空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

火葬場に駅のホームのような印象を受けた話

葬儀に行ってきました。昔は縁がなかったのに、年齢を重ねると増えてくるもののひとつというのを実感します。

さて、一千万の人口がいると言われる東京ですが、その火葬場は限られており、且つそれらの火葬場に葬儀場も併設されていることも多いため、葬儀に参加した人は同じ所に何回も行かれているという方も多いと思われます。特にお住まいのところの近くであれば尚更。

東京23区内の場合ですと、公営の臨海(流通センター近く)、民間経営の落合、代々幡、堀ノ内、戸田、桐ヶ谷、町屋、四ツ木といったところ。おそらく他の県でもこういった定番のところというのは存在するのでしょう。

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昔とはだいぶ変わっているらしい火葬場

その火葬場ですが、都内に限らず日本の火葬場は改修が進んでおり、どこの斎場も近代的な作りになっているところが多いようです。それこそ一見するとホテルのロビーのように見える感じ。軽く調べると、マンガなどの創作に見る火葬場のイメージである煙突も、なくなってきている方向のようです。

ついでに言うと霊柩車も金色の宮型は少なくなっていると聞きましたし、葬儀屋の人に聞くと数多くのプランがあったりして、変化や多種多様化している模様。

葬儀においては創作物における典型的なイメージと今の実態ではだいぶ変わっているところがあるのではないかと思います。まあもちろん数多くの宗派が存在するわけで、一概には言えないのですが。

 

不足している火葬場

しかし、火葬場事情というのは調べると不足が慢性的のようで、スケジュール的に相当詰まっているというのも現状のようです。

■参考:» 予約の取れない火葬場| 東京都の葬式ガイド | 東京での葬式、斎場選び

故に、何度か火葬場に行った時全てそうだったのですけど、人の流れが速く、他の葬儀の団体の方とニアミスすることも多かったです(炉は違うので、あくまで近くの炉の前で重なるという感じ)。

もちろん仏教ならお坊さんがいたりして厳粛神聖な雰囲気であるのですが、その一方で慌ただしくお棺や人(見送りの遺族親族)の出入りがあるというのをよく目にします。

 

なんとなく「駅」をイメージする

そして自分としてはこういう火葬場に行くと、なんとなく「駅」を連想するようになっています。

それは何故か。感覚的なものなので自分でもよくわからないのですけど、たぶん大きな駅のようなロビー、そして上のような人の流れ。そして何より人(厳密には人であったもの)を送り出すという場から来るイメージでしょうか。そして遺骨となり帰還するのも含め。

 

あと、前述した東京23区内の民間火葬場の多くは東京博善という会社が経営しているようなのですが、そこの係員の方が白の制服に制帽をつけているのですよね。その制帽から来る印象もあるのかもしれません。係員の方の服装は全国の事例がどうなのか、またもっと前の時代はどうだったのかというのがよくわからないのですが、都内で葬儀をするところを見てるとそう思ってしまうわけです。

もしかしたら、自分だけのイメージかもしれませんが。

 

「葬儀」イメージは変わるのだろう

前述したように、今は葬儀のプランも手法もいろいろとあり、かつての(昭和までの)ようなイメージとだいぶ違うという感じが強いと思います。あまり葬儀に縁のない家が直面するとそれを実感するかと思います(うちもそうでした)。

たしかに今までも宗教宗派によってそれぞれの葬送のイメージが違うのは当然だと思いますが、日本のよくあるタイプの仏式葬でも、今後、こういう葬儀や火葬場イメージも変わってゆくのでしょうね。おそらく人にとってそれぞれのものに。

 

わりと大切な余談

ちなみに葬儀については、過去自分の家での葬儀周辺で起こったことから以下のような悪意を避けるための注意的なエントリーを書きました。

nakamorikzs.net

今回各サイトを見てゆく過程で、東京博善のページにも『インターネットや広告などであたかも弊社6斎場と提携しているような記述が見られますが、弊社は特定の会社と提携はしておりません。また、特定の会社を推薦することはございません。』とありましたので、そっち系の悪意もあるのかもしれません。

やはりいざとなった時にそういったものを避けるためにも、あまり考えたくないことでもいろいろ知っておいて、方法や業者など、自分の周辺なりの方法を決めておくのがよいかと思いました。こればかりは私含め他人にどこがいい、何がいいと決めることは出来ず(むしろそんなことを決めつけて書いてあるサイトやら業者やらは信用しちゃいけないでしょうし)、自分で最良の方法を探して決めるしかないので。