空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

豊洲新市場は築地を継承する観光地にはなり得ない

 築地から移転する予定の豊洲新市場のニュースについては土壌汚染疑惑、交通の便、既存業者の移転費用等問題が山積しており、それらが度々ニュースとなりますが、最近では商業・観光の拠点施設となる「千客万来施設」の事業予定者撤退が話題となりました。
その理由はいろいろと言われております。主にはお台場にある温浴施設「大江戸温泉物語」の存在。豊洲新施設にも温浴施設があり、場所的に非常に近いそこと競合することが理由としてあります。ただその存在だけというのではなく、他にも集客施設として見た場合、近隣地区、しかも都心部のほうにもっとそういったものがたくさんあるのが大きいでしょう。

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これで豊洲の観光地としての計画は大部分で白紙に戻ってしまったことになるでしょう。

 しかしながら思うのですが、はたして計画通りに行っていてこれら豊洲が観光地、集客施設としてうまく機能したか、すなわち客を集められたのかと考えると、どうも微妙なのですよね。少なくともおそらくは関係者が目論んでいるように、築地の客をそのまま持ってきてさらに+α、というふうにはならないと思います。

何故なら、移転をしてしまうと、たとえ市場としての機能は同じでも、そこは観光地としては「別の場所」になってしまうため。

 

観光地における「古い」という雰囲気価値

子供の頃読んだエッセイがありまして、タイトルも作者も失念してしまったのですがこんなシーンがありました。それは町の風景を眺めて回るエッセイだったのですが、通りがかる度に古びた、いい掘り出し物が見つかりそうな骨董品屋がありました。しかしある時壊して立て直し、綺麗な店舗にして今まであった骨董品を棚に並べるようにしたらあっと言う間に客足が遠のき、そして潰れてしまったという話。

これと同じことが新市場にも言える部分があるのではないかと。

築地市場の設立は1935年。既に80年にもなります。近年ではそこに来る外国人観光客も増えましたが、そういった人はその戦中、戦後を通して歴史的重みを持つようになり、その雰囲気をあちこちに醸し出している場所が数多くあります。

築地市場が観光地になったのは、そういった「雰囲気」があるから故ではないでしょうか。

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たしかに全国を見渡すと、移転しても観光地、集客地域として成功しているところはあります。しかし築地は市場というひとつの施設ではあっても、事実上は多くの業者や店などが集まって出来ている「街」、すなわち「(市)場」として形成された雰囲気の側面が大きく、その雰囲気をまるまる移転するというのは不可能と思われます。

少なくとも。今築地にあるような雰囲気を持つ場所として形になるのには、十何年かかるのではないでしょうか。

まあ、市場に何故か由来に関係もない上ありふれている温浴施設とか作ろうとしているあたり、継承する気はもともとないのかも、と思うことは多々ありますが。

 

豊洲新市場の交通アクセス問題

さらに言うと、銀座などに近かった築地に比べて豊洲の場合、鉄道では地下鉄に比べてアクセスがそこまでいいとはいえないゆりかもめがほぼ唯一の交通手段となってしまいます。かといって埋め立て地に作られている地理上他の観光地から徒歩で行くのには遠くなってしまっています。ましてや車での来場は、今揉めているように混雑も予想されるわけで。

すると観光地のルートに組み込んで行くとするとそこだけ独立してしまう形となり、それが故に放棄する観光客も増えるのではないでしょうか。

 

豊洲新市場は築地市場を継承しない

立て替えの理由としては老朽化があります。防災的観点の可能性からそれを放置出来ないというのはたしかにあります(それでも現在の移転場所、計画については他の諸処の問題が言われているのは最初に書いた通りですが)。しかし、豊洲新市場はあくまで観光地としては、築地から継承されるものではなくゼロにして全く新しく建つ別のもの、と判断した方がよいと思います。業者にしても、移転する費用がないので廃業を検討しているところも多いと聞きますし。

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おそらく、観光地としての築地の後継的になるのは、少なくとも日本(東京)の人にとっては豊洲新市場よりも 既存の太田市場、足立市場などのほうが強くなるのではないでしょうか。

 

作って放置(逃げる)にならないように

さて、自体は進行中なので今後どうなるかというのはわかりません。ただ、豊洲新市場が市場としても観光施設としてもうまくゆき、築地の既存業者も食に困らず、利用者にも都の財政にもプラスになるという最高形ならば言うことはありませんが、全部がうまくいくという可能性は低いでしょう。

しかしそれがわかるのは、豊洲新市場が機能してから何年後、何十年後かもしれません。ただそのわかった時にだれかしらに損害があるのにすでに責任者はいないので誰も責任をとらないという状況は避けなければいけないのではないかと。今から、どこがどう失敗したらどこに原因があったのか、そしてもし成功した部分があればその要因もどこにあったのか、それを考慮する必要はあると思います。将来、似たようなもので同じ過ちを繰り返さないためにも。

このブログはなんだかんだで8年くらいやっていますが、もし8年後も存在していればこの記事を見返して、自分の考えていたことは当たったのか外れたのか、そしてそれに携わった人たちはどうなったかというのを書いてみたいところです。外れて発展するに越したことはないですけど。