過去にドラえもんや藤子・F・不二雄先生のマンガ(とりわけ移植SF短編)を題材として書くことに燃えていた時期があり、見返すとその手のエントリーがいくつかあります。まあ中にはこれらをきっかけとして全然別のところに話が飛んでるのもありますが。
せっかくなのでそのうちのいくつかを掘り起こしてまとめてみます。もう7年くらい前のものがほとんどなので、時間経過により内容がずれているもの、それと書いた人間の未熟はやや大目に見てください。
そのうちいくつかはリライト再検証などする予定なので、それの確認も含め。
ドラえもん系
出木杉君がレギュラーではない理由とパーやんが大阪住まいな理由の共通点 - 空気を読まない中杜カズサ
F作品では有名な頭脳キャラ。つか今思ったけど一番わかりやすいたとえは、それらの作品に『エスパー魔美』の高畑さん放り込んだらどうなるか想像すればわかりやすいかも。
出木杉君、花輪君、アナゴくんの中で誰が一番知名度があるか - 空気を読まない中杜カズサ
つい最近書いたものですが、実はこれ、2007年に書いたもののリライトだったのですね。実験とはそういうことで、つまり昔書いたのとほぼ同じものを今書いてどれだけ反応が違うかと言うところを見たかったのです。結果、元記事が1ブクマだったのか、18ブクマ頂けました。これはこのブログの知名度のせいか、それとも7年前と違ってSNSなど連携が発達したからなのかはわかりませんが。
のび太は実はかなり起業向きスキルを持っているのではないかと思った話 - 空気を読まない中杜カズサ
これはそこそこ最近のですね(とはいっても5年前)。ドラえもん開始時の労働に対する価値観と今じゃ大きな違いが生じているということですな。
ドラえもんが教えてくれたバトン・チェーンメール問題についての対処法 - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんの中でもわりと変わった話(ある意味シュール)に入る『不幸の手紙同好会』からの応用。
今でも技術的には作れそうなドラえもんの道具 - 空気を読まない中杜カズサ
まあ見ての通り。これ書いたのが7年前ですが、もうちょっと増えてるかもしれないですね。
ドラえもんが似たような道具をたくさん持っている理由は? - 空気を読まない中杜カズサ
どう見ても様と被っている道具や役に立たない道具を何故持っているのかという推測。そりゃああんだけ無限のポケットあれば、捨てるという作業がおそろかになりがちではありますな。
ここ以下SF考的な感じが強くなります。
本当は恐ろしいドラえもん〜のび太と死の宣告〜 - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんにあるタイムマシンでおばあちゃんに会いに行く回、実はとても恐ろしいことをしているのではという視点から。もしそれをふまえて(わかって)おばあちゃんがあの対応をしているとなると、まさに聖人です。
どこでもドアが存在したら 物流経済はどうなるかという話。
時間を超越しなくても空間を超越すれば、過去のみのタイムテレビは制作可能か - 空気を読まない中杜カズサ
これはわりと勢いで書いたなあ。SFには使えるかもしれない。
ドラえもん栗まんじゅう無限増殖考 - 空気を読まない中杜カズサ
今ではアンサイクロペディアのヤケに力はいった記事のおかげもあり、ポピュラーになった栗まんじゅう問題について、2007年に書いたもの。
ここ以下時事的なものなど。
スネ夫が携帯電話を持つことの不安 - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんアニメがリニューアルされるという時、スネオが携帯電話を持つという話題が流れて、それについて思ったことなど。
録画やソーシャルブックマークという『時間貯金箱』 - 空気を読まない中杜カズサ
リアルタイムで時間を浪費しなくても、時間貯金箱のように先送りに出来るようなシステムって結構増えましたよね。録画とかブクマとか。この道具自体昔から欲しい道具の上位にあがってたと思いますが、その需要が現実にも来た感じかも。
ドラえもんは人を生き返らせない(例の事件の供述に思うこと) - 空気を読まない中杜カズサ
ある重大事件の犯人の供述で押し入れに押し込んだ理由として、「ドラえもんがどうにかしてくれると思った」という供述に対して当時思ったことを斜めから書いたもの。
そしてある意味思考の究極、「意識」について。
セワシには自我がない?〜「物体瞬間移動機」は魂を殺すか - 空気を読まない中杜カズサ
はたしてドラえもんに「心」はあるのか - 空気を読まない中杜カズサ
とうとう「自我」や「意識」にまで突っ込んだエントリー。ちなみにこれには同じく好きなマンガである岡崎二郎氏の『アフター0』も多く引用されています。
その他羅列。このブログ前、はてなダイアリー時代にの更に前にやってたブログで書いたものもあります。
ドラえもんの凶悪道具『タイムふろしき』について考えてみる - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんの空き地(土管3つ)について考えてみる - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんはパラドックスを超越する - 空気を読まない中杜カズサ
ドラえもんの道具『ハジメテン』が欲しいと思った最近のこと - 空気を読まない中杜カズサ
ジャイ子と結婚して生まれるはずだった子ども達はどこにいったのか - 空気を読まない中杜カズサ
藤子・F・不二雄先生はドラえもんのぬいぐるみの高さにも気を遣っていた - 空気を読まない中杜カズサ
SF異色短編集
さて、ドラえもん以外でもいくつか書いているので、ここに挙げようと思います
藤子・F・不二雄SFマンガにおけるディストピアの現実化 - 空気を読まない中杜カズサ
執筆された70~80年代当時の当時はディストピアSFだったものが、最近の読み直すとシャレになってないものシリーズその1。
最近、藤子・F・不二雄の『定年退食』がますますシャレにならなくなってきているという話 - 空気を読まない中杜カズサ
藤子・F・不二雄の『定年退食』で、一番悲惨になり得る登場人物は誰か - 空気を読まない中杜カズサ
藤子F先生のSF異色短編でも有名な『定年退食』の世界について書いたもの。特に現実と照らし合わせて現在シャレにならなさが相当な物になっている感じがしたので書いたもの。で、これを書いてからも数年経ちますが、その頃よりも更にシャレになってない感じが増しているような。
これについてはそのうちまたしっかり書きたい感じです。
あとおまけとして。
現実は藤子不二雄Aのブラックユーモア短編を超える - 空気を読まない中杜カズサ
藤子不二雄A先生のマンガも負けておらず、昭和の時代に書かれたのに今を見越したようなホラー感覚のマンガが数多くあります。
また折を見て書きたい
こういうのは考えるのが楽しいので、書いてる最中もいろいろ試行錯誤してみたりして楽しいです。まあそのぶんとんでもないところに突っ込んでしまって、長文になり、それを削るようなことを何度かありましたが。
ネタがあれば、またこっち方面のを書きたいです。