空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

単純作業は誰にでも出来るという幻想

以前、海外によく赴任していた人から聞いた話。その会社の工場では、海外に生産を委託していたのですが、どうも不良品が多く、歩留まり率が低くなっている。そこで現地に飛んで確認してみたら、どうもネジまわりのところでの不良が多い。調べてみるとあまりに強くネジをしめすぎているために、なめてしまった(つまり+の部分が削れて、再び回せなくなってしまった)らしいのですよね。それで、その人は現地のスタッフにどうしてこうするのか聞いたと。すると「強くネジを締めろといわれたから(渡された書類に書いてあったということかな?)従ったまでだ」と。しかし壊れたことを「常識的にないだろ」という意味で問い詰めると「そんなことは言ってなかった。だから教えなかったお前が悪い」と言われ、その意見に工場の誰もが(作業者だけではなく経営者も)反対しなかったということ。

同じケースで、またとある国では精密機械の不良品率が多く発生したとのこと。それを現地で調べてみると、トイレに行った後に誰も手を洗わずにそのまま作業をしていたために、内部に不純物が多くまぎれこんでしまったために故障が起こったと。で、あとは上の流れと同じ。

さて、これはどちらの言い分が正しいでしょうか。日本の感覚からすれば、これは壊した方が常識知らずだとかののしられる可能性は高いでしょう。つまりは「ねじを締める」という行為には、前提として「ネジを壊さずに、またはずせるようにもする」ということがあるでしょう。しかし、少なくともその国においては「教えなかったお前が悪い」というのが常識ということ。これはたとえ雇い主の国籍が同じだったとしてもそうなるようです。故に、その国では一挙一足までも厳密に教えると。別にそれは会社が厳しいのではなく、そうしないと働かず、逆に労働者にとっても、命令されている以上はする必要がないと思っているからとのこと(全部が全部ではないですが、そういうところもあると)。

最近、単純作業を海外に委託しているというケースが増えているようですが、おそらく似たようなミスをしている会社はかなりあるのではないかと。それは単純作業でも、日本の当たり前をそのまま海外に適用してしまったために起きているのではないかと思うのですよね。

これは別に、その国の能力が低いとかいうものではありません。しかし、どんな能力が高かろうと、そこで賃金が変わらない以上、それ以上の能力を発揮しても仕方がない、というある意味合理的な考え方が、その国の一般的な考えとなっているのですよね。となると、そこの常識から見れば、それを要求しない上が悪いということになります。

どうも単純作業は同じように発注しても、誰にでも同じ程度のものが出来るという考えがあるように感じますが、それは大きな間違いで、今までの日本的な常識で発注していた場合、日本ではあたりまえだったものとは全然違うものが出来てきてもおかくしはないのですよね。そのリスクを克服して、ちゃんと指示を出している企業もそれなりにあるでしょうが、お見事なまでに失敗しているところというのもきっとあるのではないかと。もしかしたら中には、農薬を食品のあるところで使ってはいけないなんてことを、言われてないから守らなかったなんて例もあるかもしれませんよね。

最近、日本移民計画とか、そういう単純作業における労働量を増やそうという流れがあるというニュースが流れます。しかし、その単純作業の概念は、あくまで日本人の概念であって、海外の人を導入した時、今のケースと同じようにやってくれる保証というのはどこにでもないのではと思えます。

おそらく現在、単純作業のみならず、働いている人の中にも、これは誰でも出来るわけではないというのを持っている人は大勢いると思います。だけど、それってとんでもなく珍しく、貴重な技術でもない限り上から見ると、「誰でも出来る」と思われがちなのですよね。たとえばプログラムなんてそうかも。特に上司がソースを読めない場合。あと、ゲームのデバッグは誰にでも出来るとかユーザーにやらせればよいとか思っている経営者の発言を聞くと、それは違うだろ、とデバッグ経験者である私は言いたくなります。でも、それは上から見ると多くの場合「いくらでも変わりはいる」と思われているのですよね。でもそういった、代わりがあるように見えて実はなかなかないという例は、かなりたくさんあるような気がします。しかし、そういうものが評価をされない、しにくい故にだんだんと失われていくのかなと。それは例えば、キオスクのおばちゃんの値段記憶、180度の接客スピード対応スキルみたいに。

でも、キオスクじゃありませんが、気づいたときにはだいたいのものはもう失われた後なんですよね……