空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

子供向けのトラウマ話や歌が存在する理由について考えてみる

以前、本で読んだことがあるのですが、アメリカのとある州では不良少年の更正プログラムとして、興味深いことが行われているそうです(今はどうかわかりませんが)。それは、「刑務所の一日体験入獄」。つまり少年達に「将来このまま犯罪を続けていったらこうなるぞ」というのを見せつけるというわけです。私は本で読んだのですが、テレビのドキュメンタリーでもやっていたらしいですね。

■参考:不定期刊行物【賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る100の実験】第25号 2003/1/1発行

上で書いているような囚人の脅しだけではなく(おそらくはそういう役を買って出た囚人なのでしょうが)、死刑になった囚人を入れる冷蔵庫を見せたり、暴行を受けて死亡した囚人の写真を見せたりもするとか。で、このプログラムはかなり効果があり、わりと多くの少年がそのうち更正したとか。もちろんこのプログラムの直接的影響だけではないでしょうが、おそらくそれなりの効果はあったと思われます。

つか、日本でも出来ないかなあとか思いますよね。犯罪行為だけではなく、麻薬の依存症とかその他犯罪行為とか。おそらく大学とかで麻薬を使っているしている人の中には、このような行く末の知識がない場合もありそうですし。ただ、人権問題や制度上の問題で無理なのかなあ。


しかし、これってある意味「トラウマを植え付ける」ようなものですが、これって考えてみれば小さい頃から何気なく、それも大昔から行われているのですよね。有名なところだとこんなの。

パンをふんだ娘 - Wikipedia

これの演劇を子供番組で見て、トラウマになった人はいるのではないでしょうか。

日本でも「夜遅くまで起きているとお化けが〜」とかありますよね。言ってみればこれも、トラウマを植え付ける教育という面では、先の更正プログラムと同じかもしれません。あと、小中学生の時に社会科見学や修学旅行で原爆系の展示を見た人もけっこういるのではないかと。あと、免許を取る時の学科教習で教官が飲酒運転をして暴走した末の人がどうなったかというのをリアルに話していてかなり印象的でした(教習ビデオは車のみで人がどうなったかは出てこなかったけど)。

さて、このように強烈な印象を与えるものというのはかなり効果があるのですよね。子供の頃に受けたこういうトラウマ教育の話題が話に挙がることがありますが、それなりの効果があったのでしょうね。この手法は原爆反対とかならまだしも、行きすぎると恐怖政治的プロパガンダに繋がる危険性があるかもしれないので、無制限に行われるとそれはそれで問題はあるでしょうが、ものによっては気持ち悪いだけではなく、効果敵なのでしょうね。なにしろインパクトが絶大なのですから。


しかし、何故か子供の頃に教わったものでは、教育的要素もないのにトラウマを植え付ける類のモノってわりとあるのですよね。で、教育的要素のあるものは、なんとなく気持ち悪さを覚えても「ああ、これは原因→結果なんだ」ということが理解できます。先のパンをふんだ娘は、食品のを大事にする、原爆資料館なら原爆の悲惨さを伝えるなど。しかし、今まで衝撃を受けたものにはそういったものではないものもあります。歌なら『ヒポポタマス』『一人ぼっちのボク』『チコタン』みたいなの。物語なら病気の子供のために禁止されている鳥を捕って、親が殺されてしまう話とか。あと、藤子不二雄Aのマンガにもけっこうありますよね。

■参考:すごうた1

さて、今考えても何でもない人が巻き込まれたりと、教訓的要素がないのですよ。でも、考えてみると別に文化がかならずしも教育的要素を含んでいる必要はないわけですよね。ならこういうのがあっても自然といえば自然です。

そして、この「据わりの悪さ」ってのも、一種の恐怖的感情を呼び起こさせる要素なのかなと。これはアンチ勧善懲悪にも言えるかもしれません。ある邦画で残虐なことをした権力者があとで報いを受けるとなんとなくおさまりがつきますが、それにもかかわらず「一生幸せに暮らした」とかだったらすごい据わりの悪さを覚えます。例えば昔の邦画グロテスク系映画で、残虐行為を行ってキリシタンを何人も殺害した長崎奉行が最後罰せられるのではなく、その功績をたたえて出世してしまうという話があるのですが、なんかすごい据わりの悪さを覚えます。あと以下の歌の最後の方のモノローグも、それを意図して作成されているような。

 ■参考:アイドルマスター MAD 「ヒカリ」(ジサツのための101の方法)Full‐ニコニコ動画(ββ)
  ※アイマスMAD。グロくはないけど、歌詞がトラウマものなので注意


しかし謎なのは、何故それを子供向けに放映したかということ。子供に世の中の不条理を知ってもらいたかったから? それとも恐怖に対しての耐性をつけてもらいたかったから? ……ま、案外目的なんてなかったのかもしれませんが。もしくはどっかの大人の悪趣味で、子供を怖がらせたかっただけなのかもなんてことを、大人になって思ったりする私は心が汚れているでしょうか?


※今日は思いついたことを次々に書いていった感じなので、まとまりのない文章になったかも。すみません