空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

犯行予告系書き込みの議論は、警察側からの視点も交えて考えなければいけないと思う話

このようなニュースが。

犯行予告を共有するサイト「予告.in」はもう限界に達している

こちらに、最近の犯罪予告を連想させる書き込みと、予告.inの抱える現状などについて、及びこの周辺についてのリンクがまとめられております。

さて、忌まわしきあの秋葉原の事件から2ヶ月が経とうとしているわけですが、この間、ネットではこのような犯罪予告系(実際の予告ではなく、それを連想させるものも含む)の書き込みが散見されました。それに対しての予告通報システム、予告.inというものが作られたわけですが、上の記事でもあるように、それに対しての批判もあるようです。すなわち、それが言葉狩りになるという不安。

『予告.in』にバッシングの声 「ネットで言葉狩りをして成り上がろうとしている」

これについてはほかにも批判している人には理由があるみたいですが、それは上のリンク先を見てご判断下さい。

ちなみに個人が0円、非商用で作ったものに限界がくるのはある意味当然と言えます。故にその限界を考慮したものが、国が発注しようとしている2億円のシステムなわけですし。

 ■参考:国が犯罪予告検知システムを予告.inと同等の時間や費用で作れないのは当然といえる

しかし、これらの考察では、ネット側からの視点(賛否両論において)、及び予告.inからの視点がほとんどであり、とある重要な視点について、あまり触れられていないような気がしたのです。それが、警察側、つまり取り締まる側の視点。それについてちょっと書いていこうと思います。

何故、警察は積極的にネットの犯罪予告書き込みを逮捕、補導するか

警察では通報を積極的に行うことを希望しているようです。

2ちゃんねるに警視庁から「犯行予告」について通報依頼のメールが来ていることが判明、その内容とは?

何故か。それは、この中から犯罪が起きる可能性があるからです。こう書くと、ただのネットのちょっとした悪戯書き込みで、そんなすべて犯罪が起きるわけないじゃないか、と思う方もいらっしゃるでしょう。そして実際、書き込みをされた中から起きる可能性はごくわずかかもしれません。しかしながら、そのごくわずかの可能性ををつぶす責任が、警察にはあるのです秋葉原の事件が起こる前ならば、このような書き込みはただの悪質な悪戯程度で処理された可能性もあるでしょう。しかし、実際に予告してから殺傷を起こすという事件が起きてしまったのです。ちなみに秋葉原以降、予告から傷害という事件が京都で実際に起きています。

ここでもし、これらの書き込みをスルーして、実際に秋葉原のような事件が起こったらどうなるでしょうか。おそらく、マスコミや一般市民の一部からなどによって「予告がされていたのに、それを取り締まれなかった警察の責任〜」という話が展開され、批判される可能性が高いでしょう。故に警察は、たとえ警察官個人がただの悪戯と思っていても、その職務として動かざるを得ないわけです。かっこよく言えば、その犯罪を起こさせないために。

犯行予告書き込みはたとえ悪戯でも「犯罪をする意思があった」と推定される

もうひとつ、書き込みした犯人が逮捕、補導されたとします。そこでネットでは「ただの悪戯なのに」と思い、警察の対応を過剰に思う人がいるでしょう。しかし、それが悪戯でする気がなかったのか、それとも本当にやる気があったのに、未遂で止められたのかは本人以外、誰にもわからないのです。

仮に、秋葉原の事件でトラックで突っ込む前に、あの書き込みで加藤容疑者が逮捕されていたとすれば、はたして加藤容疑者はそれから起こしうる犯罪行為を認めたでしょうか。おそらく、「悪戯のつもりでやった」と証言し、刑を軽くするほうに動いたと考えるのが自然でしょう。しかし正直に言えば殺人未遂。この威力業務妨害と殺人未遂の差は天と地ほどあります(威力業務妨害なら、おそらく執行猶予がつくか、うまくいけば起訴猶予になるだろうし)。そして、また機会あれば殺人のチャンスをうかがう可能性があります。つまり警察は、それと全く同じ想定をしているのではないでしょうか。つまり、書き込んだ犯人は悪戯ではなく、一律「本当に行う気があった」として推定される(だけどいきなりそれで逮捕はできないので、とりあえずはっきりしている「威力業務妨害」を使う)。そして、数々の調査でその犯罪の意思があった可能性を消して行き、最後に釈放するという感じ。ただ、その中で悪戯ではなく本当にやる可能性が残っていると睨んでいるものがいたら、マークし続けるのではないかと。こうすることで、起こりえたかもしれない犯罪を防止したことになるわけです。

つまり、過剰反応ではなく、警察がこうするのは当たり前なのですよね。少なくとも今の世論では。しかし、「起きなかった」という結果は見えないわけで、過剰に見えると。しかし、事件が起きた可能性が証明できないように、もし逮捕しなければ、類似の事件が起きなかった、ということもまた証明できないわけです。だって、人間は嘘をつくのだから。

故に、過剰に見えても、今は警察としては、これらをひとつひとつ抑えなければいけないのでしょう。それは役目として。ですので、権力の濫用という見方は、ちょっと視野が狭すぎるのではないかと思われます。むしろ、ここで取り締まっておかずに、類似の事件が起きた場合、いよいよそれを盾にネット規制論を持ち出す人も出てくるのでしょうから、それを威力業務妨害程度で防いでいる、という見方もできなくはありません。


余談ですが、最近の予告では「小女子」とか回避的に使われてますが、問われるのはその文章や単語ではなく、その行為ですので何を書いても行為が犯罪予告的であれば、つまり「そう思わせる」という意図が見受けられれば、逮捕される可能性はあるでしょう*1。たしかに、犯罪も悪戯も意図がないものが逮捕されれば、ネットの自由的に問題が出てくるでしょうが、今のところ見受けられるのは、ほとんど明確に悪戯の意思をもっている、と、他人から見受けられるものばかりでしょうし。

犯行予告をやることは、ネットで批判されるDQNと同じ

総じて言えるのは、恥ずかしいからそういうものをにおわせる書き込みはやめろということ。だって、やっていることは、チキンレースで走ったり、度胸試しと称して交番の窓ガラス割って捕まる人、言ってみればネットで批判されるDQNと似たようなものですから。

まあ、小中学生ならそういう恥ずかしいところは持っていてもやや方のない面はありますし(度胸試しと称して飛び降りて怪我をするみたいなのは、『坊ちゃん』の時代からあったわけですし)、世間の広さ、それにおけるネットの影響を学ばないうちに、便利な道具を手に入れてしまったということで、やや同情すべき面もあります。ネットのない昔は、似たような悪戯書きでも広まりようがなかったから、親と先生にしかられていた程度ですんでいたものが、国、ネットを巻き込んでしまったというところ(その面で、今回のニュースを教訓として、教育する必要があるかなと)。*2でも、18過ぎてやっているのは同情しませんよということで。


ついでにもうひとつ。もし、その犯罪で動いた警察官のために、ほかのところで未然に防げた犯罪が起こってしまったら、どうしますか?

*1:このへんの、意味を示すのは文章であり単語ではないというのは、そのうちまとまったら書くかも。

*2:だからといって、しても年齢が免罪符になるというわけではないのであしからず。