ネットカフェ難民ではなくても努力している人は例の対策をどう思うか

以前、ネットでもちょっと話題になりましたが、爆笑問題司会の政治討論系番組で、ヤンキー先生こと義家弘介氏の不良の重視政策(具体的には「不良に説明をわからせるために、何時間もホームルームなどで費やす」)に対し、同じく参加していた伊集院光さんが強く反論したという話があります。伊集院さんは「その、不良のために費やす時間のために、何もしていない、真面目な生徒は被害を被っている」「その不良のために学校に行けなくなった生徒には時間を費やさないのか」という趣旨で、テレビでは珍しく強い調子で反論していたということがありました(このへん、資料がないのでうろ覚えなのですが、だいたい合っていると思います。間違っていたら指摘してください)。後日、『爆笑問題カーボーイ』でも、太田光氏がこのことをとりあげて評価してました。

ここでの問題は、「目立つ問題ばかりに対処して、目立たない問題には対処しない」という点と、「問題のある生徒ばかりに手をさしのべるのに、普通の生徒、真面目な生徒は放っておかれる」という点でしょう。そして、目先の問題を片付けることで、本当に教育は良くなるのかという問題も。最近、小学校の学級崩壊という話をよく聞きますが、これも原因の中には先生が問題のある生徒だけを構っていたから、そのうちみんなが(子供なので心の中ではかまってほしくて)目立つ問題行為を起こすようになり、それがクラス中に伝播してしまうというケースもあるそうです。そういえば私の小学生の頃にも、「多少暴れている○○や××(固有名詞)のことは数年後も覚えているだろうけど、▲▲(固有名詞)のことは、きっと数年経てば忘れる」と言い放った教師がいました。今思い出したんだけど、これって今考えるとちょいと問題だよなあ……

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ネット難民に月15万を支給すると言いますが……

転じて、ここ数日話題となっている話。

■ネットカフェ難民に月15万円の生活費融資へ。年収150万以下なら返済全額免除も…厚労省 ※リンク切れ

ネットカフェ難民になっている人に対して、15万円を支給するというものですが、私がここで一番に思ったのは「では、ネットカフェ難民にはなっていないものの、少ない給料でどうにか家を借りて、頑張って暮らしている人(たとえば子供がいるとか)に対してはどうなのか」ということ。

たしかに、ネットカフェ難民の中には、本当に住む家がなく、そこから抜け出せない人もいるでしょう。そういうところから抜け出したいけど抜け出せない人に対して援助を行うのは良いと思います。しかし、全員が全員そうとも限りません。本当は抜け出すことは出来る状況にあるのに、そのほうが楽だからそうしている人も存在しないとは言えません。今の段階でそれを見るに、一律に支給するように見えるので、そこがどうかと思うのですよね。すでにネットでも言われていますが、臨時収入程度に考えて、支給期限が終わるまで働くつもりがない人もいないとは言えないでしょう。

とはいえ、これは昔からの問題で、たとえばホームレスの中にも本当に貧乏から抜け出せないで家が借りられない、仕事がない人もいれば、本当は仕事をしようと思えば出来るのに、仕事をするのが嫌だからそうしている人もいると聞きます。また、生活保護でも、本当になければ餓え死にしてしまう人もいれば(実際半ば強引に辞退させられて、餓え死にした人が北九州で出ましたね)、最近よくニュースになるように、不正受給をしている人もいます。

いや、過去も昔も本質的な問題はそれ以外にあります。それは「ネットカフェ難民(支給対象)ではないけど、かなり生活に苦労している人」ではないかと。おそらく、年収150万以下の人でも、家をどうにか借りて、かなりギリギリで頑張って生活している人もいます(母子家庭とかありそうですね)。場合によっては借金を抱えているかもしれません。つまり中には、ネットカフェ難民よりも過酷な状況の人もいるのですがしかし、今回の政策ではそれが無視されているように思えてならないのです。ネットの反応を見るに「じゃあ俺もネットカフェ難民になるわ」と書いている人もいますが、あながち冗談でもないかもしれません。だって、年収150万以下で生活している人なんて、今ならいくらでもいると思いますし。この結果、この政策によって金がかかるばかりではなく、余計ネットカフェ難民を増やす可能性だって考えられますよね(あと、生活保護同様不正受給が大量に生じる問題も出ていますが、ここでは割愛)。

今は政策が部分的に目立つ「ネットカフェ難民に15万」だけが出ているので、このへんをちゃんと整備して、対処してくれると願っていますが、上のような事例から、どうも信用が出来ないという気持ちもあります。

真面目にやる人が損をするという状況が問題

さて、今まで書いてきたケースに共通して言える大きな問題があります。それが以下の2つ。

・努力しても報われない。

・目立つ問題ばかり対処され、目立たない問題は無視される。

この二つの問題が、ネットカフェ難民のみならず、ニート問題、教育問題等々今の日本の抱えている問題の多くに関わってくるような気がするのです。

まず、ネットカフェ問題の根幹には、「いくら努力しても、この状況から抜け出せない」という問題があるために、労働意欲が湧かないという点があるのではないかと。しかし、例の政策は真面目にやってなんとかしても、結局は目立つところばかり対処されて、努力している自分には助けはない。勿論自分より報われない人が助けを出されるのは納得できるとしても、自分より努力していない人が助けを出されるのは納得できない、なら真面目にやるのが馬鹿馬鹿しくなるという心理を生じさせているのではないでしょうか(実態はどうなるかわかりませんが、受け取られ方として)。

これは「100のマイナスからのプラス1は評価され、100のプラスからのマイナス1は叩かれる」というのにも似ているかもしれません。個人的には勝手に『不良の掃除の法則』と『学級委員の遅刻の法則』と呼んでいます。つまり悪人がちょっといいことをしたら、すごく善人のように見えるのに、普段真面目、もしくは普通の人がたまにミスやら悪いことををすると、とんでもなく悪く見えると。だけど、今までの良い行動は、圧倒的に学級委員の法が多いはずです。それなのに、不良のほうが評価されるという(ちなみに『炎の転校生』にも、これを利用して、主人公を悪人に陥れるっていうのがあったなあ)。ならば最初から、真面目にやっているのが馬鹿馬鹿しくなるというのはある意味当然でしょう。

この政策の場合は、おそらく見えやすいところ(ネットカフェ難民)への対策なら、成果もわかりやすいし評価もされるという考えがあるのかもしれません。しかし実態はその影で確実に今まで頑張ってきた人のやる気を奪っているとも言えるのではないかと。それならば、やらないほうが特ではないか、と考えるのは、合理的見地から考えれば不自然とは言えません。ネットで有名な「働いたら負けかなと思っている」というのも、上のことをふまえての発言だとしたら、決して口先だけの理由とは言えなくなっているのが今の日本ではないかと。

この問題は社会のあらゆる分野に広がる

ただ、これらの問題、特に「努力しても報われない」というところは、今後ネットカフェ難民などの低所得者層ではなくても、多くの人にますます広がってゆくのではないかと思います。例えば、日本での成果主義も実際は上手く機能しておらず、結局は頑張っても給料が下がるだけになったら、その会社の仕事に希望が持てるかとなると、疑問でしょう。そういったものを見つつ、これから社会に出る現在の学生が、今の社会を見て、将来の日本に対してどれだけ希望を持っているか、となると……と考えるのは、悲観的すぎるでしょうか?

私の場合も、もし今の生活がちょっと違う方向に行っていたら、希望を持てずにこのままずっと暮らしていたのかもなあと思うことはありますし。

「だが、希望だけがない」

最後に、私が数年前から気になっている言葉。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」(村上龍『希望 の国のエクソダス』)

とはいっても、希望以外のものもいろいろとなくしているような気がしますが。
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希望の国のエクソダス (文春文庫) : 村上 龍

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