空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

感想と批評の違いを考えてみる

気になったものがひとつ。
d.hatena.ne.jp

『ヨイコノミライ!』のワンシーンですね。(例のシーンは4巻)

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このマンガの登場人物の例に漏れず、この男キャラ(名前忘れた)もかなり痛い系で描かれております(追記:もしかしたらこのシーンだけ見るのと、単行本を全部見るのでは感じ方が違うかも)。作品を批判的な面でしか語らないだけではなく(しかも同人誌を作るときに、「こんな場所では自分の才能が勿体ないから」というようなことを言って書かない)、他人のHPに身元が分かるような書き込みしたり、露骨に自分の意見と反するところを荒らしたり。*1

さて、上の指摘、考えさせられるものが多いです。一応文章の作り手の世界でそっと生きている人間として言えば、出た作品に対してそれをどう受け取られるか、そしてそれに対してどのような意見を持ち、発信されるかは、「作品以外の部分での攻撃をしない(人格攻撃など)」「他人にその価値観を無理矢理押しつけない(その価値観を共有しない人を全否定するなど)」といったものを守っている限り自由だと思っています*2。ただ、それが「批評」として認められるかは、また別の話ではないかと。


常々思っていることは、「感想」と「批評」は似て非なるものであるということ。そして「批評」は「感想」よりはるかに難しいということです。

かんそう ―さう 0 【感想】
(名)スル
あることについて、感じたり思ったりしたこと。所感。感懐。
「読後の―を語る」「―文」「高遠幽深なる関係を―する/欺かざるの記(独歩)」

ひひょう ―ひやう 0 【批評】
(名)スル
事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。
「文芸―」「作品を―する」

goo辞書(出典は大辞林)より

このふたつの違いは、「考える」の部分が大きいでしょう。それはどうしてそれが面白いのか、もしくは面白くないのか考えて、それを他人を納得させるために論理的に伝えられるか。簡単に言えば、「面白い」「つまらない」「よい」「ダメ」というのだけなら感想(それは多少の修飾を付け加えても同じく)。それがどう面白いのか、それがどうつまらないのかを、他人に自分がどうしてそう思うのか伝えられ、納得させられるものが「批評」ではないかと思います。よって「(本当の意味での)批評は感想よりもはるかに労力がかかる」のではないかと。そしてその要件を満たしているものはどのくらいあるかということ。

つまりこの手の「批評」に対して非難されることは「批評」の存在自体ではなく、「批評」たり得ないものを「批評」と呼ぶことではないかと思うのです。

じゃあ、どれが批評でどれが感想か、なんてのは場合によって違いますので、一概には言えません。上の例のように「批評」と銘打っても「(多くは否定的な)感想」でしかない場合、そして逆に「感想」としていても、かなり鋭い分析をされていて「批評」としても文句がないんじゃないかと思うものもあります。それは実名でも匿名でも同じ。結局は作品と同じく、その文章を読む人にかかってくるのではないでしょうか。『うそはうそであると見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい』とはひろゆき氏の有名な言葉ですが、これもまた同じことが言えるのではないかと。

ここで「感想」が否定的なものと感じられるように思われそうですが、それは決してないでしょう。感想も十分読ませるものになりますし、いいものです。ただ、「批評」と偽装してはいけないかなということです。


私に限らずマンガ読み系のブログさんを愛読する方は多いと思いますが、あまり批判的な文章が出ないように感じます。それはうちもそうですが、それはそもそも面白くないと思ったものについて書く気力って湧かないのですよね。ですので多くは「面白い」と思ったものを取り上げる、故に肯定的な文章が多くなりがちなのだと思います*3。もしその週に出たマンガからテーマもなしに全く無作為に選んで、強制的に「このマンガについて書け」となると、そういった批判的なものも出てくるかもしれません。もしくはとある雑誌専門で、その雑誌のすべてのマンガを批評しているところとかかな? ただ、よいところだけどを伝えるというのも「批評」ではないかと思います。「評論」とは、字面から勘違いしがちですが*4、必ずしも批判的なことを書かなくてはいけないというわけではないでしょう。ですので多くの読書系ブログも(本人はそう思ってなくても)批評たり得るものは多いと思います。もちろん批判も含めて素晴らしい分析をされている方もいらっしゃいますけどね。でもうちの場合はまだどちらの域には達していないかなあと。まあ、紹介については思ったことをそのまま書いているだけなので。


結局、読みものである以上、すべては読み手にゆだねられるのですよね。……はい、もうお気づきだと思いますが、外部に向けて発信する以上、「批評」であれ「感想」であれ、それ自体も他人に読まれ、また評価をされるものであるということです。それはもちろんこの文章も。そしてもしこれについて評価をすればそれも。それはどんな大手サイトでも、零細サイトでも同じ。インターネットとはそういうところなのです。それが嫌なら書き溜めておいておくか、チラシの裏に書くしかないでしょう。でもこれはインターネットだけではなくて、すべての発表したものに言えることですね。結局何かについて論じるということは、この業から逃れられないのでしょう。

では、匿名の場所でのものはどうでしょうか。これも同じことで、その文章毎に自分で判断するしかないでしょう。実際誰でも匿名に、もしくはそれに類する状態で書き込めるところは、玉石混合です。まさにインターネットとは前述の『嘘を嘘と〜』の場所なのですから。ただ、最近インターネットの広がりでそれを出来ない人が増えてきているような気がする……というのは心配しすぎ、もしくは作る側、というか私だけの「近頃の新参者は……」的な思いこみなのでしょうか? いや、作り手だけの問題ではないですね。書き手にも同じ問題は横たわっているような気がします。

*1:ただ、高校生ならここで気づけば将来何とかなるかも思わなくもないです。ある意味例シーンのよう指摘を受けたことは、このキャラの将来にとっては有益であるような気がします。まあ他のキャラも痛いの多いですが、長い目で見ると関係を壊すことで救われているかなと。自我が壊れた1名以外。

*2:上のシーンが、逆に作り手として一切の批評を無視するという極端な反例の根拠とならないように気をつけないと、というのも少し思うところ。もちろんきづきあきらさん(マンガの作者)はそう思って書いたのではないでしょう。実際に批評の存在自体は肯定していますし。

*3:それでもたまに批判でにぎわうマンガもありますが、それはそれで感情を沸き起こさせているのですごいと言えるかも

*4:「批判」と「批評」で1文字重なっているせいもあったりして。