私は仕事柄それなりの量文章を書いていますが、いつも表現に悩むところがあります。それは、相手を励ます言葉*1。すごくわかりやすく言えば「頑張れ」という言葉を使いやすい時。文字通りここで「頑張れ」という言葉を使っていいのかというのに考え込むことがあります。
近年よく「鬱病の人に『頑張れ』という言葉を使ってはいけない」ということが言われますが、何もこれは鬱病の人ばかりではありません。たとえばTwitterのタイムラインなりメールやメッセンジャーなりで「疲れた」と言う人を励ましたいのに「頑張ってください」と書いて締めたい気持ちが一瞬湧いてくるのですけど、でもそこで「いや、これ以上疲れさせてもどうかなあ」というのでその表現を止めて別の表現にすることがあります。しかし、同じような状況でも、おそらく一般的には「頑張って」と言われることはまだまだ多いのではないでしょうか。
さて、何故「頑張れ」という言葉は使い続けられているのか。一番は便利だからではないかと。たったひとこと、4文字で相手に励ましの意思が伝えられるという非常に便利だから。さらにどうしても励ましの言葉を伝えるってのは伝える側にも照れが生まれると思うのですよね。そんな時長い言い回しをするよりこの短く使い慣れている言葉は、励ましの意思を言葉として伝えることが出来ます。
さらに言えば、「頑張る」という行為が救済策のように信奉されていた面もあるかもしれません。なんというか「頑張った先には希望がある」というような考え(ある意味幻想)がかつての日本には備わっていたのかもしれません。それはどう見ても努力でなんともならないこと(病気など)にまで努力至上主義的に及んでしまったのではないでしょうか。
つまり、「頑張れ」という言葉は、発言者にとっては努力強制の悪意ではなく、幸福に向かうための励まし的な意味もあったのかと思うのですよね。つまり頑張れば、その先には幸福があると。もし宗教的なものだったら、「貴方に神の恩恵がありますように」と祈るのと同じ感じなのかなと(こう考えると「努力」というのはある意味宗教みたいな要素があるのかなあ)。
しかし、現代では努力してもどうにもならないこと、努力しようとすれば追い詰められてしまうものがあるのは証明されています。それは病気だったりその他境遇だったり。故にそこでは「頑張れ」というのは幸福に向かうための言葉とはならず、逆に「努力を強制されている」というイメージが与えられているという受け止め方をされる人がいても全くおかしくないのではないでしょうか。ここに、「頑張れ」を使う人と、それによってダメージを受ける人のすれちがいが生じると。
つまり、現代では「頑張れ」というのはどのように受け止められるかわからないので、よほどの場合でないと使うのが難しいと思ってしまうのですよね。ですので私の場合、返事をするときの結びではあまり「頑張って」を使わないようにしています(あえて使うのは、親しい人がかなり好調な時に、それをさらに上げる感じの時とかかな)。で、その言葉を探すのですが、どうしても「頑張れ」ほど汎用性に優れた単語ってないのですよね。なんというかちょいとくどい言い回しになってしまう感じで。ですのでケースによって変えますが、最近は「身体こわさない程度に」とか「倒れない程度に」等、今までの会話に即して書くことが多い感じです。まあ文章の場合、言い回しが多少長くなってもよいし、逆に形として美しくなることもありますからね。
ただ、会話の場合には、前述のように長い言葉は伝えにくく、且つテレが生じるので、対便利な「頑張れ」を言ってしまうことがあるのではないかと。で、それでヘタをするとダメージを食ってしまう人もいるのかなと。
それで前から思っていたのですが、この「頑張れ」に代わるような便利な励ましの言葉はないものかと*2。それは思っている人はたくさんいるようですね。
英語でよく使う励ましの言葉を日本語に持ってきたものがありますけど、たしかにそれも手かもしれません(海外での励ましの言葉の種類とか比較するってのもおもしろいかも)。ちなみに意味合いは同じはずなのに、なんとなく『頑張れ』より『ファイト』のほうが柔らかい気もするのですよね。これは英語だから意味合いが薄いというののほかに、中島みゆきが『ファイト!』において、その意味を良い方面でイメージさせているのもあるかなと思ったりしました。余談ですが、世の中には中島みゆきの『ファイト!』を黙って聴かせるだけでも励ませる状況というのはあると思います(当然違う場合もありますが)。
ここにある例はたしかに使えますけど、それでも「頑張る」があまりにも便利すぎるのと、今まで使い続けてきた歴史があるので、これが一番強いのではないかと。ただ、社会的に上のように思う人が多くなると、言葉もだんだん変わってゆくのかなとも思えます。