20年前の有害コミック騒動で有害指定された実例から範囲拡大の危険性を考える(後編)

さて、前回の続きです。前編を読んでいない方は是非そちらからお読みください。

20年前の有害コミック騒動で有害指定された実例から範囲拡大の危険性を考える(前編)
現在、ネット上に限らず「東京都青少年育成条例」の改正案の件が話題になっています。うちでも以前書きました。 ネット上での意見を見ていると「条例案はゾーニングを目的としていて、創作物を弾圧するわけではないのに、何故反対するのか」という声も聞かれます。これを反対の人が見ると、そういう人はマンガに悪意を持って規制に賛成している、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。 しかし冷静に考えてみると、それは別にマンガに悪意を持っているという人ではなくても、知らないのだったらそう考えるのはそこまで不思議ではないと考えます。たしかに条例だけ見ると、その法律における表現に関しての部分はゾーニングであり、表現自体には特に影響がない、と思われる方がいても不思議ではないでしょう。それに、拡大解釈の可能性を疑い続ければ、きりがないというのもわかります(軽犯罪法とか銃刀法の刃物規定を厳密に使えばす...

前編では主に青年マンガを紹介しましたが、今回は主に少年マンガ、つまり掲載誌が少年ジャンプやマガジンといったものですね。

まずは20年前における規制の状況から。この時代、少年誌にもいわゆる「お色気シーン」なるものが載っているマンガはわりとありました。特に月刊少年マガジンではそれの傾向が強かったのですが、一番の標的にされたのは『いけない!ルナ先生』のような、少女マンガ風の絵で色気を出しているようなものでした(ちなみに八神ひろき氏のデビュー作である『二人におまかせ』も2巻が福岡で有害指定となってます)。ただ、お色気といっても、ライトな裸とかあって身体にタッチ程度で(だいたいは胸)、直接的なセックスシーンや性行為シーンのあるものはごく少数でした(私の覚えている限りは『キラキラ!』くらいかな)。そしてそれらにおいても、所詮は欲望的幻想のもので、実際に起こせるようなものでもなかったと私は感じています。しかし、そうであっても「有害」となってしまったのです。

そして今日はその中から、特に注目すべきものについて挙げてゆこうと思います。

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『電影少女』(桂正和)

週刊少年ジャンプ連載。『ウイングマン』『I’s』の桂正和氏の作品ですから、ご存じの方も多いかもしれません。山口県で3巻が有害指定。

この作品は、ビデオの中から出てきたビデオガール、アイと純粋な少年、洋太を中心としたSF恋愛物語。この作品の特徴は、各キャラクターの心理描写に深く食い込んでいて、その中には青春時代(思春期)特有の弱さや迷いも含まれます。そういうものを現すものとして、性的な興味や描写もわりと出て来るのですが(勿論普通にお色気的な要素もありますが)、そのためか指定となってしまいます。少年ジャンプ作品でも有害の指定を食らったことで話題となりました。ただ、そのまま終了にはならず無事存続し、映像化などもされました(ただし、単行本3巻には修正が加えられ、2バージョンが存在するとのこと)。
ただ、これも今見るとなんともない感じなのですよね。セックスシーンがあるわけではなし(せいぜい胸触るとか押しつけられるとかそのくらいか)。もしかしたら桂氏の絵の巧さが裏目に出てしまったのかもしれません。しかしの基準が今に適用されると、ここ数年の少年誌作品でもかなりものが引っかかりそうなのが怖いところです。

あと全くの余談ですが、このあたりでジャンプのお色気マンガとして有名だったのが、あの冨樫義弘氏の連載デビュー作『てんで性悪キュービッド!』です(この頃は休載は全くありませんでした)。この騒動の直前に当時連載は終了していたのですが、もし連載してれば電影少女の基準でこうなら指定されるよな、というのは当時自分の周りで言われていました雑談。

電影少女―Video girl Ai (1) (集英社文庫―コミック版) てんで性悪キューピッド (1) (集英社文庫―コミック版)

『激烈バカ』(斉藤富士夫)

『週刊少年マガジン』連載。今回調べていてこの作品の名前を見つけて「はあ?」と思ったもののひとつ。でもマジで4巻が宮城で有害指定。

このマンガ、4コマ系ギャグマンガなのですが、ギャグでよくある丸っぽい絵ではなくややハードな絵柄で馬鹿馬鹿しいネタをやるものです。『ミスター味っ子』の連載当時からマガジンを読んでいた人にはある意味おなじみではないでしょうか。(ちなみに『ミスター味っ子』にも「激烈カバ」っていう楽屋パロディが載ってたな)。ある意味『クロマティ高校』もこのルーツかも(ちょっと違うか)。

で、たしかに女性の裸とかは出て来るのですが、それはあくまでギャグマンガとして笑わせるための下ネタ的なものであって(鼻水が非常に多いマンガでもあった)、さすがに欲情対象のものとはなりえないのですよね。これで欲情するのは『まことちゃん』で欲情するより難しいのではないかと。ただ、笑いを取るために下品にしてあるので、昔赤塚不二夫マンガがそうであったように、マンガ家嫌いな大人からは嫌われるようなタイプではあります。でも、それで有害だとしたら、ちょっと恣意的すぎやしないかと感じるわけです。

『けっこう仮面』(永井豪)

週刊月刊少年ジャンプ』連載(3/30訂正)。宮城県で2巻が有害指定。
「どこの誰かは知らないけれど カラダはみんな知っている…」で有名な、永井豪氏の代表作のひとつ。実はこの有害コミック騒動の中でも注目すべきものであります。

たしかに有名な通り、ヒロインけっこう仮面は全裸ですが、話の本質は管理教育を懲らしめるものです。それが反権力的と判断されて有害指定を食らったとなったら、かなり嫌ですね。
さらに問題なのは実はこの作品、指定を食らった1990年あたりよりも、はるかに前(1974年〜1978年)に描かれたものなのですよね。当時からすれば10年以上前の作品であるにもかかわらず指定を食らいました。

これから言えることは、たとえ作成から何年経っても本が流通しているのならば指定を食らう可能性があるということ。だからここ数年で描かれたものではなく、数年前に連載が終了しているけど一応本が刊行されているものや、場合によってはこの当時有害指定を食らったものがまた指定されてしまう可能性も十分にありえるわけです。現在では1990年代に有害指定を受けたものでも再版されて出ている事が多いですが、また指定を食らう可能性もないとは言えません。さらにそうなると新刊書店はまだ返本すればいいですが、中古書店は過去のものを最低でも分けて売る必要が出て来る可能性が出て来るため、非常に労力を使い、さらに資産を減らしてしまう可能性も出てきます。

この前都庁の会見で『ハレンチ学園は規制対象にならない』と言われたって話が出てきていますが、個人的には『けっこう仮面』のことを聞いて対象にならないと言われたら、「じゃあ1990年の有害指定は何なの?」と質問し直してその時の答えが聞きたかった気もします。

■参考:けっこう仮面ファンサイト”Mask the Kekkou”

けっこう仮面 新装版 (SPコミックス)

多くの人が予期していたところから範囲が拡大してしてしまう

ほかにもあるのですが、とりあえずこんなところで。

つまり、このように「多くの人が予期していたところから範囲が拡大してしてしまう」というのは、過去の十分あり得ることなのです。何も、子供向けマンガで少女マンガ絵柄の美少女がセックスしているというものだけが対象になるという保証はないわけですね。故にこの前出たような定義が曖昧な条例は、非常に危険と考えるのです。前編でも書きましたが『太陽の季節』は条例の曖昧さから範囲内に入ってしまうことは確かですが、実際に指定される可能性はないでしょう。それはしずちゃんのシャワーシーンでも同じです。しかし、それだけ多くの作品が法の範囲内に含まれるということで、実際に予想よりはるかに広い範囲のものが規制対象になってしまう可能性があるわけです。だって、実際に過去にそういう規制が行われていたのですから。ちなみに、当時は少女マンガは本当に小学生向けのようなものしかなく、レディースコミックもほとんどなかったのですが、今だったらどうなるかはわかりません。

あと、この規制は1993年あたりからやや下火になってきましたが、それはちばてつや先生や里中満智先生たちマンガ家や出版の人間が反対の声をあげてそのための会を設立したり動きを創ったのが大きいでしょう。もし動きを受け入れていたら、もっと多くのものが規制されていたかもしれません。

それでも「20年前とは時代が違うからそれはないだろう」とするなら(『けっこう仮面』の例がある以上、それは楽観的だとは個人的には思うのですが)、何故時代によってその表現に対する意識が変わるものを、今の時代の定義で規制しようというのかという疑問がわいてきます。今20年前の作品を見て、なんでこれが? と思うように、未来にはそれが芸術として評価されていることも十分あり得るのです。それを今の基準で有害、無害の振り分けをしてしまうのは危険でしょう。実際、1950〜60年代には手塚治虫、白土三平といった現在では巨匠となっている人の作品も、漫画であるというだけで「悪書」とされたこともあるのですから。そして1970年代には永井豪氏がその槍玉にあがり、1990年には今まで紹介してきたような作品がそうなったのです。故に今の、それも非常に狭い範囲の人の基準で決めるのは非常に危険でしょう。あ、一応言っておきますが、現在未来含めて評価されない作品だからといって、規制されて良い、というわけでは全然ないので。良質から俗悪まで全てを含めて「文化」なのですから。

法規制によるゾーニングが実質的な表現の自粛を招く現象

さて、それでもなお、「その作品を無くすわけではなく、ゾーニングだから問題ない。創作物に影響はない」と仰る方もいるかもしれませんが、実際はそうはなりません。というのは、この当時もマンガ界全体に「自粛」のムードが流れて、それほど関係ないように思える作品の表現も大幅に萎縮してしまったという、これまた20年前の事実があるからです。

実はそれには、出版の流通的事情があります。つまり各地方自治体で食らう「有害指定」だと、その自治体での流通が規制され、本屋で売るのにも制限がかかります。それだけでも書籍や雑誌にとってダメージですが、東京都の「不健全指定」だと、さらに大きな問題があります。

■参考:東京都の不健全指定図書について – 俺の邪悪なメモ ※リンク切れ

重要なのはここ。

さらに雑誌の場合は3号連続、または年間5回、「不健全図書」に指定されると、「帯紙措置」というのを受けて事実上の廃刊に追い込まれます。

■参考:帯紙措置

これをマンガ雑誌に当てはめます。連載作の一つが性描写が強くて不健全指定を食らう→その雑誌全体が不健全指定を食らう→5回食らったらアウト(廃刊)なので、どの掲載作品もそれを食らわないように全作品の表現が抑えめになる、という感じ。さらには以下のような意見もあります。

非実在青少年規制について – 環屋

その頃から規制は頻繁に行われていましたが、不思議だったのは規制の基準がやたらとブレること。
理由は簡単で、担当者が替わると規制もブレルのです。
男性が検閲(と、僕は呼んでいた)担当だと、まあ普通の常識的な規制なのですが、女性、それもポルノなどを毛嫌いしてる方が担当だと、それこそ「?」と言いたくなるくらい厳しかった。
全20ページの漫画に占める「裸のあるコマ」の割合までも言い立てて、規制される。
つまりこの国に於ける規制には明確な基準が存在しなくて、携わる人間の個人的常識、もっと言ってしまうと「好き嫌い」で決まってしまうのです。あまりに流動的で、不安定。
そのため出版社は最終的に自主規制という名の「逃げ」を打たざるを得なくなります。
ヤバそうなものは一切扱わない。

そう、基準が定まっていないので、どこまでがセーフかアウトか、わからないのですよね。故に全体的に抑えめにならざるを得ないというわけ。上のは成年コミックの場合ですが、法規制が行われた場合、全マンガ雑誌が似たような影響を受けることが予想されるのです。特に歴史のあるようなマンガ雑誌はそれだけ慎重にならざるを得なくなるでしょう。20年前も同じような感じでこのような半ば強制的な自主規制が起こり、表現がかなり萎縮してしまった面があります。一時期は乳首が見えたらアウト、というくらい、自主規制という名の半強制が行われていた感じです。

さらに付け加えますが、ゾーニングのために有害指定を食らったものは「成年マーク」をつけることになりますが、その後当時の京都では「ゼロ冊運動」なるものが起こり、そういったコミックでさえ本屋に置かないようにするという運動が起こったそうです。つまりここではゾーニングのつもりが、そのまま事実上の発禁となってしまったというわけです(『有害コミック問題を考える』(創出版)P152より)。流れでこうならないように、非常に気をつけなければいけないでしょう。

このように、「ゾーニングだから表現には規制はかからない」というのは、それが公的立場から強制力を持って行われる場合、現実としては守られない可能性は非常に高いのですね。だって過去に実際こうなってしまったのだから。

たしかに「小学生くらいの子供や、見たくない人が見ないしくみ」はそれなりに構築すべきという意見は多いでしょうが、それが公的な力、すなわち「法」に依った場合、それは表現の萎縮に繋がる可能性が高いのです。最近ネットでも「ゾーニング」や「自主規制」が語られることが多いですが、それが公(法)によるもの(明文化されていないけど公の圧力的なものがあるものも含む)か、自主的に行うものかで、話がだいぶ、というか公の介入を認めるか、認めないかという点で、話がほぼ真逆にもなり得るのです。どうも議論で「ゾーニング」なり「自主規制」という同じ言葉で議論されているつもりでも、その前提がずれて混乱していることがあるように見受けられますので、「ゾーニング」「自主規制」を語る場合、それをどこが行うか、という前提を提示するのは重要でしょう。私も「小学生くらいの子供や、見たくない人が見ないしくみ」は考えるべきだとは思いますが、それはあくまで出版社の自主的なものにすべきだと考えます。さらに、前期をふまえた上でマンガの表現自体にはどんなものであっても成す形が理想と考えます(作者が「自主規制」の名の下に作風を変えざるを得ないのは反対です)。

まとめ

前編の一番最初に書いたように、賛成している人の中にも、反対している理由がマンガ蔑視、オタク文化嫌悪ではなく、このような危険性や反対する人の危惧が素でわかっていない人がかなりいると思うのです。それこそ、20年前と同じように、いかにもセックス美少女が載っているものが対象になると。大切なのはそういった人に対して賛成しているからと怒鳴ることではなく、ちゃんと最初から何故反対するかを丁寧に説明することではないでしょうか。そしてその上で、話し合える人とは意見を聞き、議論し、先述のようなあくまで自主的なゾーニングなど、考えることがいろいろ出来るのではないかと。目的は「賛成派を倒す」ことじゃなくて「表現を規制する法規制をさせない」ことだと思うので。

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