空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

自炊が広まったほうが電子書籍は売れるようになるのでは

現在、仕事場と称したワンルームから引っ越すためにいろいろと作業をしているのですが、3年間であまりにも多くなったものを運ぶのに苦労しています。ついでに捨てる勇気にも苦労しています。そこで強い味方となっているのが、Scansnapと裁断機のセット。

1〜2年前に買ったものですが、もう裁きまくりスキャンしまくりで部屋のスペース確保に役に立っています。否、スペースは確保していませんが、これがなければ自分の部屋はとっくにパンクしたでしょう。とびだせどうぶつの森なら以下のようなメッセージが出たかもしれません(ちなみにナカノモリ村博物館2階)。

しかし、引っ越しの時に持ち帰りも出来ず、かといって捨てられもない大量の本を裁断してはスキャン、裁断してはスキャンしているものですから、なんだか写経をしている人のように、微妙に思考が現実逃避的な深淵に入り込むことがあります。そしてそこで自炊のことに電子書籍のことが結びついたのが今日のエントリー。


さて、自炊と言えば去年、自炊の業者が著作者に業務差し止めを訴えられたことなどが話題になりました。

“自炊”裁判終了、東野圭吾氏ら原告側が訴訟を取り下げ「実質勝訴」 -INTERNET Watch

上の裁判においてはそもそも裁判は個人の自炊を問題にしたものではないですし、そこに営利行為が絡むと法律的に様々な要素も絡んできますので、ひとことで善し悪しを述べるのは難しいでしょう。ただ、時に自炊自体が著作権者にとって、そして出版にとって悪のように言われているのも耳にすることがあります。しかし、それは果たしてそうでしょうか。いや、逆に自炊というシステムが流行れば、逆に出版、特にこれから普及してゆくであろう電子書籍での販売に際して大きなプラスとなるのではないか、と思うのです。今日はその理由を。

個人の本を置くスペースはもう限界値に達していると思う

最近のニュース。

出版不況、中でも雑誌は深刻! ピーク1996年の3分の2の売上高 (1/2) : J-CASTニュース

この理由、自分は金銭よりも大きな要素があると思います。つまり雑誌にせよ単行本にしても買っても置く場所がないのですよね。それこそ油断していると床が抜ける状態。かといってすぐ売ったり捨てるのだったら買うこと自体がもったいないから、結局買わないこととなると(本の売値もダダ下がりだしね)。

こうなっている理由のひとつは、まず過去のどうしてもとっておかないといけないもの(自分はたとえばジョジョの文庫約50冊とか)が累積していて、循環が起きていないが故積もっている、つまりは過去に出版されたものがスペース的に今の売り上げを圧迫しているというのがひとつ。そしてもうひとつは、小型化、電子化などによって、スペースを取るものの価値にインフレが起きているというのがあると思われます。

本ではなくても、HDDレコーダーに録画を取り込めるようになった今、たとえ画質が同等もしくはそれ以上でもビデオテープ並の占有スペースをとるものに戻ることは余程その分野に傾倒している人じゃないとできないかと。
ついでに雑誌って買って帰るにしてもけっこう荷物なんですよね。10年くらい前、週刊アスキーやインターネットマガジンなど重い月刊パソコン雑誌をまとめて買って帰るときに、重くて苦労した思い出が。今ではそれはあまりないかもしれませんが、やはり雑誌一冊でも邪魔なものは邪魔と。

そこで登場するのが、自炊や電子書籍という、場所を取らないで本を保存しておける形となるわけです。自炊を出版社が嫌うのは、それによって売り上げが圧迫される可能性があるからと言われますが、少なくともスペースが空いた分、他の本を買ってきて置く余裕が出来ます。そしてそれもまた自炊し、新しい本を買うと。つまりスペースの都合で淀んでいた本の購入フローが動く可能性だってあるわけです。

自炊の限界とそれを補うことの出来る電子書籍配信

しかし、自炊には限界があります。その理由を以下に。

正直一冊の本でも労力がけっこうかかる

最近本を取り込んでると言いましたが、けっこうこれ、労力かかるのですよ。だって裁断しては取り込み、さらにはPCでちょっとした確認や編集までしないといけないのですから(それでもScnsnapの認識機能は相当優秀なのですよ)。紙詰まり起こした時とかもうイライラが。本を置いておけば裁断から取り込み、編集まで自動でやってくれる機械が生まれるにはまだ時間がかかるでしょう。その数が膨大な量ですから、正直数百円で電子書籍を購入出来るならそっちのほう選びます(故に現在優先度が高いのは、入手が困難な雑誌類だったりします)。

どうしても「歪み」「ズレ」が気になる

あと、本の取り込みって角度がわずか1度ずれるだけでも、読むときに気になるのですよね。マンガだと顕著です。かといっていちいち編集するのはめんどすぎますし、そもそも雑誌というのは売られている時点で印刷(裁断)がずれているのでそういうものとあrきらめるしかない。しかし、電子書籍だったらさすがに原本からやってくれるでしょうし、そういうストレスなしに綺麗に取り込まれたものを購入出来るのですから、そっちを選びたくなります。

そういうわけで、持っている本とか、そのへんのブックオフで売っていても、そしてたとえ有料でも電子書籍の需要って結構あると思うのです。

自炊本を見る習慣がつけば、電子書籍を買う習慣にも繋がる可能性は高い

そして、スペースを空けるため、持ち運びに便利などの理由で自炊した本を読む習慣がつけば、同時に電子書籍を購入するようになるとも思うのです。これはすでに前例があります。それは音楽。

最近ではiTunesなり各音楽配信サービスで購入している人も多いでしょう。しかしこれはそもそも携帯型プレイヤー(携帯電話含む)で音楽を聴いて購入するというスタイルがなければ成り立たなかったものです。その時代にあったものが、CDからエンコードしてMP3にしたというものをiPodなどで聴くというライフスタイル。つまり、出版におけるこのライフスタイルが、iPadやKindleなどの端末で、そして自炊でスタートして、さも音楽配信と同じように始まり、そして広まる可能性もあるのではないでしょうか。さしずめ去年からの電子書籍端末ラッシュで考えると、今ちょうどiPhoneが出たあたりの状況かなと。

裁断した本は再流通が起きない

一時期(だいたい5年くらい前)、新古書店に対して反対運動が著作者側から起きましたね。あれも新刊がすぐ中古として売られるから権利者の利益を圧迫するってことでしたが。だけど自炊の場合って本を裁断するので当然売ることは出来ず廃棄するしかないので、そういうところに売られないのですよね。
となると、かえって売り上げが増える可能性はないかとも思うのです。まあこれはデータも何もないので可能性推測のみですが。ちなみに裁断した本を再生資源に出す肩の荷が下りた爽快感はなかなかのものがあります。

出版の敵は「自炊」という行為じゃないよね

そんなわけで、自炊を容認することで出版が活路を見いだす可能性というのもあるのではないかと、スキャンを重ねて疲れて来ていたときにふと思いました。
よく言われるファイルだと違法配布が横行するという論調ですが、それはその違法配布という行為自体を取り締まるべきであって、フォーマットそのものに異を唱えるのは、昔で言うMP3を違法の温床扱いするのと同じようなものだと考えます(90年代はマジでMP3が一部で悪のファイルみたいに言われてたのを覚えている人もいるでしょう。今だと馬鹿げた話ですけどね)。

出版社が団結して力を注ぐのはそっちの違法背信行為に対しての方が有益じゃないかと。もう、ユーザーを犯罪者予備軍に見立てるのはやめにしません? CCCDの大失敗という大きな前例もあるのですから(参考:CCCDはそれからどうなったのか : Timesteps)。


最悪なのはこのあたりでもたついているうちに、「本を読む」、極論「文章(マンガ)を読む」という習慣が失われてしまうことと考えます。もしかしたら、日本のJ-POPが辿ってしまったかもしれない道であるように。そうなる前にどのような形であれ、読む習慣を継続させなければならないと思うのです。