介護職不足の一因は世話した人の『死』に直面することではないか

 

現在、政府が「介護離職のゼロ」を目指しているのはよくニュースで聞くところですが、それに対して介護に従事する職員が足りないという声も非常に多く聞かれます。

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何故、介護職が人手不足なのかというのは、明らかに需要(求人)に対して供給(応募人員)が不足しているからですが、では何故人が集まらないのか。よく言われるのは重労働と、それに見合わない低賃金によるものです。さらには人手不足がさらに一人あたりの負担を大きくなること、場合によってはその過労が介護される側への荒い扱い、場合によっては虐待に繋がる危険性も最近指摘されいます。

これらの解決は困難ですが急務なのは間違いないでしょう。しかしながら介護に人が集まらない、もしくは定着しない理由はおそらくこれだけではないと思われます。それは介護をする側の心理的な要因について。

 

人の死を何度も目にせざるを得ない介護職

自分も親が介護を受けて、介護事業の人にそのサポートに来てもらったことがあります。しかし2011年4月、それまで3~4年間の闘病の末亡くなりました。その時思ったのですが、介護事業の人はこういうこと、つまり介護していた人が亡くなるのを目にするのは非常によくあることなのだろうなと。

介護を受けたからといって、そのまま亡くなるのに直結するわけではなく、もちろん自立出来るくらいに回復する人もいます。しかし高齢者介護では多くの場合、どうしても亡くなることを目にする機会は多いでしょう。それも、会話をして、親身になってお世話をした人が。それも何度も。理想的には全員健康に戻って欲しいですが、現実的にはどうしてもそうなってしまいます。そしてそれに直面するのが介護という仕事です。

つまりお世話をした人の「死」を必ず、それも何度も見届けなければならないわけです。

私が介護をするを見ていて、介護に敬意を持ちつつも自分では絶対に出来ないなと思った理由がそれです。身内ではあるものの一人でさえその心理的な反動はかなりあったので(これについては別の機会にもう少し書きます)。

身内の人が介護していたり、その際にヘルパーに助けられたという人は、同じ理由で介護職は自分には出来ないと思ってる人もいるのではないでしょうか。

 

人の死を見届けることの重み

この「人の死を見届ける」というのは介護職に限りません。医者や看護師はもちろんそうでしょう。そしておそらく医者や看護師はそれらについて学んできていることも多く、そういった死に直面する覚悟もかなりあるのだと思います(そういった医者や看護師の心理的負担やそれをどうしているのかは知りたいところがあります)。ただ、それでもおそらく慣れきるということはないでしょう。表面に出さないにしても、割り切るようにする心理はあるにしても、やはり診てきた人の死に対して何か思うところはあるのではないでしょうか。むしろそれが麻痺している人のほうがまずいですし。

ならば介護の場合も同じで、介護をする人が亡くなるような現場に出くわした場合、その衝撃に絶えられないような人もやはりいるのではないでしょうか。それも親身になっている人の場合特に。一度介護職になったのに離職したひという人の中には、賃金や体力面に限らず、そういった精神的な重圧に耐えきれずに辞めた人もいるでしょう。

 

介護職の賃金や待遇、その上に且つ必要な問題

賃金面、体力面のみならずこういった「面倒を見ていた人の死を何度も見る」ということで精神的負担になるとしたら、本当に大変な職業ですし、誰にでも勤まるわけではないと思います。

介護事業においては介護事業者のみならず、実際の作業する人の賃金や待遇を大幅に上げることは急務です。しかしそれだけでもなお収まらず、こういった精神的な問題もクリアしなければならない難しい職業でしょう。

もし、介護職が「誰にでも出来る仕事」という前提で考えられていて、賃金や待遇、そして定着のためのケアなどが回らないとするなら、その間違いを質してゆかないと、人材不足が手遅れなところに達してしまうのではないでしょうか。もちろんそれは仮に外国人の介護者を使っても同じく。

最後に数年前、フィリピンからの介護士、看護師受け入れとニュースになったものはその後どうなったかという記事を張っておきます。

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