前回、アニメとテレビの関係に関して書いたら、現在話題になっている『かんなぎ』騒動についての話題が出てきたので、この機会にちょっと思ったことを書いておきます(このあたりのことってどうも斜めじゃなく直線視点になるので、きっかけがないと書きづらいってのもありますし)。
■参考:美少女キャラ“非処女発覚”にファン暴走、人気漫画「かんなぎ」無期限休載に
私はアニメの『かんなぎ』を見ていないので、ネットで拾った情報のみとなります。ご了承ください。あと、個人的に作品内のキャラが非処女かどうかなんてことはどうでもいいので、これも殆ど触れません。
思想の自由と迷惑行為の境目
あれを見て思ったことのひとつめ。別に個人が作品を見てどう思うかは、それぞれの自由だと思います。それこそ面白いからつまらないまで。ですので、あのかんなぎの一件でどう思おうと、それは個人の自由でしょう。また、2chやブログなどで書き込むのも、どう思われるかは別として、まあひとりの意見として自由でしょう。
ただ、それは前提として「人に迷惑をかけない」というものがあってと思うのです。ファン活動では「これはいいよ」と勧めることはよくあります。それはおおいに行うべきですし、私もよい本が見つかったらこのブログで紹介したりすることはあります。しかしあくまでそれは「おすすめ」であり、「強制」ではありません。(それなりに仲のよい人ならば『絶対読め』とか言いますが、それはそのくらいは許容される関係だという前提があるからでしょう)。ほかのエントリーに関してもそうです。あくまでこれは私自身の意見であり、それに従う義務、もっと言えば読む義務はありません。それは読む方それぞれの意思に委ねられていると思われます。
しかし、この「どこからが他人にとっての迷惑で、どこからが迷惑じゃないか」という線引きは非常に難しく、場所によって異なります。例えば好きな人が集うファンサイトでいきなり否定的な見解を述べた場合、「痛い人」扱いされることは多いですし、比較的自由な2chでもコピペやらしつこく書く人は嫌われる傾向があると思われます(ただ、これもスレによるでしょうが)。つまり、その迷惑の範囲は変わるわけです。そして今回のように制作者と読者のような関係になる場合、話はさらに複雑になり、制作者がどんなことをされても反応しない場合もあれば、ファンサイトにちょっと「○○のほうがよかったかな〜」程度でも過剰反応してしまう場合もあります(過去にそんな事件があったような)。ただ、迷惑を恐れて何もしないと、今度は何もできないということになってしまいます(自分がそのタイプなので)。そこは促されたら反省して次に生かすという学習しかないのではと。ネットでの恥ずかしい経験は心がけ次第で次の糧になりますし。
つまり、このようなどこまでやってよいかという基準は、その状況次第で変わると思われます。では、今回の場合「原作コミックス全5巻分をビリビリに破った写真をアップ。さらに今月5日夜、その実物を作者の実家に送りつけた、と書き込んだ」とあります。これは多くの人にとってどう映る行為だったでしょうか? 少なくともこれが本当なら、『作者の実家に送りつけた』、つまり自分、もしくは身内の居場所を特定したということが人によっては生命的な恐怖を抱かせるにも値する者だと思うのですが。残念ながら世の中には予想外の行動を起こす人もいるので。
■参考:押しかけ厨
■参考:押し掛け厨とは - はてなキーワード
■参考:肉般若
ノイジーマイナリティとサイレントマジョリティ
『サイレントマジョリティ』というと、数年前にアンケートをひっくり返す言葉として使われて以来、どうも妙な詭弁的イメージがついているような感じですが、これ自体が全く詭弁というわけではありません。先の事件を見て、その当該シーンを許容できるかどうかですが、多くの人は少なくとも文句を言うレベルではないと思ったのではないでしょうか。しかし、これはあくまで推測です。つまりサイレントマジョリティはその存在を証明するのに非常に難しい(故に詭弁にも使われる)。しかしノイジー、つまり声の大きな人はその数にかかわらずその存在をおおっぴらにすることができます。そして外部から見た場合、その存在しか見えない人hにとっては、それが見えるすべてになってしまうのです。
たしかにそれは視点が狭いと言えるかもしれません。しかし、とある組織の人が不祥事を起こしたり、アホな発言をした場合、その組織全体が糾弾されますが、そこで日々真面目に働いている、場合によってはその不祥事を起こした人を多くの人が非難していた組織まで糾弾される可能性があります。それと同じ視点がオタクという存在にも向けられているのではないでしょうか。つまり、傍観者と思われる人も広い意味(ネット利用者、アニメ視聴者)では当事者に巻き込まれていると言えるのです。たしかにマスコミが興味本位的なホウ素道をするということもありますが、マスコミをかませず、ネット内だけでもそのようなことはあり得ます。例の事件前、秋葉原でエアガンでサバゲーをやっている人がいましたが、あれは当事者ではないオタク、そして非オタクな人の目にはどう映ったでしょうか。
※追記:かんなぎの件に関しては、ネット上では現在は逆に反発がマジョリティになっている感じもありますけど。
「ネタにマジレスカコワルイ」の心理
しかし、たとえその行為に対して否定的な見解を持っていても、どうも真面目にツッコミにくい面があります。というのは、どこからがネタでどこまでが本気かがネットでは読み切れないから。正直、ひとつの騒動においても、本当はちょっと気に入らない程度だけどそれを言い重ねて行くのが楽しいのでネタ的に騒いでいる人もいるのではないかと。そして読み手もあまりにそれが突き抜けている存在だと、「ネタ」と思ってしまいます。最近だと発言小町のコメントがあまりにも自分勝手だと「これ、ネタじゃない?」と疑う癖がついていますし。正直、かんなぎの件に関しても、本を送りつけたというのはウソで、ネタを重ねてここまで来ているのではないかという思いも多くの人の中にあるのではないかと(自分もそう思いましたし)。
これはネット上のソース主義というか、安易に与えられた情報を信じないという面から来ているものでもあるでしょう。そして、その「疑う」ことによるプラスもいくつもあったと思われます。ただ、そうとは思わない人もいて、ネタが理解できるのはあくまでその範囲内だけであり、外の人からは「本気」と思われる可能性があることも推定すべきではないかと。
そして、それが自分の本意ではないとしたら、それらの行為に対して真面目に語るのはカッコ悪い行為ではないと思われます。「ネタにマジレスカコワルイ」は、ある意味真面目な意見を笑い飛ばすように、思考停止の呪文にもなり得るのですから。もちろんそれに流されたら本末転倒なので、自分でよく調べ、よく考える必要はあるでしょう。
何度も言いますが、ある作品を見て、どんな感想を抱こうとそれは受け取り側の自由です。しかし、それを発信すること、もしくはされたことは必ずしも冗談ではすまないレベルのものがあると思います。たしかに「ネタ」に興味本位で踏み込んでくるマスコミもありますが、今回の件は実生活に影響を及ぼすような行為をした、もしくは示唆したという点において非難をすべきだと思うのですが。
◆追記
なんか、ストレートに書くとちょっと疲れる……あと、書き残したように思えることメモ。
・「プロと読み手の関係」
・「悪質歪曲ではない面においてのマスコミとネット内の認識の違い」
あと、当然ですがその事例に対しての批判を行う時も、それが迷惑行為になっていないかどうかは気を遣う必要はあるでしょうね。