空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

昔書いたブログエントリーがホットエントリーして思ったこと

先日、私の運営する別ブログ『ゲームミュージックなブログ』でのエントリーが、はてブのホットエントリーに入ってました。

gmdisc.com

 

しかし実はこの記事、日付を見れば分かるように最近書いたものではなく、2009年に書いたものだったのですよね。

どうしてこうなったのかというと、実は今、少し時間が出来ていたのを利用して、あちこちブログ含めて過去のブログの整理をしています。主には移転(FC2→Wordpressやはてなダイアリー→はてなブログ)で生じた文章形態や書式のズレの修正、見だし付け(H2、H3)、時間経過によるリンク切れの削除、タグ付け、ジャンル区分けの修正などなど。
それのひとつとして、文章を整地したあとで、「あ、これ今でもネタになってるな」というのをまたTweetしたりしていたのですが、そうしたらそのひとつがホットエントリーになった次第です。

正直、「まあ興味のある人が何人かなつかしがってくれればいいだろ」的なものでTweetなどをしたのですが、相当集まってこっちが驚いています(せいぜい5~6ブクマ程度かと思っていたので)。ただまあ、最初の記事を書いた頃ってのは、Twitterも今ほど広まっていなかった時代で、ブログ更新告知といえばブログ村みたいなブログサービスとか個人ニュースサイトに頼る時代だったのが、今はワンツイートで手軽に出来るってのは、時代の変化を感じました。

 さて、自分でさえ忘れていたような過去に書いたブログエントリーがいきなりのホットエントリーになってしまったわけですが、ここ最近のブログの修正で過去の記事を見直してきた時などに思ったことなども含め、そのへんについてちょいと書いてみようと思います。

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ブログではやはり昔の文章は発見しづらい

ブログというものは、基本的には最新の記事が前面に出て来て、過去の記事はどんどん押しやられる形となっています。そういう形が故に日記として使い勝手がよく、日本で2000年代中頃からブログ文化が普及したというのもあるでしょう。ただ、逆に言えばそれが故に過去の記事は目立たなくなってゆく傾向があります。トップページからリンクで下ってゆくサイト型が、時系列にかかわらず並列になりやすい(勿論作り方次第ですが)のと比べると、どうしても時系列で直列になってしまいます。

ただ、企業サイトなどではなく個人で使用する場合、やはりブログが一番便利なので、そのような不向きを持ちつつも、それがメインの発信方法となってしまいましたね。

回避方法として、タグ付けやカテゴリーの作成、トップでのインデックスの設置、それに文末に関連記事の表示などの対策がよく言われていますし、Wordprtessでもそのようなプラグインが用意されています。基本的にブログ全体を見渡すのっていうのは難しい感じですね。それが基本的なブログというWebコンテンツの宿命かと。

 

でも、過去のブログエントリーは使い捨てられるものではないはず

とはいえ、書いたものは時間が経てばもう価値はないか、というとそうではないはず。もちろんものによりますが、時間が経過して後ろに追いやられても、何かしら読むところのある情報というのは存在するはずです。

それが故に前述のようなタグ付けや関連記事リンクなどはブログの手法としてもわりとポピュラーになっていますし、SEO対策のエントリーとか見ても推奨されますね。

やはりこのあたりは一般的な仕様のブログに比べて様々な形態でリンクできるサイト型のほうが優れており、それにどう近づけるか、というところがポイントかもしれません。

やはりそれぞれひとつひとつ力を入れて書いた記事であり、時間の経過に寄りその価値が劣化するようなものではなければ、再度見てもらいたいというのは自然ですよね。

 

はてブとかPVって結局その時の運が大きい

よく、「力入れて書いたのにアクセスがない」とか「ウケると思ったのに、前々ブクマが集まらない」という嘆きを見ることがあります。はい、私もあります。時間をかけて調べものをして「これは会心の出来だ!」と思っていざ公開しても、一週間で10ブクマも集まらないことというのは「非常に」よくあります。おそらくブログ開設期間が短い人はもっと感じることではと。

とはいっても、全く逆で「まあノリで軽く書いたし、注目度はどうでもいいや」というものにとんでもないアクセスが集まってしまうことも「たまに」あります。

 

そして希に、何故か昔はさほど注目されなかったようなエントリーがいきなり盛り上がって、はてブのトップに出てしまうようなこともあります。しかも今回のように修正再告知などしていないのにもかかわらず。それは時事的なキーワードが関係することもありますが(Timestepsで多いですね。特に食品関連の問題が起こったときに、バードおせちでの検索がよく)、何故か全く関係ないのに急に上がることも。自分がはてなブックマークページで見て、驚いた事が何度か。

 

ですので、本当に自分で言い記事を書いたと思ったのにはてブなりアクセスなりが集まらなかったとしても、その記事を全否定して落ち込むのは少し早いかもしれません。特に資料系のものなど、少し経ってみて、関連する話題が出て来たときにまたそのエントリーを引き合いに出したりしてみると、また違った展開があるかもしれません。ないかもしれないけど。

 

たまには見直してみるのも一興

あと、アクセスとかに関係なく、たまに過去記事を見直して、自分が過去どんなことを書いて来たのかを見直すのも一興と思います。

たとえば昔のことを思い出すとか、この時はこう考えてきたとか、今それを見返すとどう変わっているかなどなど。さらにそこから新しい発想が出て来て、エントリーのネタとするのもよいかもしれません。ついでにリンク切れとか直しておけば、ユーザビリティも上がりますし。

まあ、ものによっては顔面から火を噴いて転げ回るかもしれませんけど(自分はよくある)、まあそれも含めて。あ、でもリア充な人がイチャイチャしたエントリーを書いてて、それを見直した時に転げ回るのはいいと思います。むしろ突きつける。それで余計燃え上がってまたイチャイチャするようだったらさらに10年後に見てもらおうと。それでもイチャイチャしていたらそらおめでとさんと言うしかなく。

 

時間経過による見直しは必要

こんな感じで、過去の記事を見直して、修正し、そしてまた広めてみて読んでもらうというのは、色々メリットのあることだと思います。

ただし、ここでひとつ注意しなければならないことがあります。それは時間の経過により、記事の内容、そして受け止められ方に変化が生じないかという可能性の考慮。

たとえば時事のことについて書いた場合、その書いた当時と現在とでは状況が違っている可能性も大いにありえるでしょう。しかし、再度広めた時には、読み手はそれを現在の情報と誤認してしまう可能性があります。

その書いた時には正しいことであったとしても(間違っていたことは当然として)、時間の経過によって今見てしまうとそれが間違っ て受け取られてしまう場合。たとえば記事執筆時には「なかった(あった)」とみなされていたことであっても、再度の公開時までの間に、その事象が起こった り、新たな発見がなされるなどして「あった(なかった)」となった場合、それをそのまま公開した場合、現在もそうだと誤認を引き起こしてしまう可能性もあ ります。

ニュースなどでは、意図してかしないでか昔の記事が引用され、それが誤解を生じさせること、そしてデマにつながりかねないこともよくあります。

■参考

nakamorikzs.net

 

 今回のように、昔に書いた時点から更に昔のことについて書いた場合などは、時間の違いによるズレは小さいでしょうが、書いた当時の時事を織り交ぜている場合などは、状況の変化を考慮して追記が必須となるでしょう。

ただ、文章を変えるのではなく、「当時はこうだった、こう思っていた」という公開の仕方もありますから、必ずしも変更が必要ではない場合もあるでしょう。ただ、いずれにしても、その内容を現在の内容として公開した場合にズレが生じる可能性がある場合は、「この記事は○年○月に書いたものです」と、前置きの一つでもつけておくほうがよいかもしれません。

 

 

長く続けていればいいこともある(かもしれない)

ブログ界隈というかそれ以前のサイト全盛時代から、ネットで文章を書くというはけっこう回転が激しいです。ちょっと前の書いた文章なのに、すぐ過去のものとなってしまったり。酷い場合はその書いた当日しか読まれなかったり。

また、ブロガー自身もそうで、2000年代に有名ブロガーとして持ち上げられていた人も、結構更新停止したりしてますし(まあそれだけならまだしも、暗黒面に墜ちちゃってる感じのような人もいるけど)。故に、今持ち上げられているブロガーも、数年後にはどうなっていることやら。実際2010年前後に連日名前が出て来ていたようなブロガーも、けっこう停止してる人多いですし。

 

ただ、やっぱりそういった流れであまり注目されなかった、もしくはしなかったようなものでも、価値があるものは埋もれていると思うのですよ。ものによっては時流の変化がそれに価値を持たせたり。

故に、過去の文章ももう一度見直してみて、いいんじゃないかと思うものは再告知、もしくはリライトして再発信してみるのもよいのではと。

 

一度発信したからといって、何も全員に届いているわけでもなく、それを知らなかった人に届けるというのも十分価値があると思うので。「既出だ」との声に恐れず。