『ドラえもんの道具で欲しいものは?』。この質問はおそらく今まで何回もなされてきたと思います。選ぶ数が少数ならばそれこそ『ソノウソホント』『もしもボックス』のような万能系や、『タイムマシン』のようなメジャー系を選ぶ人が多いでしょうが、10個くらい選べるのだったら下位の方は人によっての個性が出てくるような気がします。私の場合は『ハジメテン』。前述の歴史系や使うと世界がねじ曲がってしまいそうな時間系のアイテムを除けば一位かもしれません。とはいってもこの道具、ご存じない方も多いのではないでしょうか。
これはてんとう虫コミックスの『ドラえもん』第29巻『思い出せ!あの日の感動』で出てくる道具。これを飲むと、あらゆることが初体験のように新鮮な気分になれるという薬です。何事もいやになって、学校に行きたがらなくなったのび太にドラえもんがこれを飲ませしずかちゃんに会わせると、しずちゃんに会うと、まるで初めて会ったように感動し、何度も遊んだゲーム、何度も見たマンガもはじめてのように面白く感じ、おやつも初めて食べたように美味しく感じます。そして夫婦喧嘩をしていたパパとママに飲ませると、新婚当時のようになって仲直りをします。そして、明日はこれを飲んで学校に行くように促します。最近では、アニメでも同じタイトルで放映されたみたいです(ただしその時の道具名は『はじめてポン』らしい)。
たしかにこの道具も素晴らしいものですが、何故、ほかの便利な道具をさしおいてまでこれを選ぶのか。それは最近、『はじめての感動』というものが昔ほど味わえなくなっているということに気付いたからです。
最近、はじめて経験するということの感動が昔に比べてかなり少なくなったというのをよく感じます。それは世の中が発展してきたせいなのか、それとも自分が年ををとったせいなのかはわかりません。ですがなんとなく起きるあらゆる物事に対しての衝撃が薄くなってきたように思えるのです。
はじめてパソコンを触った時、ただ画面にものが表示されるだけでも感動でした。そしてマウスカーソルが動くだけでも嬉しかったのを覚えています。それからインターネットにはじめてつながり、掲示板に書き込みをした時、はじめて窓の杜からソフトをダウンロードした時、はじめて自分で作ったホームページを公開した時、はじめてエロ画像が自分のディスプレイに映った時、はじめてHTMLを変更して、画面を真っ赤に、そして真っ黒に変えた時、はじめてC言語で画面に”Hello World!”を表示させられた時、はじめて自作パソコンが動いた時、そこに衝撃がありました。いや、パソコンだけではないでしょう。飲み会に行った時、ゲームのサントラを聞いた時、雀荘で全自動雀卓を使って麻雀を打った時、ファミコンに触れた時……それら無数のはじめての時、明らかに感動がありました。しかし最近、そんな感動を味わった記憶があるか、と聞かれると、ないとまでは言わないものの、とんと少なくなったなあという気がするのです。
そこで『ハジメテン』を欲するのです。これを飲んでパソコンに触れて、「おお、画面がついた!」と感動してみたい。そしてインターネットにつないで、「うわ! 文章が投稿された!」という感動をもう一度味わいたい。そしてWiiやらPS3やらに触れて「なんだ! このおもしろいものは!」と感動してみたい。そんな欲求があるのです。おそらくは日常生活もはじめてのことのように楽しくなるのでしょう。
しかし、前述の『思い出せ!あの日の感動』の話には続きがあります。それは夜、布団に入ったのび太が自分が始めて学校に行く時どうだったか知りたくなり、タイムマシンでそれを見に行きます。すると楽しそうにランドセルを抱えて走り回るのび太の小さき日の姿が。そこで思います「いつからこう(学校に行くのが嫌に)なったんだろう」と。そして次の日、のび太はその薬を飲まずに「できるだけやってみる」と自ら学校に行くことを選択します。
のび太は「はじめての感動がなくても進む」ことを選択しますが、その時はどんな気持ちだったのでしょうか。それはわかりません。ですが、のび太より20くらい年上な人間はこう思いました。結局している物事は同じ。それは気の持ちようで変わると。そして、その初めてではない行動の中にも、「経験」によってのみ得ることの出来る新しい発見はあるだろうと。だけど進まないとそれは新しいものを見つけられないまま止まってしまうと。なら、薬はなくても先に進むべきだろうと。そもそも私から見れば小学生ののび太に新しい感動がないというのが苦笑ものなのと同じように、自分の年齢でそんなことを言っていては、さらに年上の人に苦笑されるかもしれないのですから。
今回はドラえもんでの話がメッセージ性を秘めた終わり方をしていたので、それに併せて書いてみましたが、そんな人生云々ではなくて、マンガやゲーム、それに料理などでは、そういった薬は欲しますね。ちなみにアフター0の『ショートショートに花束を』という話では、すぐに短期的記憶を忘れる状況になり、SFのショートショート本1冊を永遠に楽しむことが出来るようになるという話があります。でもそれだと「新しいものに出会う」という行為自体を捨ててしまう、自己満足の行為なのかも……難しいところです。