空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

携帯電話はすれ違いストーリーを難しくしたのか

 山奥で電車に乗っているとき、ふと携帯電話を見てみたら、なんとそこでもアンテナが2本は立っていました。よく繋がりにくいと言われているFOMAなのに。
 で、それを見て思い出したのは、犬上すくねさんの『うぃうぃdays』というマンガの後書きに書かれていたこと。それは

ケータイというファッ●ンなものが浸透してきてから、ほんっとーっに待ち合わせ&すれ違いもののストーリーが作り辛くなりました…

 これ、たしかにわかります。というのは、少し前なら人間のすれ違い、例えば家にいないので電話が通じないけど何処にいるかわからないとか、外で待ち合わせしてるけど何故か会えないなんて話はそれこそ数多くありました。

 ちなみに今私が思い出したのは、『めそん一刻』の管理人さんと五代が、待ち合わせの場所を喫茶『マ・メゾン』と居酒屋『豆蔵』で間違う話です。
 しかし、今だったらたとえすれ違ったとしても、携帯で連絡すれば済む話です。もしそれを無視してしまうと、読み手から「何で携帯使わないの?」というツッコミが入り、不自然さが生じてしまう可能性が高いでしょう。


 これは何も携帯に限ったことではありません。例えばドラマなどの別れの理由として使われる引っ越し。
 だけども現代では大阪まで3時間で行ける新幹線、それにアメリカまでもよく行くことは不可能ではなく、さらに国際電話はおろか、金をそんなにかけなくても、インターネットを使ったメッセンジャーで毎日会話することが出来ます。実際に遠距離恋愛をしているヒトも数多くいますね。(成功率がどのくらいかは知りませんが)
 そんな技術の進歩のために、別れとか悲劇の理由とするには昔よりかなり弱くなってしまったのではないでしょうか。


 『君の名は』という、かつて放映時間には女湯を空にしたという伝説のあるラジオドラマがありましたが、それはあくまで戦時中が舞台だから出来たことで、舞台が現在では携帯その他連絡手段がいくらでもあるので、同じシチュエーションはかなり手を加えないと不可能でしょう。


 こんな現代の状況でもすれ違いなり別離なりをさせるためには、何らかの理由が必要になります。例えば携帯なら通じなくするために何らかの手段を作る。例えば電波の通じないところにするか、携帯を何らかの理由で持たせないか。

 さらにそれは、読み手に対してツッコミを与えさせないものでないといけません。
 例えば何故携帯を待たないならその理由の説得力(親の命令、個人的に嫌い等々)、繋がらないならその場所の説得力(場所、バッテリー、いきなり壊すなど)、何故遠距離恋愛が出来ないのかの説得力(子供だから、金がない等)が読み手を納得させないと、そこが気になって、後のストーリーに支障を与えかねません。でも、いきなり携帯を壊すとかでも「ご都合主義」になってかえって不自然になるので、難しいでしょう。

 最近のマンガ等では、それの理由にさりげなく触れているものが多い気がします。前述の『うぃうぃdays』では、電波が通じない地下にいるということにしていましたが、地下でも電波が通じるかもしれない昨今の状況に困られていたみたいです。たしかに、山奥の電車内まで通じるようなら、もう場所的に電波が通じないが使えなくのは時間の問題かもしれません。
 ちなみに同じく犬上すくねさんの『恋愛ディストーション』では、棗という彼女が携帯を持たない理由として「いつも監視されているみたいで息が詰まりそう」と言ってました。(その後、彼である大前田の友人に「今時珍しい娘」と言われてましたけど)



 そんなわけで、以前なら簡単に使えたすれ違いもの、そして別れものも、文明の進化によって枷が生じてきてしまったのではないかと。

 そういえば以前、《aesthetica sive critica》さんにおいて、どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?というエントリーを読んだことがあるのですが、単純に「携帯があるといろいろ(作家として)困るから書かなかったのではないか」という可能性もあるかなと思ってしまいました。


 とはいえ、携帯電話その他移動、通信手段の発達によって、によって、それまでにない話(携帯を使った○○とか)もできるようになっていますので、悪いことばかりではないとは思います。
 もしくは「(携帯などで)物理的、情報的には繋がっていても、離れてゆく心」なんてパターンも多くなってくるかもしれませんね。