空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

年賀状発行数の激減は高齢者の年賀状離れも大きいのではないか

この時期郵便局に行くと、ほぼ必ずポスターやブース、もしくは直接販売などで年賀状の販促をしています。むしろ駅などでも机を設けて売っていたりしますね。ここ数年、局員に課せられている販売のノルマも厳しいと言われ、「自爆営業」という言葉も生まれてここ数年問題となっています

これだけ年賀状販売の攻勢が激しくなった理由のひとつは、現在年賀状の発行、送付が急激に減少しているというのも大きいでしょう。以下資料。

www.garbagenews.net

そしてそうなった理由としては、やぱりメールやLINEなどITの発達が大きいというのも疑いのないことです。その対象はやはり若者ということで、若者に対し年賀状を送るキャンペーンなども展開されているようです。

www.nikkei.com

しかし、これだけの急激な年賀状送付枚数の激減は、むしろ若者よりも高齢者層になるのではないかと思うのです。しかもそれは寿命による自然減ではなく、「高齢者が年賀状を自らの意思で送らなくなる」ということ。

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高齢だから年賀状を止める

身内の例になってしまうのですが、ここ数年、私の高齢である父のもとに送られてくる年賀状は減っています。それは毎年送ってきた人が亡くなったことももちろんあります(余談ですが喪中はがきって、それがその家との最後の連絡になるケースもかなり多いかもしれない)。しかしながら、中には「高齢により、来年度からのご挨拶は失礼させて頂きます」というものが増えているということです。そしてその中には、電話もしくはメールで連絡を取れるような人までも含まれています。
さらに、父自体「今年から年賀状辞めてもいいかなあ」とも言っています。

そんな話をしながら、何故長年年賀状に馴染んだはずである高齢者までもが年賀状を辞めることになったのかというのを考えると、いろいろ理由が思い当たってしまうのです。

 

年賀状の作成はかなりめんどくさい

まず、年賀状というのはその作成から送付までめんどくさいということ。普通の場合、名簿の選定(死亡などで外す人も選ぶ)、原案作成、印刷、宛名書、そして送付という行程がかかります。さらにそれだけでは味気ないと、一筆ずつ書き添える人も多いですね。昔のマンガだと、年末名物として、除夜の鐘が鳴ってるのに年賀状まだ書いているなんてシーンもけっこうありました。
近年はサービスも技術も発達してだいぶ楽になったほうで、印刷以降の行程は金をかければほとんどおまかせということが出来てしまいますが、それでも毎年名簿を選ぶという手間や、原案を選ぶという手間は省略出来ません。

うちの場合はパソコンもプリンタもあり、父も本屋で売っているムックつきの年賀状作成ソフトを買って作っているようですが、やはりそれ相応の手間はかかっているようです。ましてや、パソコンがない家だとしたら、忙しい年末にかなり大変な作業でしょう。とりわけ、手の力が弱まってくると、それだけの量筆をとるのがかなりの疲労になるということもあるでしょう。

だけどその連絡が必須だった時代であれば送らざるを得なかったし、さらには体力がある時であれば、それも出来たでしょう。しかし、高齢の人にとっては、その体力でさえも惜しくなってきているというのがかなりあるのではないでしょうか。

 

縁を狭める、ということ

あと、他も含めて探ってみると、「縁を狭める」という人もけっこういるようです。すなわち、交友があっても、もうそれを保つだけの体力がないと。実際に人と会う、そして話すっていうのはけっこう行動が必要ですから、納得出来ます。

しかし、体力の有無にかかわらず、交友関係自体を積極的に狭めたいという心理もあるかもしれません。そのほうが、疲れないし、人付き合いで生じる可能性もある軋轢も生まれないので。すなわち、もう仕事や親族づきあいも深くする必要がないのなら、自分にとって必要があり、快く保つことの出来る関係で留めておこうとすると。
最近自分の葬儀に家族葬など小規模なものを希望する人が増えているのも、金銭的以外にそういうものがあるのかもと思ってしまいます。
もちそん人付き合いをどれだけの範囲にしたいかは人それぞれですが。

また、仕事をやめてしまって、そもそも交友を保つ必要がなくなった人が止めた例もあるでしょう。特に中小の町工場や自営業での客先へのそれとかも。数量的にはこれが一番多いかもしれません。

 

高齢者にもメールが普及している現代

さて、若い人で年賀状を出さないというのはメールなどITの普及が大きいというのは最初にも触れましたが、最近は高齢者でもそれが結構大きくなっているのではないでしょうか。
理由はスマホや携帯電話が爆発的に普及して、メールアドレスを誰もが持つようになったこと。そして同じように、「メールで年賀の挨拶済ませればいいや」という人も出てきている可能性は十分あり得ます。何より楽に一括送信出来ますからね。
これは別に年賀メールを送らなくてもよく、ただ、連絡の出来るアテがすでに手元の携帯電話になるというだけで大きな違いとなるでしょう。

ちなみにうちの父は戦前生まれですが、連絡が電話よりもむしろメール(しかもPCメール)の方が多いというのもあります。90年代からネットしてたから、メールアドレスの所持数も相当あるようですし。戦前生まれとしては特殊な例かもしれませんが。
ただ、少なくとも、「高齢者はパソコンを使えない」という年齢で判断しての思い込みはもう捨てたほうがよい気がします。あと数年もすれば、むしろ若い人よりもパソコン操作出来る高齢者が増えていてもおかしくありません(これは介護福祉のIT化も含め)。

 

その他いろいろな要因が考えられる

ほかの要因としては財政的な問題(印刷代も含めれば、100枚送るのに1万くらいかかるし)もあるでしょう。ただこれは全世代共通でしょう。あと、転居、すなわち高齢者の1人住まいは危険なので、家族と住むとか高齢者施設への転居のために住所変更したけど、連絡がしきれずに途絶えてしまったというケースもあるかもしれません。

 

個人間の年賀状が減るのは必然

こう考えてゆくと、高齢者が年賀状を送らなくなる要素というのはけっこう多いのです。

これから先、すでに生まれた時からメールが普及していて、既に年賀状を送るという文化をほぼ経験していない世代がどんどん増えてゆくことでしょう。しかしそういった世代に、手間も送付料金もかかる年賀状を利用せよというのは、不可能に近いレベルで困難と思われます。
もし、郵便局が減少を少しでも食い止めたかったら、むしろ今まで年賀状という文化を持っていた層、すなわち中~高齢層の年賀状離れを止める方が、若者に対してのアピールよりまだ効果を発揮するのではないでしょうか。たとえば、名簿選定、作成、印刷、そして送付という、高齢者が年賀状送付にあたって負担に思うような手間を簡略化するだけでもだいぶ違うでしょう。もちろんそれでさえ人口の自然減で先細りになるのは目に見えていますが。

 

ただ、そもそも年賀状が普及したのは、従来個別に家に訪問していた挨拶周りを手紙で済ますようになった為という説があります。そうならば、年賀状という挨拶の文化がより効率化出来るメールに移ったとしても自然の流れでしょう。

おそらく年賀状は、将来的にはお中元、お歳暮と同じように企業、ビジネス絡みのものが当面残り、それが中心となってゆくのだと思います。

 

余談

今年は「いらすとや」の素材で年賀状作る人間が結構出ると見ています。こんなのもあであるし。

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