎが続いていたり、もしくは本当に広告の存在がかなり縮小している未来もないとは言いませんが。まあたとえそうでも「ネットでコンテンツを提供することで、報酬を得る仕組み」というのは新しく生まれているのではないかとも思えますが。そういう需要が存在する限りは供給は出てくるので。
個人的には前世紀に存在したWeb投げ銭的なものが出てきたらおもしろそうだなあと思ってます。