空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

楳図かずお作品と藤子・F・不二雄作品はかなり近いところにあるんじゃないだろうか

たけくまメモさんによると、楳図かずお先生の名作『漂流教室』の181ページも未収録図版が増えている完全版が発売になるとのこと。

「漂流教室」完全版だ!

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さて、ここで近くの本棚にあった文庫版『わたしは真悟』が目に入り、それを読んでいて本棚に戻そうとしたときにもうひとつの本が目に入りました。そしてそれら2つの本はもしかして似ているのではないか、いや、考えてみればこのふたりのマンガ家の話の方向性って、実はかなり似ているのではないかとも思えたのです。もうひとつ目に飛び込んできた本というのは、『藤子・F・不二雄 異色短編集』。

これを見た方は「何であの『ドラえもん』と『漂流教室』の作者が同じ方向性なんだ?!」とお思いになる方も多いでしょう。そして「どっちかというと藤子不二雄A先生の方が近いだろ」とも。しかし、それは有名作品、つまり『ドラえもん』などの子供向けマンガ、『へび女』などのホラー系という見方で出てきたものであり、それに限らずに2氏の作品を総合的に見ると、部分的にはかなり方向性が似ていると思えたのです。


さて楳図先生ですが『へび女』のようなホラーを描き、それが一番有名で、絵柄もまさにそれです。しかし、絵やどのジャンルでもよく表現されるホラー的表現を置いておき、ストーリーを見てみると、実はSF的なものがとても多いのにお気づきでしょうか。ファンの間ではホラーマンガ家であると同時にSFマンガ家と見る人もいます。
代表的なところでは、未来の荒廃した世界での物語な『漂流教室』、そして『漂流教室』の過去の世界であると言われている、人類の末期を描いた『14歳』、さらには、機械が意志を持つという奇跡を描いた『わたしは真悟』。これらは絵的には楳図かずお絵なのでホラーっぽいですが、実はどれもがかなり深いSF要素を持っております(キューブリック作品じゃないけど、これらを『楳図かずおSF三部作』とか言ってみますか)。そのほかにも『イアラ』など、SF色の強い作品を数多く描かれています。

そして藤子・F・不二雄先生ですが、ご存じの方も多いように、『ドラえもん』などの児童向けマンガ(と言われているもの)の他に、前述の『藤子・F・不二雄 異色短編集』など、大人向けのSFものを数多く出されています。

で、この二人のSFを見てみると、かなり似ている部分が多いのですね。絵柄で「全く違うもの」と認識されがちですが、人間という存在(人間愛や人間の怖さ、人間の業など)や未来へ対しての警告等は両氏の作品の多くで扱われ、読者を驚かせたり感動させるような物語が描かれています。

実際、脳内で楳図先生の『漂流教室』や『イアラ』を、F先生の絵に置き換えても、かなりいい感じになると思うのですよね。それは『絶滅の島』や『みどりの守り神』のように。
そして逆に、F先生の『ミノタウロスの皿』や『ノスタル爺』、『カンビュセスの籤』を楳図先生の絵で表現されたとしても、かなり読める作品になると思うのです。楳図先生の活動後期に『ビックゴールド』などで描かれた読み切り短編はそんな不思議な印象を与える短編でしたし。
ちなみに、頭の中で『藤子・F・不二雄版漂流教室』なる話を考えてみたら、途中までの展開がそのまま『宇宙船製造法』になってました。

さらに言えば、お二方の少年漫画代表作、『ドラえもん』と『まことちゃん』も同じ子供を対象にしたマンガでも共通点があるように思えます。『ドラえもん』(マンガ)には不条理さが多いのは変ドラさんなどでも昔から言われ、『まことちゃん』は下ネタを前面に押し出しています。そしてこれらってどちらも「大人が思う子供の欲しそうなもの」ではなくて、「本当に子供が求めていたもの」を描いたのではないかと思うのですね。アプローチの方法は違えど、そういった点も同じかなと思います。
ちなみに、『ドラえもん』もSFですが、『まことちゃん』の最終回なんていうのは、かなりSF的な終わり方ではないでしょうか。まあ『まことちゃん』をSFとまでは言いませんが。


ただ、そうは言ってもやはり絵柄以外でも本質的に二人の作品では違うところがあります。それは、藤子・F・不二雄先生のSFが理論的な説明でつじつまを合わせてくるのに対して、楳図先生の方は理論的な説明はあまり文字では書かれず、絵で表現することが多いです。それは『わたしは真悟』の様々な機械の描写だったり、ラストの地球を囲う虹とか。なんというか、F先生がアーサー・C・クラーク(映画『2001年宇宙の旅』の脚本、小説)タイプだとすると、楳図先生はキューブリック(映画『2001年宇宙の旅』の監督)型かなという感じ(映画と小説両方目を通した人じゃないとわかりにくいかな)。それでもそういう違いはあれど、SF作品としてどちらも素晴らしいと思います。


さて、全く違うと思われていた巨匠二人の作品の共通点を描いてきましたが、今までホラー系のイメージが強い楳図先生がSFとは結びつかなかった方もいるかもしれません。しかし考えてみればSFもホラーも「非(超)現実的空間」という共通点があるので、それほど遠くないものかもしれません。

ちなみに楳図先生はこうも言っておられます。「ギャグとホラーは紙一重だ」と。それは、一点バランスが崩れるところに不安感が生まれホラーになる。ヘビ女だったら、口が耳まで裂けているから怖い。だけど手も足も身体も顔も怖くしようとしたら、福笑いのようにギャグになる。つまりホラーをやりすぎればギャグになる、と。(出展:小学館『オレのまんが道』より)

ちなみに楳図かずおSFをはじめて読みたい方に対しておすすめしたいのは『わたしは真悟』です。特にこの現代にも通じる壮大な構想が、昭和に描かれたことが驚き。これについてはそのうちもっと書きたいなあ。

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★追記
ちょっと考えてみると、2氏とも作品の方向性が非常に多岐にわたっているのですよね。楳図先生はラブコメの原型となるモノまで描いていたって話しですし。上の文章はそのうち重なるものが多いと感じたが故に書いたものですが、もちろんその中には重ならないものもあるとは思います。F先生は血が出る系のホラーあまり描いてないですし。でもF先生の正当派(少女マンガ型)ホラーってのも見たかった気がする。