空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

テレビアニメ制作費の件で問題とすべき点は中抜きの是非ではなく、制作側に資金が到達しないという構造

先日、このブログでも『2011年にテレビアニメの構造ががらりと変わる可能性』でちょっと触れましたが、最近ネット界隈でこの問題についてのエントリーが盛んになっているようです。

ただ、見る限りどうも「中抜きがひどい」と広告代理店やテレビ放送局を責める意見に対し「中抜きは商売」という反論が返されているような感じを受けます(まあこの構造もそれぞれのブログで取り上げられている主旨はそういった単純な対立構造とは違うものが多いですが、それは最後に)。
となると、私は客観的には前者と見えるのかなあと思ったのですが、それとは少し違うのですね。この前の話題の主題は2011年以降の変遷の可能性で、こっちの構造的問題にはちょっとしか触れなかったのですが、今日はそっちに突っ込んでみたいと思います。まあチキンハート野郎が前に触れたことの言い訳してる程度に受け止めてくださいな。


まず、最初に思ったのがこの問題の本質は中抜きをしているものを悪者とすることでも、それを商売であるからと是認することでもなく、もっと深いところにあると思います。

私の意見としましては、広告代理店やテレビ局が諸悪の元凶とは思いません。

すべてのものに言えることですが、生産者から消費者に届くまでの経路は直販でもない限りはその間に中間過程、すなわち制作物なら問屋やショップですね。その中にいらないルートが混じることもありますが、そういうものは「流通革命」など市場競争の過程で多くが淘汰されてきました。

現在存在する中間過程というのは、何らかの需要があると考えてよいと思います(潰れそうなものもありますけどね)。現実、問屋がないとその流通の管理負担がメーカー、もしくは店舗に降りかかってきて結果損をする場合も多々ありますし、直販があってもショップでないと信用できないし、ショップならではの利点があると考える人も大勢います。
そして広告代理店も調整と広報の面で必要です。まあ広告代理店の取り分に関してはその業務によってはいらないんじゃないの?と思うことがありますが、それはまた別の機会に。

そしてそれはアニメでも同じことで、広告代理店がなければテレビ局と繋がりませんし(これがちょっと問題あると言えなくもないですが、まあテレビという既成メディアでやる限り構造に乗っかるしかないので)、放送局がなければ放映も出来ません。そしてこれらが業務として行う限り、金を取るのは当然でしょう。


ただ、ここでの問題は最初に言ったように、それらの存在の是非ではないと思います。問題なのは「5000万円のうち4200万円を中抜きしているものの存在」ではなくて、「1300万程度必要なのに、800万円しか行き渡らない開発現場」についてのはずです(数値は『アニメ産業に関する公文書』より)。中抜き云々はそれの問題に対しての原因を探る上に出てくるものであって、根本原因としてあるものではないのではないかと。逆に言えば制作側の費用が十分あるのだったら、4200万途中で取られていようが問題はないのですよね。問題はそれじゃないからだと。ちなみにこれはアニメだけではなくて、「発掘!あるある大事典」やらせ事件で出てきた時のような孫請けの問題も同じ事が言えますね。

ちなみに私も「半分ならまだわかるとして、1/5以下です」と書きましたが(ここは「4/5の中抜きに問題がある」的と思わさせてしまいがちな表現でした。すみません)、ここで「半分」と書いた理由は、ゲーム業界の構造を思い浮かべたからなのですよね。
たとえばプレステの流通モデルは、製作した会社が自社流通を持たない場合、ハード会社にそのソフトを一定価格で卸してそこから各店舗に卸されるという話を聞きます。詳しいパーセンテージはわかりませんが(というか全メーカーのこれが知れたらえらいことになるような気が)、諸経費(プレス代など)含めだいたい普通のソフトは定価の半分強と言われています。まあそこからいくらか取って店舗に卸されるのもあるので大きく外れてはいないかと思います(ちなみにハードの場合は全く話が変わってきます)。それ故に、「1/5の費用で製作する」は驚いたわけです。

ただ、この場合の製作の手元に残る半分と、アニメの場合の半分は全く性質の違うものなのですよね。それは「出資者」の存在。ゲームの場合、そのゲームを作るために出資するのは、たいてい製作する会社か、ソフトの販売会社です。つまりもし出来が悪かった場合、製作したところ自体が資金的な損害を被る場合があります。つまりハイリスクハイリターンなのだと。実際それで潰れたゲーム会社は数知れず。
それに対してテレビアニメは、出資者がアニメ製作会社でない場合が多いです(例外もありますが、それは後述)。そしてもし出来が悪かったとしても、金銭的な損害は被ることはあまりありません。少なくともゼロ以下に下がることは出資をしていない以上(特殊なけいやくをしていない限り)ないでしょう。両者とも出来が悪かった時には「信用を落として仕事が来なくなったり客の信用を失う」という要素もありますが、それはすべての制作物に言えることなので。

要は「金を出しているところが一番強い」という、すべての産業における大原則にアニメもゲームも従っているってことなのですよね。


ちょっと話が逸れましたが、業としてそれをやっている以上、中抜きを否定するつもりはありません。まあそれ費用が適正かどうかですが、これはさすがに相場や必要経費などを調べないとわからないので何とも言えませんし。

じゃあ何が問題なのか、というと、そういったテレビアニメの構造自体だと思われます。つまり、この資金が5000万あったとしても、800万という製作に十分でない費用しか制作元に行かないというモデル。これが機能不全なのだと思います。
現行だとその構造で機能させるためには「資金を上げる」か、「開発費用を安く抑える」という手段しかとれません(交渉で中抜きの量を減らすこともできるかもしれませんが、焼け石に水かと)。で、現状は前述の通り1300万の必要経費に対して800万というのが実情ではないでしょうか。そのかわりに不足分をDVDの売り上げなどでもとをとると。

他のブログやサイトさんで書かれていることも単純に誰が有罪か無罪かではなくて、立場によるアプローチの違いはあれどこの現在の位置づけにおいての構造的な問題を取り上げている方が多いのではないかと思うのです。じゃないとただの広告代理店嫌いで話が終わってしまいますから。


となると、この関連グッズの売り上げに頼らないで成立させるための一番の手段は「開発元に制作費が行き渡り、且つそれでみんなが満足する」というビジネスモデルを作り出すのが最良でしょう。ただ、それが思いつかない、もしくは実行できないからこういう現状があるんであって。

でも、現在の方式で機能不全となると、かわりのモデルがないと業界として存在が難しくなるでしょう。ですので、誰かがそういったものを思い浮かべるのもそう遠くないと思います。それこそ前に言ったように、近い将来、テレビアニメの構造ががらりと変わる可能性もあるのですから。

■参考:2011年にテレビアニメの構造ががらりと変わる可能性

■参考:将来、地上波デジタル放送が高齢者向け&アニメ中心になっている可能性


で、その一環として現在製作会社が製作委員会に出資して、リスクの代わりにリターンを得る方式も一部で行われているようです(図解・「テレビ局はアニメのお金の中抜きをしているか?」のコメントより)。これだと、制作側もリスクのかわりにリターンを背負うことが出来ますね。

将来、アニメ製作業界でも再編が行われ、ディズニーのように放映以外はすべてを自社で行う形式になる可能性も否定は出来ないかもしれません。ゲーム業界でもセカンドパーティーなんていうのがだい増えてきましたしあり得ない話ではないですよね。


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◇参考

プライムタイムのアニメと深夜アニメのビジネスモデルはまったく別

テレビ局はアニメのお金の中抜きをしているか?

図解・「テレビ局はアニメのお金の中抜きをしているか?」
 ……現在の方式(製作委員会方式など)がとてもわかりやすいです。