ネット上の「鼠小僧」は誰に不利益をもたらすか

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昔から時代劇では有名な鼠小僧。これは悪徳商人から金を盗み出し、それを貧乏な庶民に配るという「義賊」。まあ史実は他の数々の例と同じで、そんなものでもないみたいですが。

■参考:鼠小僧 – Wikipedia

それでも、時代劇などでは勧善懲悪の正義の味方のように描かれることが多いです。しかし、この「金持ちから盗んで貧乏人に分け与える」という行為を現実に即して考えた場合、美談とはならないような気がします。ちょっとそれを様々な立場で見てみましょう。ただ、完全に善人だらけの時代劇と違ってブラック度高いので要注意。

まず、盗んだ金を与えられた人。これはよく「ありがたや〜」となっていますが、実際には盗難という犯罪行為により利益を得たとして、それに巻き込まれるわけです。時代劇でも町の人が歓喜する中、善人が「これは奉行所に届け出ます」というのがありますが、あれも考えてみると、犯罪の幇助者として疑われるのを避けていると見ることも出来るのですよね。つまりその人にとっては、鼠小僧は犯罪行為に巻き込むものでしかないのです。

ただ、現代風にその庶民が「善意の第三者」として、罪が及ばないとしましょう(まあそれでも拾得物横領ですが、あえて)。しかし、その時庶民はそのあとどうなるかというのを考えると、恐ろしいものがあります。たしかにその場は鼠小僧に感謝するでしょう。ただ、その金は臨時収入、つまりあぶく銭なわけですから、馬券や宝くじが当たったように、勢いで浪費してしまう可能性というのもかなり強いのではないかと。で、待っているのは前より貧乏な状態。また、これも宝くじの当選金と同じで、労働意欲を失ってしまい、鼠小僧の再来を、童謡の『待ちぼうけ』状態(つまりは「守株」)になってしまう可能性も。それでも来なかった時、その庶民は(責任転嫁も甚だしいですが)自分のところにもう一度こない鼠小僧を憎むようにまでなるのではないかと。

ま、もちろんそういう人ばかりではないでしょうか、時代劇だとそういった思考の働く人は最初から奉行所に届けたりするんだよね。有名な落語の「芝浜」も、おそらく奥さんがいなければ前記のようになっていた可能性は高いでしょうね。

■参考:待ちぼうけ – Wikipedia
■参考:芝浜 – Wikipedia

一方、金を盗まれたほう。これは鼠小僧の話では「悪徳商人」を狙っていると言いますが、そもそも、庶民にとっては金持ちはある意味みんな悪人にも見えるわけで、どれが悪徳商人かなどというのを判別するのは非常に困難です(ま、さすがに高利貸しとか度を過ぎれば目立つけど)。そして盗みに入ることのできるところなどは限られますから、良いとは言わないまでも普通の商人の屋敷に入り、盗難により身を滅ぼされる危険もあるわけです。会社でも運転資金が横領されれば、経営が立ちゆかなくなりますしね。その結果店は潰れ、そこの家族が身売りされるような状況もないとは言えないでしょう。

そして鼠小僧。これは本人が一文でも懐に入れたら、それは義賊行為ではなく、単なる自分の金儲けのついでのきまぐれになるでしょう。もしくは、庶民に自分に対する信頼を集め、世論を自分方向に動かすという可能性も。

こう考えると、鼠小僧の行為は「盗難はいけない」という法律的、道徳的観念を除いても、害悪を撒き散らしている可能性があるのではないかと思われます。

さて、何でこんなことを書いたのか。実はこの鼠小僧に似た話は現代にもあるのではないかと思ったので。それがネットにおける製品の違法アップロード問題(MADなど二次創作を含めると非常に長くなるので、今日は
「製品をそのままアップロードする行為」に絞ります)。これがこの鼠小僧周辺の話と重なるような気がします。

商人はその製品を販売しているメーカー(同人の制作者も含むかな)。これには儲けているところばかりではありません。ギリギリで出したものが売れずに、倒産してしまうところもあります。私は製品が売れないのはすべて違法DLのせいではないし、それに全部の責任を押しつけるべきでもないでしょうが、売りあげを下げる一助となっている店があるのは否定できないと思われます。

■参考

そして鼠小僧は違法アップロードする人間で、庶民はそれを手に入れる人。違法アップする人が広告などで利益を得ていればそれで免罪はできません。一番興味深いのはダウンロードする人の心理。たしかに最初はアップする「神」に感謝するでしょうが、そのうち「神」は自分に利益を施すのが当たり前と思うようになり、それを止めると「あたりまえのことをしない」と反発する人も出ないとは限りません。まあこの心理は合法的な創作でもあり得るかもしれませんが、それでも「創作」に敬意を払う人はいるでしょう。しかし違法アップロードの「神」なんてのは、犯罪行為をする中学生を尊敬するとりまき適度の発想だと思うのですが。

私はP2Pの技術自体はサーバに特化しないすばらしい技術だと思いますし、可能性を秘めていると思います。しかし、この現代の鼠小僧はP2Pの可能性自体を壊している、とも言えるわけです。それは盗みが容認されることで、鼠小僧の江戸の町の治安を結果として悪くするように。

ネットでは「ダウンロード違法化」が語られ、その問題も指摘されています。私もいろいろ問題が多い法律だと思いますが、商人(メーカー)たちは、これくらいしないと自分の生命(会社の存亡)にかかわってくると思う人もいるでしょう。で、その隙を巧みに利用している黒幕がいる展開になるかもと。現実にその黒幕がいるかどうかはわかりませんが、ともあれ「鼠小僧を義賊として扱わない」ようにしないと、ますますダウンロードを法規制する側の言い分が強くなっていくような気がしてなりません。

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