空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

『悪』がわかりやすい姿をしているケースなんてほとんどないという話

ちょいと多忙で更新休みがちです。たぶん今月中はこんな感じで。

基本的にこのブログは面白的なことを意識して書くことが多いのですが、気になった文章があったので今日はそれに即して少し真面目に。

自転車創業さんの日記、 0323 からを読んで、出来れば広めていただければ、と思います。(情報元:kawakawa-19 旬さん)

これを読んだのですが、色々な面で考えさせられてしまいました。

思うに、法律を定める、もしくは変えるというのは、本当はどの場合もその事態をよくすることを目的として行われるのですよね。しかしそれが「バグ」によって、本来唱えられていたものとは違う方向に行ってしまうというもの。例えば今ではアメリカ歴代の悪法といわれている「禁酒法」、これも制定目的は宗教的理由の他、犯罪の現象など良い側面を求めようとして制定されたはずです。しかし結果としてなってしまったのは映画『アンタッチャブル』のような世界。法律はこのようにバグが生じる可能性というのは多々あります。最近の日本で言えばPSE法もそうですね。

そしてその「バグ」は意図的に盛り込まれる場合も存在します。歴史の教科書では普通選挙法の飴に対して鞭として制定されたといわれている「治安維持法」ですが、言葉面では「治安」を「維持」するというプラスイメージで形成されています。その他世界でも、似たような事例は多く存在するでしょう。

これに見られるように、どんな悪法であろうとも、それがわかりやすい『悪』である名前なんてものは滅多に存在しません。歴代の問題あると言われている法律を並べてみても、みんな名前はすごくいい感じのするものばかりです。そして法律の名前とはそういうものなのです。おそらく海外でも同じではないでしょうか。

これは人間でも同じです。犯罪者がみんなわかりやすく悪人顔なわけはないです。よく犯罪後の周辺インタビューで「そんなことをするように思えなかった」と言いますが、ある意味当たり前です。もし犯罪を犯す人がわかりやすい悪人の姿をしていたら、かなり警察はマークする範囲が減って楽になるでしょうね。詐欺師なんかも同じです。「この人は騙す」という顔をしている詐欺師はいません。ほとんどの場合、最初は善人、そこまで行かなくても普通の人に見えるはずです。また犯罪までいかなくても、仕事で酷い目にあった場合など、その被害に遭うまでその人は(自分にとっての)悪人だとは思わないでしょう。


このように、どんな悪法であろうとも、どんなバグがあろうとも、それがみんなにわかるような形で存在しているケースなんてのはないはすです。故にその本質を知らない場合、消極的に賛成に回ってしまうケースが多々あるのですが。

さらにもうひとつの問題は、何を持ってそれを『善』とするか『悪』とするかが人(立場)によって違う点なのですよね。例えば私はそれなりのネットユーザーですので、DL違法化などに伴う「バグ」を知っています。しかし、同時にある程度のコンテンツにかかわったこともあるので、それが違法に入手されてしまう状態もどうにかしたい、と思う気持ちもあります。それによる損害を多大に被っている(と思っている)人ならば、たしかにその法律の表面だけを見て、賛成してしまう気持はあるでしょう。そういう場合、この法律はその人にとっては『善』になります。しかしながら表面的な字面だけで判断すると、それが巡り巡って自分にダメージを加えてしまうことなんていうのも非常にあり得るのですよね。それこそかえって治安が悪化した禁酒法時代のように。もっと遡れば、徳政令で一度は借金が帳消しになったものの、次から誰も金を貸してくれなくなってかえって困った事態に陥るように。*1


大事なのは、その字面に騙されないで、本当に被害を被っている人を救済する方法とその法律によって起きるバグの両方きちんと考え、多くの人が納得する形にすることではないでしょうか。法律というのはただの文字列ではなく、人間の生活、ことによっては人生を変える力があるものなのですから。


『ありえない、なんてことはありえない』(『鋼の錬金術師』より)

*1:あまり考えたくはないのですが、全てを知っていて、意図的に賛成している、こちらから見て『悪』のケースもないとは言えないでしょうね。