空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

何故テレビが売れないか、理由をいろいろ考えてみる

ここのところネットを見ていると「テレビが売れない!」というニュースをしょっちゅう目にします。そして量販店を見ても数年前に比べて大型のものでもかなりテレビの値段が下がっています(価格.com - 液晶テレビ)。普及すれば製造コストの低下などで価格が下がるのはどの製品でもあることですが、この場合はどちらかというと在庫の逼迫をなくすために安売りをせざるを得ないという感じに見えます。そしてそのテレビの売上げの低下は家電メーカーも直撃し、昨今の業績に大きく響いているようです。
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さて、これだけ値段が下がっている状況にもかかわらず、何故テレビが売れないのかというのは、関係者だけではなく多くの人が思うことでしょう。そこで色々と考えてみたところ、ひとつふたつではなく、非常に多くの「テレビが買われない理由」が想定できました。というわけで、今日はちょっとそれを書いていこうかと思います。
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テレビを見るという習慣の衰退(主に若者)

戦後、テレビは情報を入手する手段として家庭の中心に存在し、なくてはならない存在でした。しかし現在、よく「テレビ離れ」ということが言われ、その絶対的地位が揺らいできたことが指摘されています。テレビ離れの原因が何なのかというのはそれだけでまたエントリーが一つ書けそうな気もしますが、大きな要素としては、既に昭和の時代にように居間でテレビを見るという習慣が衰退、若い年代に至ってはほぼ消滅しつつあることだと思われます。簡単に言うと、ゴールデンタイムと呼ばれる19時〜22時に家にいる若者がどれだけいるかということです。労働環境や社会情勢の変化により、社会人はこの時間に帰宅して家にいられるというわけではありません。また、高校生、大学生もバイトとか、それ以下でも塾に行くような時間帯であり、この時にテレビの前にいる時間をキープするほうが難しいのではと。それにたとえ家にいたとしても、ゆっくり寝ながらメールやゲームしたいなんて人も多いでしょう。
つまるところ、かつて存在した「テレビを見る」という習慣自体が破壊され、若者にとってはお茶の間の中心ではなくただの1コンテンツのための道具になってしまったのではないかと。そうなると、当然のごとく買い換え需要は起きませんし、新社会人になって新生活道具を揃える時には置く対象にならないこともあり得るでしょう。万一見たきゃワンセグがあったりする場合も多いですしね。

情報源の多様化による競争激化(主に若者)

もうひとつテレビ離れで言われるのは「テレビ番組がつまらなくなった」ということ。私としてはここ数年殆ど見てないので(とうとうニュースもネットとラジオ中心になってしまった。一応少しはトルネで溜め録画してるけど)あまり興味がないほうの人間ですが、現在でも見ている人は大勢いますし、面白さについては絶対的なことは言えません。ただ、現在のテレビ番組は相対的に見るとおもしろさの基準が激増していると言えます。それは娯楽が30年前、いや15年前とも違い、激増しているから。
簡単に言えばネット(携帯含む)の発展です。ネットには様々な情報が存在しております。そしてそれらのコンテンツというのは一つのチャンネルと考えることが出来ます。極論このブログを読むことだって一つのチャンネル選択とも言えるわけで。つまりキー局なら民放5つという状態ではなく、数千、数万のチャンネルを相手にしている状態とも言えるわけです。それに加えネット外の雑誌やら音楽やらも存在するわけです。そこまで競争に晒されれば、それでもテレビ番組だから強みがあるというのは無理な考えでしょう。

「もったいない」思考(主に高齢者)


昭和のテレビ / mxmstryo

さて、今までは若者中心の話をしてきましたが、高齢者のほうにおいてもテレビを買い換えない理由と思われるものはあります。
いきなりですが、うちの実家のテレビはいまだにブラウン管の30型未満です。私自身はそのテレビではあまり見なくなりましたが、親が結構見ているのでこれだけ安くなったのだから大きいのに買い換えれば? と聞いたのですが、返ってきた答えは「まだ使えるのにもったいない」。結局デジタル化の際も、ケーブルテレビの契約変更だけで済ませてしまいました。しかし、このようなことをしている人、特に高齢者の方にはわりと多いのではないでしょうか。また、安いと言っても、結局必要のないものに金を費やせば無駄遣いなわけです。となると、特に欲求が大きくもないのに買い換えることは「もったいない」という思考が働いても全く不思議じゃありません。ちなみに実際私も安かろうが数万払って買い換える必要もないかなと思いましたし。ついでに録画機もVHSです。滅多に使わないけど。

高齢者の人の場合、若い頃にテレビを居間における仏壇のような存在として育ってきた人も多いはずです。そしてそういう人はテレビが効果だった時代からの意識で一度買ったら20年使い続けるものと思っている人も多いのでは無いかと。実際ブラウン管テレビは20年使えてきたわけですしね(そこはかつての電機メーカーを褒めるところです)。
ここで再認識してほしいのは、既にテレビというものは普及しきった存在であるということです。画像が良くなろうが画面が大きくなろうが、基本的な機能、すなわち番組を見るという機能においてはブラウン管時代のテレビで十分出来てしまうのです(今は数千円のデジタルチューナーなどが必要ですが)。

大きいテレビなんぞかえって邪魔

タイトルそのまま。

日本の家はウサギ小屋と昔から言われます。そして常に置くもののスペースに困り、どのように整理しようか悩んでいるという人も多いと思われます。
さて、そんな日本の家屋において、現在盛んに売り出されている30型、40型といった大きさのテレビは果たして需要があるでしょうか。たしかに昔に比べれば薄型になり、そのサイズでも置けるようにはなりました。しかし、その大きさもものを買えばそれだけ場所が圧迫されます。更に困ったことに、テレビの場合前面を開けておく必要がありますので、事実上そこの場所にも置くものが制限されるのですよね。大きくて見栄えが良いからといっていいことばかりではないというのは、テレビ購入を検討する人はすでに頭に入っているでしょう。
そうなると20型中盤くらいのもののほうが、ワンルーム住まいの人にとっては需要が高いのではないでしょうか。当然値段も格段に安くなりますしね。私のモニターも24型ワイドですが、これ以上だとすでに部屋に置く場所ないのですよね。それに動画を見るにしてもこれで十分だし(むしろノーパソの15インチ程度でもどうにかなるかなと)。
あと、マンションの扉などではどのみちドアから入らない大きさだと意味ないのですよね。

さて、それでもこの小さいタイプで利益が取れるシステムにしてしまってあればよかったのですが、現在のところメーカーは大きなものを全面に押し出してきています。

国内最大80型テレビに賭けるシャープ:日経ビジネスオンライン

この、力が入れられている大型テレビが売れないというのも、「テレビが売れない」といわれる大きな要因なのではないでしょうか。まあそれを戦略ミスと言いますが。


ちなみにこのスペースの価値が相対的に向上したという問題は、テレビのみならず他の製品、そしてほかの娯楽にも大きく影響を及ぼしていると考えられます。それについては後日書きたいなと思っています。

無駄な受信料と電気代を払いたくないという心理

テレビを買えばあとはタダで番組を見られるのか、というと、そう感じられないこともないですが、そうではありません。事実上はテレビを見るのにもコストがかかります。ひとつはおなじみ電気代。テレビを見る以上やはり一定の電気は食うわけです。昔ならともかく、現在の不景気や節電ムードの中ではこれらの電力の無駄も考慮するようになってきましたね。そういえば東日本大震災以来の節電ムードの中で「じゃあテレビ放送一定時間止めればいいんじゃね?」的な話は何度も聞きますが(この言葉にもテレビの影響力の衰退は見えるなあ)、実行はされてませんね。

もうひとつは、受信料。別にテレビを持っていればすぐに来るわけではありませんが、正直契約させる人がウザく思ったという例はあるでしょう。で、そのウザさがテレビの需要を上回ったとき、見ないなら最初からテレビを持たないという選択肢を選ぶ人も出て来ているのではないでしょうか(ついでにワンセグがないiPhoneで)。まあ単純ですが全くいないというわけではないかと。

上記二つの理由より、テレビを捨てて新しく買わない人も若干数出て来てるのではないかと思うのです。

ちなみにうちの場合実家の口座引き落としなので払っていることになりますが、今の社会情勢、大多数の家族形態で昔の世帯毎(おそらく一回に一台を想定)の徴収方法ってヘンだよねえとは思うのですがまあそれはまた別の機会に。

あとついでに、豆知識ですがNHKラジオは現在では受信料の対象になっていないので、バンバン聞いてよいです(つか、むしろこっちなら月額105円とか払っても聞きたいくらい便利)。

リサイクル料金がかかることにおいての抵抗

テレビを買い換えるとき必要な費用はそのテレビの代金や工事費だけではありません。もうひとつ、古いテレビを引き取ってもらうためのリサイクル料金というものが必要になることが多いでしょう。
これはリサイクル法によって必要になったもので、粗大ゴミとしては捨てられず、こちらで回収してもらわなければなりません。しかしテレビの代金とは別に金を、場合によっては4000円近くを払うとなると、割高に感じるものです。テレビの価格が下がってきた昨今は特に

最近、処理業者が軽トラで回っていて、行政的、あるいは消費者的(無料と言いつつ回収料金をふっかけられるなど)色々問題になることもありますが、やはり数千円かかるとなると無料と謳っているほうにだしてしまう心理はわからなくないです。

そして同時に、このようなリサイクル料金でを他のもの(クーラーや洗濯機)でかけてしまった記憶のある人は、テレビの買い換えに消極的な要素となっている面もあるのではと。
心理的にはまだこのリサイクル料金も含めた値段として売っていたほうが、障壁が低かったような気もします。というか(詳細は不明ですが)メーカー屋量販店もやりたいのに、行政上とのしがらみで出来ないというのが実際なのかなあと。

むしろ3D邪魔


LG전자, 3D TV 이어 3D AV 주도권 강화 / LGEPR

ここ数年、新型テレビのアピールポイントとして出されてきたのが3D。しかしこれ、映画で2時間見るだけならともかく、テレビとしてはかえって邪魔なんじゃないかとも思うわけです。
まず、多くの3Dテレビにはメガネが必要ですが、それをつける、そしていちいちのがめんどくさい。イメージとしては、音楽を聴く度にヘッドホンをつけるようなものという感じでしょうか。そして何より、テレビは必ずしもその前に座って凝視するとは限らないこと。何かをしながらテレビを見る人だって大勢います。でもそういう人がメガネをかけながら他の作業をするのは、非常に邪魔になる可能性が高いのではないかと。且つ、実は3Dをずっと見ているというのは、現在の技術においては目の負担が大きいですので、それが嫌悪されている可能性もあります。そういえば自分が3DSでゲーム遊ぶときも、重要なシーン以外は切ってたりするし。あとはよく言われるように、3Dに対応する番組やソフトが少ないと。これは需要が少ないから増えないのかもしれません。

このように、3Dの需要が高くないのに3Dテレビが主力として売られていても、買い換える気にはなりにくいですね。ま、それでも3D切っていればいいのですが、それなら現在のテレビ使い筒づけていいじゃないかと思っても不思議じゃありません

ゲームにおけるテレビの需要低下


Playstation 3 in Full HD !! / Hicham Souilmi

自分はゲームライターのようなものでもあるので、こんなところも。
昔は新しいゲームハードが出ると、そのスペックが十分に活きるようなテレビが欲しくなったものです。買い換えはしないものの、たまには自分のいつもゲームで使っているテレビではなく居間や他の家の大きなテレビに繋げて感動したなんてひともいるのではと。
しかし、すでに20型中盤〜30型程度になると、必要なスペックは上限に達したかと思われます。現在のPS3やX360は現行の画面の大きさで十分必要スペックを満たしている感じですし、それに今度出るWiiUもどうやらそれほど大きな画面は必要ない感じです。いや、それよりも現在のゲームの中心は据置機より携帯機やスマホなどの携帯電話に移っているため、既にゲームとテレビの関係が昔より薄くなったと言えます。

まあこれはゲームの話題としてそのうちどこかで。


まとめ

とりあえず、思いつく所でこんなところを書いてみました。もっと細かく分析すればまだ見つかると想います。

さて、何故このようなことが起きているかというと、仮定ですがメーカーと大半の消費者の愛にダニズレが生じているのではないかと、特に大きいのはメーカーにおいて「テレビ」の力は上記のようなデメリットを吹き飛ばすほど、影響力がまだ強いという神話があるのではないかと。たしかにネットで言われるようにテレビはオワコン云々などということはなく、まだそれなりの影響力があるのはたしかだと思います。しかしそれは80年代、90年代の前半とは全く違っていると思われます。残念ながら、土曜8時にテレビの前に家族中が集まって視聴率40%番組を楽しむことは、コンテンツ的にも社会生活的にもないのですから。

テレビ敗戦「失敗の本質」 シャープ、パナソニックを惑わせた巨艦の誘惑  :日本経済新聞

ですから仮にそんなな神話が続いているとしたらそこから脱却して、今の「テレビ」に即した形に変えないといけないのではないでしょうか。

あともうひとつ言えば、「もったいない」思考のところでちょっと書きましたが、メーカーはテレビを数年で買い換える消費財のように思っている傾向があるように思えます。しかし、実際は前に書いて来たように20年持たせる家具と思っている人も多く、そこでズレが生じているのではないかと。特に不景気の今は。その意識もテレビだけではなく、何かを作っているメーカーや、ひいては音楽産業などにまであるような気がします。そこもそのような意識があるとしたら改めないといけないのではないかと。

これからテレビがどうなるかというのはわかりませんが、もうすでに昔のような唯一絶対の情報魔法の箱ではなく、映像を移す機械であり、中身がなければタダの箱ということは認識すべきかと思われます。でも箱だからといってダメというわけではなく、そこから無限の可能性が広がることもありえるのですから。iPhoneだってもとを辿ればただの音楽プレイヤーなのですし。テレビからiPhoneのような方向性のものが生まれればまた(あくまで思考の方向性ね。なんか今だと電話くっつけただけのものが本当に出そうだから)。


さて、テレビ商戦はオリンピックやワールドカップの時が一つの勝負と言われています。今度のロンドン五輪の時にはいったいどうなるでしょうか。ある意味大きな分岐点となるかもしれません。