「差別語」についてある視点から学んだ学生時代の記憶

 高校の時、「差別語」についての授業がありました。

こう書くと、どのような授業を連想されるでしょうか?

おそらく多くの人は「ああ、『差別はいけない、差別語は使ってはいけない』系のヤツだろうな」と思われるでしょう。

しかし、私が受けた授業はそういう方向性のもの違うものでした。

 

教科書の 『伊豆の踊子』とその削除された部分

その「差別語」のことについて触れたのは、社会系の授業ではなく現国の授業で、教科書にあった『伊豆の踊子』を学んだ時だったと思われます(もうだいぶ前のことなので、記憶があいまいなところがあるのはご容赦)。

教科書に収録される小説や随筆は、一部カットされている状態で入っているものが多いです。それは教科書という授業で使う性質のものである以上、授業に合わせた長さのものがひとつの区切りにしなければいけない以上、仕方ないとも言えるのですが。しかしそれにより小説や随筆も部分的に抽出した形になり、全部を示すことにはなりません。

しかし、教科書をただ読んでいると、それが全てのように思えてしまうことがあります。『伊豆の踊子』のような有名な作品ならカットされているものとわかることも多いですが、短編の随筆などではそれがわかりにくいことも多いです。

その現国の授業でその時の先生に学んだのはそこのことでした。つまりこれは長い小説の一部なのだということ。しかし、その抜粋した部分さえ、部分的に抜けているところがある、ということ。

例えば『伊豆の踊子』においては、一つの有名なシーンとしてヒロインの踊り子に対して鳥屋が踊り子の肩を叩くと、 おふくろが「こら。この子に触っておくれでないよ。生娘なんだからね」と言うシーンがあります。しかしこの部分の周辺が私が学んだ現国の教科書ではまるまるカットされていました。

内容からして、おそらくその部分の尺だけではなくそのあたりに「生娘」という単語、及びその周辺の踊り子としての意味合いにおいて性的な要素が含まれるが故、カットされたと推測されます。

ただ、『伊豆の踊子』全体を通すと、その部分、すなわち当時の踊子の立場やその「生娘」というキーワードがどれだけ重要な意味合いを持つかというのは、この小説を読まれた方ならおわかりの方も多いと思われます。しかし、教科書ではその部分がまるまるなくなっていました。

授業では参考資料として原文の『伊豆の踊子』より、その部分を提示してきて、教科書のものは元の文章から抜けているということを提示されたのです。

当時高校生だった私は、これは全文ではなく抜粋してあるなくらいにはわかってましたが、勉強意欲もあったわけではなく、そこまで深くは考えてませんでした。ただ、その抜かれた内容を見て、(「生娘」部分以外でもいくつもあったのだけど、さすがに忘れてしまいました)興味を引きつけられるものがありました。

 

「差別語」の存在

そしてそこで一つ提示されたのが、「差別語」の存在とそれが登場する説明。

明治~昭和期の小説では、今では表現すると何かしらクレームがつきそうな「差別語」というものが載っているということは、そのあたりを読まれる方ならおわかりと思われます。それは当時は当たり前のように使われていたものでも、今では差別的表現があるとして放送などでの使用が制限されているもの。そしてその中には必ずしも差別的意味合いを含んでいないにもかかわらず、使用が制限されている場合もあります。そしてそのようなものは、教科書には載るようなことがなく、たいていカットされています。

そこで出されたのが、以下のプリント。

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実物はわら半紙プリントなので、黄ばみがすごいことになっています (今でもわら半紙って使ってるのかなあ)。

これは、ある大手新聞社の社内用として使われていた「避けたい言葉」として使われていたリストを抜粋したものです。

大きく分けてそこで避けたいとされているのは、「人種、職業、男女などについて差別観念を表すような語句」、たとえば給仕→ボーイ、漁夫→漁民、漁船員、工夫→労働者、女中→お手伝い、土方・土工→労働者、作業員といった感じ。そして「民大敵、精神的に障害のある人や、その関係を刺激するような表現」として、おし→ろうあ者、どもり→言語障害者、養老院→老人ホームなど。「新聞の品位を落とすようなみだらな言葉」としてガサ→操作、サツ→警察など。そして「国際的な用語について」として、中国や北朝鮮、台湾の表記などといったものです。

 

「これも自粛されているの?」という驚き

このプリントを見て驚いたのは、別に差別的な意味なんてないんじゃ? と思うようなものでも、新聞では差別語として避けるようにされているのが衝撃的でした。土人などの人種的用語、めくらなどの身体的用語は当時からもまあそれが文脈によっては差別的になるので控える傾向はありましたが、普通に使われていたサラ金、丁稚(そういえば当時はまだコンパイルがあったなあ……)、それどころか床屋、町医者なんて差別意識なんてなく、平然と使われている言葉まで対象になっていたのは衝撃を受けました。 

そして同時にこれは新聞社の自主規制であるにもかかわらず、それが社会的に禁忌的に使われなくなるという傾向にも驚きました。何せ当時はインターネットが全く普及しておらず、情報手段はメディアを通すものが大半でしたから。

しかし授業としては、こういった「差別語」とするものが存在したうえでそれがいい、悪いと決めつけてゆくものではなく、これに対して様々な意見があるが、こういったものの禁止の賛成、反対の立場両方があるというものでした。自分の意見はこのプリントに当時書いたことを読むと「差別語を使って現実に差別を行う人がいるし、言われて不快に思う人もいる」「しかし差別語がなくなっても差別意識は消えず、それどころかどんな言葉でも『差別語』になりえてしまい、慣用表現や文学まで規制される」「そしてこれらは文句を言われるのを嫌がる人(出版、放送、商品など)がどんどん使用をやめて行く」というものでした。

この当時の思考には、それよりさらに以前、マンガ好きであった自分が「有害コミック運動」による表現規制を目の当たりにしてきた影響もあるかもしれません。

■参考

timesteps.net

 

「差別語」の資料は少ない

おととしの紅白で、美輪明弘が『ヨイトマケの唄』を唄った時、それがずっと放送禁止歌だったということをこのブログで書きました。

nakamorikzs.net

実はこれも、その授業があったからこそ、放送禁止用語の存在を知り、興味を持ち続けていた結果、放送禁止歌の存在を知った故に書いたものと言えます。

しかしこの手の資料はその扱うものの性質上非常に数が少なく、なかなかありませんでした。それはネットが普及してからも同じで(役に立たない放言スラングは出てくるのですが、きちんとまとまっている資料が見当たらなかった。それこそ同人まで探して放送禁止用語の資料がやっとというくらい)。故にこのプリントをずっととっていたのは、数少ない貴重な資料だったからです。

ただ、最近やっと放送禁止歌の存在や差別語について述べられることも少しは増えてきた感じです。

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

 

まあそれでも放送禁止歌や封印作品のそれは多いですが、差別語にダイレクトに触れたものは少ないのですが。数少ないうちのひとつが以下の。いろんな事例から「差別語」とされるものが触れられていて興味深いものがあります。

私家版 差別語辞典(新潮選書)

私家版 差別語辞典(新潮選書)

 

 

 「差別語」やそれに伴う表現にあり方について考えるべき

差別語については色々な意見があるでしょう。実際にその言葉を使って差別を受けている人がいるのもまた事実ですし、そのような差別行為は許容されるものではないでしょう。しかし、それにより直接関係のないようなものまで削られうることがあるということもまた認識すべきでしょう。

そして気になるのは今の教科書もこのような感じで抽出されているのかということ。そしてそれに対する注釈は存在するのかということです。

巷ではよく教科書問題とかが言われますが、思うにその内容以前に、その教科書というものは誰かの手が加えられているものであり、様々な事情でその内容が抽出、抜粋されたものである、ということをまず学ぶ人に頭に置かせる必要があるのではないでしょうか。そうすればそこにあるものが全てではなく、もっと広い視野で「自分の頭で」考える足がかりとなると思うので。