スタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』をご存じの方は多いでしょう。近未来のディストピアを舞台にした作品ですが、その異様な世界観やセンス、視覚的、音楽的演出、そして衝撃的なストーリーで非常に印象に残る作品で高く評価している人も多く、『二〇〇一年宇宙の旅』『博士の異常な愛情』と共にSF三部作と言われ、キューブリックの代表作とされています。
ちなみに暴力表現が激しいなど嫌悪感を持つ人はわりといて、賛否両論の分かれる作品ですが、その徹底した演出は30年以上前の作品であるにもかかわらず、今見ても秀逸です。特にウォルター・カルロスの音楽のインパクトは強く、私のやっているサイトにもここからの名前をつけた「Timesteps」というものがあります。
映画を見たことのない方は一度は見ておいてほうがよいかと。その結果、つまらないと思っても嫌悪してもかまわないので。
さて、この作品ですが、もとはアントニイ・バージェスという作家の書いたSF小説が原作となっています。しかし、実はこの小説と映画との間には複雑な関係がありました。というのはこの原作小説で重要な最終章が、なんと映画ではすっぽりカットされていまっているので。そして、先にアメリカで発売されたその小説もその部分をカットしてありました。さらには米国版を翻訳し、早川書房から発売されていた日本語翻訳版までもその最終章がカットされていたのですね。故に原作のファンはそれに異をを唱える人もたくさんいました。
ですが昨年、その長年の要望を受けてか、いつのまにか早川からその最終章が掲載された完全版小説が発売になっていました。ちなみに青背ではないです。
小説では映画のラストのその後が書かれています。ちょっとネタバレになりますが、そこでの主人公はもとのように不良少年に戻りますが、かつての仲間が結婚していて、自分もそろそろ落ち着くかという感じになり、これから、そして過去について色々考える、というものになっています。
これ、読めばわかるのですが、最終章があるとないとでは、この作品全体への印象が変わる可能性が大きいのですよね。たしかに両方とも暴力社会、管理社会への皮肉的風刺ではありますが、その皮肉の見方がちょっと変わるというか。特に主人公に対する印象が大きく変わるかもしれません。これはたしかに原作を知っていたら、ノーカット版も公開すべきだと思っても不思議ではありませんね(実際、この本の出版前までは、自力翻訳をして公開していた人がいました)。
というわけで、あの映画を知っている人には特に読んでもらって、印象の違いを知ってもらいたいなあと思う感じです。ただ、原作が人工言語であるナッドサット語を多用しているため、翻訳版もなかなか読むのにクセがありますのでその点だけ注意ということで(ただ主人公の一人称なので、難しい言葉はそんな使われていないけど)。