いじめ教育においてはいじめる側にもリスクが存在すると教える必要があると思う話

最近、いじめに関する話題や議論をよく見ます。おそらくいじめで自殺した小学生の事件が契機となり、再燃したのでしょう。

こういった事件が起きると、「いじめが起きないようにはどのようにすればよいのか」という議論がなされ、その中でも子供にいじめを起こさせないための教育についての話が出てきます。このような話は昔からありました。私が子供の頃だと、中野富士見中いじめ自殺事件が話題になった時ですね。隣の区の出来事でしたし(ちなみに現在この中学校はもうありません)。

■参考:中野富士見中学いじめ自殺事件

私の記憶ではこの時代に子供達に行われていたいじめを起こさせない教育というのは、いじめを受けている側には早期に大人に相談すること、そして(いじめる側になり得る)全体に対しては、いじめを行うことで相手の心を傷つけるという道徳的教育がなされていたような気がします。おそらく、今も似たような感じで行われているのではないでしょうか(とはいえ、こういった分野の教育は、全体で語れるものではなく、担当する教師などによって大きく左右されるものだと思いますが)。それらの効果の程はわかりません。もしかしたらこれによっていじめの絶対数が減少しているのかもしれませんが、いまだにいじめはなくなっていないし、どの学校にもあり得るというのは容易に想像がつくでしょう。

しかし私は、子供にいじめを行わせないようにするための教育においてあまり(私の頃は)聞かなかったけど、是非やっておくべき効果的な説明があると思うのです。それは「いじめは被害者だけではなく、その行為によって加害者もリスクを背負う可能性がある」ということ。

スポンサーリンク

いじめる、いじめられるが成立するコミュニティは永続的ではない

いじめというと加害者(いじめる側)が被害者(いじめられる側)に対してそのいじめ行為を行うことですが、ここで思うのは、加害者も、そして第三者も、加害者は被害者、すなわちいじめられる側に対して暴力など一方的な「いじめ」というリスクを受けさせていると思っているのではないかということ。しかし、いじめる側にもその行為によってリスクが生じると考えられます。それはそのいじめが行われている現在ではなく、主に未来に対して。

いじめる、いじめられるという関係は、大なり小なりそのコミュニティで発生します。そこでいじめる者、つまり力が強い者といじめられる者、つまり力が弱い者が生まれるわけですが(この力は現実の腕力や権力に限らず、場の支配力などさまざまな場合がある)、そのコミュニティは永続的なものではありません。100年以上前のムラ社会なら一生そこから抜け出せないということは起こり得たでしょうが、現在ではそれらのコミュニティが永続的に続くことのほうが珍しく、長くても数年、下手をすればすぐにそのコミュニティがなくなる(変化する)。だって、学校は数年で卒業するのですから。そして、その場でいじめていた側、いじめられていた側が決まっていた力関係も消滅することになります。もちろん続く場合もありますが、少なくともその立場が永続的ではないことは明らかでしょう。

そして数年後、別のコミュニティに行ったそのいじめていた側といじめられていた側の力関係はもとのままかというと、そうとも限りません。マンガとかだと、いじめられていた子供が格闘技を習い始め、あとで昔いじめていた奴に復習するなんて話があったりしますが、現実でも可能性として起こり得ます。もっと現実的な例だと、昔いじめられていた人間が、いじめていた人間より社会的にいじめの時とは逆の立場になり(たとえば部下と上司、納品元と納品先など)、暗黙のうちに嫌がらせを受けるという可能性もあり得ます。確率としてそんな多そうに見えないものでも、いじめられた側が地元の役場でいじめた側が行っている業務の監督官になるくらいはあり得そうですね。

つまり、現行のいじめる、いじめられるという力関係は永続的なものではなく、将来逆転される可能性は十分にあり得るのです。そして今度はいじめていた側がいじめられる側に回るような反動連鎖もあり得るのです。

ちなみに現在大人の世界、すなわち会社などでもいじめがあると聞くことがありますが、これも場(会社など)が変われば立場も変わる可能性があるわけで、いじめていた人が別の転職した場所で部下になるとか、親会社や客先企業に就職して、逆にいじめられるなんて場合もあり得ます。昔みたいな終身雇用ならいざしらず、現在の社会ならその入れ替えも頻繁に行われるでしょう。たしかに仕事で私情を交えないというのも大人ですが、全員がそんな完璧な人間なわけはないですから。故に思考が働くはずの大人が行うというのはリスク管理の観点で愚かだと思います(まあそれ以上のメリットがあり、わざとやっているような悪質な場合もありえますが)。

■関連:

現代において圧迫面接は会社にとって非常にリスキーではないかと思う話
就職活動で圧迫面接というのが話題になるが、面接社は一歩離れれば客や取引先にもなりえるわけで、圧迫面接をする企業は非常にリスキーなことをしているのではないか。

余談ですが、日本においてはコミュニティを外れることではあらゆる方面から非難される傾向がありますが、それはそのはず。そのコミュニティに属して優位にいる人なら、その安定した立場が崩れ、逆に外から攻められる可能性もあるわけですからね。ある意味当然と言えます。新卒雇用重視とかも、そこにつながっているのかもしれません。

ここまで書いて、まさかそんな先まで恨みを持っていないだろうといじめる側は思っているかもしれませんが、そうは限らず、全員が全員ではないですが、恨みを持ち続けるというのはよく聞かれます。犯罪であり悪例ですが、恨みを持ち続けたという事件も過去にはいくつも存在しましたし。

■参考:同窓会大量殺人未遂事件

いじめられている側の逆襲の可能性

そしてその恨みをはらす行動は数年後ではなく、すぐに行われる場合もあり得ます。2chのコピペですが、以下のようなものがあります。

中学時代にイジメにあってた。
あってはいたんだけど、一切気にせずシカトしてたんだ。
相手は頭は悪いけど運動はできる奴でスポーツ特待で、皆より早く進学先が決まってた。
そのタイミングで今までにされたイジメの証拠(破かれたジャージ、上履き、ボロボロのカバンの写真)を教師に提出。

ファビョって俺を呼び出すDQN。
適度にボコられた後に警察へ直行。
学校で教師数人とDQN親、DQN、俺、俺親で話し合い。

教師に「なんで、もっと早く相談しなかったんだ」と問われ。
「目の前でイジメられてるのに止めない人に相談してもしょうがないでしょ?」と答え教師しどろもどろ。
DQNに対して「別に、僕も○○のことは、はなっから見下してるし」
「明らかにランク下の生き物相手にムキになるのも大人気ないでしょ?」っと言い。

教頭からDQNの進学取り消しの話が出た後で
「くだらないことに時間を費やさなければ、もうちょっとマシな人生歩めたのにねw」
と追い討ちをかけて帰ってきた。

親には心配かけてゴメンってことと、一生懸命働いて買ってくれた物を
あんな馬鹿に壊されてゴメンってことを泣きながら伝えた。

これはコピペなので真偽の程は微妙です。しかし「いじめ」という行為は社会的には犯罪に抵触する可能性が高い行為であり、発覚するとそれを行った人間に対して社会的なリスクがある以上、このような逆襲は十分にあり得る行為ではないかとは言えます。

そしてこの逆襲で最たるものが、いじめた人間の名を遺書に残しての自殺ですね。もちろん遺書に名前を残して死んだ人が全員そう復習の意思を持っているとは限りませんが、結果としてそうなっている感じでしょうか。これにより、いじめた側はマスメディアなどによって社会的なマイナスの注目を浴びることになるのは、現在進行形の報道で明らかでしょう。ただ、これは死を選ぶという最悪なケースであるのに、マスメディアなどで報道されると、前述のようにどうにかする方法はあるにもかかわらず、これしか方法がないと現在進行形でいじめられている子供に思わせて死を選ばせかねないため、あまり大きく採りあげるのは良いとは思えません(それとは別の方法で周囲のケアは必要と思いますが)。それよりもここに至る前に他の方法があるということは知らせなければいけないのではと思います。

■参考:いじめの加害者をどう罰するべきか | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

※追記:上の記事についてさらに考えるべきことを書きましたので、以下に。

ネットの情報で第三者が実質的裁きをしてしまう危険性
とある事件に対し、メディアなどを通じて第三者がそれを断罪、攻撃することはよくあるが、それは限られた状況の中での判断であり、事実と違う思い込みをする可能性は十分にあり得る。

まとめ

総じて、「いじめ」というものはそのコミュニティにおける力関係が永続的に続くといういじめる側の思考がそれを行わせている面もあると思います。しかしそうではない、将来その立場が崩れ、その時のことが襲いかかってくるという「リスク」を教育することで、いじめがなくなるとまではいいませんが、少なくはなるのではないかと思われるのです。優先するのは、いじめという行為を減らすことだと思うので(残念ながらなくなりはしないとは思いますので、他の対策も勿論必要でしょうが)。
これはちなみにこれはいじめられている側に「数年間だから我慢しろ」というのではなく、いじめている側になり得る人に「数年後にはその立場が逆転している可能性もある」というように言い聞かせるのがよいのではないかと。たしかに感情でいじめを押さえられるならそのほうがよいですが、それが完全には出来ない以上このようなリスクにおける方法でもいじめを少しでも実際に止められればそのほうがよいのではないか、と思えるのです。リスクの概念を知ったからといって、相手を思いやる心情が身につかないわけではないと思うので。

ただ、問題として子供などはその行為が「いじめ」に当たるかどうかというのさえ判断出来ていない場合もある気がします。故にどのような行為がいじめにあたり、いけない行為なのかも同時にわからせる必要があるのかもしれません。