空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

アンケートは質問&公表の仕方によって大幅に結果が変わる可能性があるという話

最近、マンガ雑誌のアンケートについていろいろ書いてきました。

雑誌アンケートの回収率を増やすためには当選者発表欄についてちょっと考えた方がよいかもしれないという話 - 空気を読まない中杜カズサ
雑誌のアンケート結果は懸賞品によって変わる可能性がある - 空気を読まない中杜カズサ
少年ジャンプのアンケートについてちょっと考えてみる - 空気を読まない中杜カズサ
雑誌のアンケートにおいて「おもしろくない」が必ずしも最低の評価になるとは限らないという話 - 空気を読まない中杜カズサ

この関連の話題もいい加減長くなってきたので、このあたりで一度区切りをつけたいと思います。ただし、今日はマンガというよりは、アンケートそのものに対してスポットを当てる感じで。


さて、上のエントリーでは質問の仕方によって結果がばらつく可能性があるというのを書きましたが、それは個別質問の文章の書き方でも変わってきます。

単純な例としては、ある作品に対して面白かったかを訪ねる時、「おもしろかったですか?」と聞いて、それに対して「はい」「いいえ」で答えるのと、「おもしろくなかったですか?」と聞いて「はい」「いいえ」で答えたときの結果では、「おもしろい」と答えた人は両方の調査で全く同じとは限らないということ。何故か。それは「おもしろいとも言えないし、おもしろくないとも言えない」という意見に対して答える項目がないから。この場合、人間の心理的に相手が提示した答えに「いいえ」と答えるより「はい」と答える可能性の方が高いと言われます。それは、肯定の方がめんどくさくない等、どちらでもいい場合は肯定に転がってしまう心理があるから。それはたとえ強制がないアンケートにおいても、無意識のうちに肯定に働いてしまうと。その影響はケースにもよって大小は異なるでしょうが、少なくともこういう要因がある限り、同じ回答が得られるとは限らないわけです。

ちなみに余談ですが、英語では否定に対する回答が逆になり、混乱することがありますが、これは理由が「Yesの後には必ず肯定、Noの後には必ず否定が来る」と覚えると、混乱しなくなると昔習いましたね。つまり、「やってない?」の問いかけには「はい(Yes)、やった」か、「いいえ(No)、やってない」しかないと。

まあそれはともかく、「おもしろかった」と聞いた時と「おもしろくなかった」と聞いた時の結果は違う可能性があるわけです。なのでアンケートでは「おもしろかった?」に対してはい/いいえで答えるものではなく、「この作品に近い感想を以下から選んで下さい」という方法でおもしろかったからおもしろくなかったまで番号を振ってあってそれに○をつける感じですよね。つまりここでは質問者の意図に左右される要素を減らそうとしているというのもあるかもしれません(この方法もおもしろいとおもしろくないの順番が並列ではない時点で、全く公平というわけではないのですが。あと、全ての場合で同じ質問をして、それを比較するなら前者の方法も悪いとばかりは言えませんが)。


さて、最近この手法及び延長線上の方法を使っているのでは? とネット上でたまに話題になっているのが、ニュース等での調査。つまり「●●を支持しますか?」という質問に対して、「支持しますか?」と聴いているのか、「支持しませんか」と聴いているのか、ということ。これは全調査で同じなのならよいのですが、人やものによって使い分けているのではないか、と言う人を見かけます。

あと、最近こんなデータを見つけました。

ネット調査:自民党のイメージ 傲慢・72%、不信・67% 信頼は9% - 毎日jp(毎日新聞)
livedoor ニュース - 世論調査(以上情報元:と、とごたん、でひゃうぅぅ!!さん)

まあ方法に対してかなり設問が限定されすぎとかいろいろ思う所はありますが、ギリギリ各印象に対しての数値はまあアンケートの調査方法を公表しているのでよいとします。ただ、ここから上の記事のように『イメージ悪化が浮き彫りとなった』を導き出すのはかなり無理があるような気がします。

ただ、上のようにアンケートの調査方法を出している時点でまだましです。こうやってそのアンケートの採り方が正確かどうか判断する余地があるのですから。問題は、この方法をはしょってネガティブ、もしくはポジティブな部分だけを公表する人がいることでしょう。


以前、以下のようなエントリーを書きました。

きらら9月号の『ふおんコネクト!』における世論操作手法が実際にありそうな件について - 空気を読まない中杜カズサ

ここではマンガ『ふおんコネクト!』において、アンケートの意図的操作やその公表方法の操作をやった手法が現実で行われていそうだというのを書きました。例えば「紙媒体の存続に賛成か反対か」とのアンケートに「はい」「いいえ」だけではなく、いくつもの設問を用意しておきます。そして1、反対、そのまま続ける。2、規模を縮小して続ける……など、設問のほとんどを「廃止反対」にしておき、最後のひとつだけ「廃止賛成」にする。そしてそれを公表するときはシンプルに「反対」(1〜14の設問)か「賛成」(15の設問のみ)で出すと。あと都合の悪いところを公表しないで「伝える事実を選択する」という行動。「『報道しないこと』これがマスコミ最強の力だよ」とするとか。つまり、アンケートの公表された結果というものは、たとえ嘘はついていなくても、真実とは限らないわけですよね。だから、「アンケートの結果」などという錦の御旗を与えられていても、実際は違う可能性もあるわけです。公表する側の悪意によっては。

では、それを防止するのはどうするか。それはやはりアンケートの結果だけを見るのではなく、どんな設問がなされたの等、調査の方法をよく考えてから数値を見ることでしょう。で、調査方法が示されていないものは最初から信用しないようにすると。その目を養っていくことが大切ではないかと。ちなみに悪徳商法ではこの数字の悪用をフルに使ってくるので、そう言った意味でも自分を守るのに役立つと思います。


◆追記
文章に入れ込もうと思ったけど、上手く入らなかったものを追記としてここに。

実は、公的な制度でもこれに似た問題における議論が一部で湧き起こっているものがあります。それは最高裁判所裁判官国民審査。これは、日本の最高裁判所裁判官を罷免するかどうかを国民が審査する制度であり、国政選挙に行った人は、この投票も同時に行ったことがある人もいると思われます。しかし、この投票方式は昔から異議が出ています。というのは、その最高裁判事を信任する場合、その人に○をつけるのではなく、信任しない人に×をつけるという方式なのですよね。つまり、前者の場合空白が不信任になるのに対して、後者、つまり現行の制度では、空白の場合は信任になるのです。すると、「どちらでもよい」人は必然的に空白で出す=信任になってしまうのです。また、よほど強烈に不信任の意思を持つ人以外には「×」をつけるというのは躊躇われます。実際、この国民審査では不信任率は10%以下であり、過去不信任になった判事は存在しません。このため、三権分立における国民の司法府への影響が形骸化していると言う人もいます。

■参考:最高裁判所裁判官国民審査 - Wikipedia
■参考:最高裁判事国民審査 - Game and Politic

ま、この場合問題は、関心のない人は最高裁判事の経歴を知らないので、判断できないってのが一番の問題なのでしょうが。というわけで、最高裁判事国民審査のある時は、ちゃんとその判事の経歴を調べて信任か不信任かをわかって印を付けられるようにするのがよいかと。