空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

著作権期限の延長はメジャーではない著作物を塩漬けにしないか

Togetterで以下のようなものを見ました。

 ■Togetter - 「#NHK 視点・論点『今、著作権が危うい』を視聴した人たちの感想まとめ」

NHKの視点・論点でJASRACの人を招いて著作権の話をしていたようです。
この番組については見ていないので語ることは出来ませんが、この中で「著作権の延長」の話が出てきていたようです。この話はネットでもたびたび出てきます。

 ■参考:著作権保護期間、死後50年から70年への延長を巡って賛成・反対両派が議論

つまり、現行の著作権法ではは作者の死語50年で著作権が消滅するものを、法改正で作者の死語70年にまで伸ばすというものですね。これについて、賛成と反対の論議がたびたびなされています。
しかし、これを読む度思うことがあります。はたして著作権の期限を70年に延長することは、本当にその著作者のためになるのかということ。

作者の死後50年間活用されるのは、ごく一部のコンテンツではないか

著作権が50年から70年に延長されるという主張においては、その創作者のためという主張が多くなされる場合があります。たしかに自分の死後、50年後もまだ売れたり注目されるような音楽や文章、絵画など(以下コンテンツとする)で、著作権者(死語なので主に家族とか)にそれなりの配当が入ってくるのに、50年経ったその日からゼロになるようなことは不条理だ、という気持ちを持つ著作権者がいたとしても不思議ではありません。あと、このテの問題では企業が政治に圧力を加えているというようなことが(とりわけ海外で)よく批判されますが、今までタダでそれを得てきたのではなく、大量の金を費やしてきてそのコンテンツを育ててきたのに、いきなりそれへのリターンがなくなるというのは困るというのもわからないでもないです。

しかし問題は、これから先それくらい力を持つコンテンツが、著作権物のうちどれだけになるのか、ということです。


現在著作物の著作権保有期限は作者の死語50年で、それが切れそうになっているものが話題になっていますが、正直、作者の死語50年も忘れられずに度々活用されているコンテンツというのはそんなにあるのか、というと疑問が生じます。
今でも作者の死後50年近く経ったコンテンツというものはそれなりにあると思いますが、そのうち現在でも販売されている、もしくは有償で活用されているものはごくごく一部なのではないでしょうか。それは当時、よほど有名になったものとか。そして、多くのものは語られることもないのではと思うのです。

それでも最低でも50年前となると、その時代のコンテンツというのはそれほど多くなかったのかもしれません。しかし現在は、当時とは比較にならないほど文化が広まり、そしてコンテンツも莫大な量となっています。となると、とんでもなく有名なものを除けば、ほとんどのものは今から50年、いや誕生からするとそれ以上先になると、時代による人間の忘却、そしてこれからの大量に生み出されるコンテンツの波の中で埋もれてしまうのではないでしょうか。

いや、作者の死語50年どころではありません。10年前くらいでさえコンテンツを、どれだけ人は覚えていられるでしょうか。ためしに10年前、15年前のベストセラーやCD売り上げトップのものが以下にありますが、現在これら大半の内容を知っている人、もしくは随時に思い出せる人はどのくらいいるでしょうか。

 ■参考:2005年 ベストセラー10:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】
 ■参考:2000年 ベストセラー20:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】

さらにこれらを金銭を出して購入したり何かに生かしたい人となると、かなり限られてくると考えられます。しかもこれはその年のベストなので、これより知名度が低いものは何百倍、何千倍も存在することになるのです。そしてこれらは50年の1/5も経っていないのです。


著作物が塩漬けになる可能性

たしかに著作権者が常にその売り上げを出し続けるような事が出来るだけの力をもっているのだったらよいでしょう。たとえばそれのCDを出せば売れるとか、本を出版すれば売れるとか。

しかし残念ながらほとんどの作品はそこまで至らないものがほとんどでしょう。現在、ネット配信で原価がCDや紙媒体での出版よりかからなくすることも可能ですが、そこまででさえ至らないものというのも大量出てくると思われます。

そうすると、そういった作品は著作権の切れるまで公開する方法が(著作権者が手間をかけて能動的に動こうとしない限りは)ほとんどなく、いわゆるコンテンツの「塩漬け」とか「飼い殺し」状態になるとも考えられるわけです。
そうなると、その作品は利益が入らないばかりか、目立つ機会も失ってしまい、結果として多くの人から忘れられてしまうわけです。おそらくですが、著作権のまだ切れていないコンテンツで、そういった塩漬け状態になっているものは多分にあるのではないでしょうか。

今だからまだ50年前で著作権が切れる作品も把握できますが、あと10年、20年経って量が増えてくると、たとえ切れても全く活用されることのないものも大量に出てくると思われます。


著作物が切れることで再び日の目を見る可能性

しかし、著作権が切れることで、利益はともかくとしてそれらが再び日の目を浴びるということは十分あり得ると思います。たとえば著作権の切れたものを公開しているので有名な『青空文庫』というものがあります。

青空文庫 Aozora Bunko

ここには芥川龍之介や夏目漱石の作品もありますが、同時によほど日本文学史に詳しくないような人じゃないと知らないような作者、もしくは詳しい人でも知らないような作品があります。おそらくそういった作品は、無料でなければ出版もされず、今でも塩漬けになっていた可能性もあるでしょう。しかしこのように、多くの人の目に留まり、読まれ、文化として生きることになっているのです。


著作権の存続や在処を判断できない時代

さらに言うと、今までとこれからでは大きく違う事が出てくると思います。それは作品において著作権者不明というものが増えてきそうだということ。たとえばネット上(ニコニコ動画など)で作者の名前を明かさないで作られた初音ミクの音楽とかは、その人がネットをやめてしまえば、権利者が誰だがわからない状態となります。あと、最近ではゲームがそうかもしれません。ゲーム会社が潰れると、その著作権の在処がどこにいったかわからなくなり、そのゲームを出したくてもだせなくなるということは多いようですから。そうなると、それらは永遠に埋もれてしまう可能性もあります。


著作権者の意思を反映されられる仕組みの構築は可能か

どうも、この著作権の延長論議というのは、「強者の視点」のみで語られている気がするのです。だけど、上のようなことから、たとえ著作権者でも延長を望まない人は多くいると思われます。むしろ、50年ではなく死後すぐ、もしくは生きているうちに著作権を消して自由に広めたいと思う人もいるのではないかと。

私が思うのは、一律ではなくて原著作者の意思が反映されるように、裁量の幅を持たせられないかということ。
正直、企業がまだそのコンテンツなどで利益を得ている場合、50年を過ぎても70年まで(場合によってはそれ以上も)著作権者の申請によって著作権を認めることはいいと思います。ただし、その著作権者が放棄したい場合、いつでも放棄し、パブリックドメインにできるという仕組みを作る必要があるのではないでしょうか。もしくは死後何年まで有効と遺言を残すとか。

■参考:パブリックドメイン - Wikipedia

これは現在の著作権における問題のあらゆるところに言えることですが、要は「選択権」がないことが問題なのだと考えます。つまり自分で作ったもののはずなのに、その利用法について自分で自由に決める事が出来ないということですね。それこそ現状のままか、それとも著作権を完全に放棄するかの大きな二択。そして作者が自由に使わせたいところがあったとしても、それが出来ないと。しかし、大切なのは原著作者がそうしたいと思う形に一番近いように出来るように、法律、そして制度が柔軟性を持たせることが大切なのではないでしょうか。昔ならばそういった手続きや参照は膨大な情報を処理せねばならず難しかったでしょうが、今ならネットでそういったものを一元的に管理したりすることが出来ると考えますし。

このようなことはすでに論じられていて、そして法的に難しいと否定されている方法かもしれません。ただ、一番大事なのは数多く存在する原著作者それぞれの自由意思と、自由度の高い文化の発展ではないかと考えます。
難しくとも、遺恨を残さないように最善の道を見つける努力が必要でしょう。

※2010年の12月14日に書いたものを部分修正。