IT技術は将来孤独な高齢者を救うか

このような話題がありました。

NHKスペシャルの『無縁社会 〜“無縁死” 3万2千人の衝撃〜』番組の話題ですね。私は洗い物の最中であったので、テレビの前を通りすがりながら部分的にしか見ていなかったのですが、それでもかなり暗くなりそうな内容でした。

見た若い世代の人達が、「自分もこうなるのでは」と不安に思っている人も少なくないようです。そう考えるのは当然でしょう。現在でも一昔前まであったような「結婚した子供が老いた親と同居して面倒を見る」というようなモデルが、生活形態の変化、少子化、若年層の収入難様々な要因によって崩れているためです。仮に昔のように子が親の老後を面倒見るモデルを復活させるには、大幅な出生数の増加が必要ですが、ほぼ不可能と言えるでしょう。そうなると自力で老後を考えないといけなくなりますが、現在の若年層の収入から考えるとそこまでの貯蓄の目処が全く立たないという人もかなり多いのではないかと。さらに老人ホームですが、今ではそこそこの金額で入れるところもあるようですが、かなり空きが足りなくなっているという話です(初期費用1000万とかの富裕層向け老人ホームとかなら違うでしょうが)。

ましてや将来、高齢化による需要増になりながら少子化で供給できる場所は減るでしょうから、価格が高騰し入れなくなり、それが社会問題になる可能性は大いにあり得ます。ちなみにこの介護者供給を増やそうと海外(フィリピンなど)から介護者を受け入れようとする試みが始まっているようですが、個人的にはそれで介護者を賄うには想定がかなり甘いような気がします。それはまだ日本が世界有数の経済国であり、日本での働き口をどのような形でも望む人が大勢いるという想定で成り立っているように思えるからです。なので、この先日本の経済力がそれなり規模になった場合、日本での介護職に人が集まるかというと、あまりにも障壁が高すぎるのではないでしょうか(言語障壁、重労働障壁、賃金障壁等)。

こんな社会状況や未来予測を踏まえ、今の若年層では自分は孤独死を迎えるかも、と思う人はかなり多くいるのではないでしょうか。それは結婚や子供のいるいないにかかわらず。

ただ、そういった「孤独」に対して、今の若年層が老人になる頃には手助けとなるものが普及しているような気がするのです。それは「インターネット」の存在。

インターネットが日本で普及しだしたのはだいたい2000年手前あたりからで、ここ10数年で爆発的な普及を見せました。1995年あたりに家にPCがある家庭は珍しい方でしたが、今では全然不思議ではありません。携帯電話に至ってはたった10年で、持っていない人の方が少数派になってしまいました。つまり、ここでは各自がネットに繋がる端末を持っているわけです。おそらく将来は、その端末を利用した介護システムというのが構築されるのではないかと思うのです。

昔から、無医村など医者がいない遠隔地での診療用にカメラ付のやりとりで診療をするという方法が試されています(ただ診療は基本対面が必須なので、現状ではあくまで応急手段みたいですが)。これと同じ事が、高齢者介護でも出来るようになるのではないかと。介護事業者がひとりの介護者のところに毎時間来るのには現在でも人員的に無理ですし、将来的にはもっと無理になるでしょう。ただ、そこでパソコンなり携帯電話のメールなりで一定時間で電話をするように連絡をとりあえれば、万が一異常事態が生じた時にその対応をすることが出来ます。これと似たようなものは現在でもすでにあると思われますが、それがもっと洗練され、身近な形になるのではないでしょうか。

ネットのつながりはそういった対介護事業者だけではありません。現在、インターネットをしている人の多くは、メールなりTwitterなりmixiなり掲示板(2ちゃんねる)なりで、やりとりをしたことのある人がほとんどだと思われます。つまりそこではネットの向こうの誰かとコミュニケーションをとっているわけです。つまり、ネットというのものは、その人を誰とも話せないような孤独に追いやることを防ぐことが出来うるわけです。イメージ的にはパソコンの前で誰かとコミュニケーションをとっても孤独的なイメージが与えられていますが、少なくともネットの向こう側にはbotでもない限りは人がいて、その人とコミュニケーションを取っているのです。これは誰とも話すことのない孤独よりもよっぽど健全な状態ではないでしょうか。

おそらく今の20代、30代が高齢者となった時、そのようなネットでのコミュニケーションが当たり前となっていて、そのネット内での交流はもちろんのこと、オフ会などのリアルでの接触、そして需要が出来れば、隣近所などに変わる互助関係が構築される、ということも十分にあり得るような気がします。

また、ネットのよいところは、動くのが困難な人でも利用できることです。歩行が難しく、人と会うと為に出歩くのが困難な人でも操作できますし、体が一部しか動かなくてもそれなりに操作ができる装置というのもあります。重度の認知症だと難しいかもしれませんが、少なくともインターネットを利用することでかなり高齢者、介護者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を向上できる余地はあるのではないでしょうか。

■参考:クオリティ・オブ・ライフ – Wikipedia

■参考:伝の心

故に、現在インターネットを使っている若年層が高齢化する頃には、そういった方面においては必ずしも孤独状態が悪化するとは思えず、それなりに環境を生かして最適化されると思うのです。もちろん現実的な介護など、未解決になる部分もあるでしょうし、今度はネットでのリテラシーとか馴染めない人とか、そっちの新しい問題が生まれてくる可能性もありますが、それによりインターネットを使わずこのままで行くよりは改善される部分もあるのではないかと。未来のことはわからないので、それこそ『定年退食』的なディストピアもないとは言えませんが、そこまでマイナスに考えるとキリがないので。

■参考

最近、藤子・F・不二雄の『定年退食』がますますシャレにならなくなってきているという話
本棚の整理をしていると、ついつい昔のマンガを読んでしまいます。そして今回は『藤子・F・不二雄 異色短編集』をじっくり読み直してしまいました。 そして、今回も気になったのが、以前にも書いた『定年退食』のこと。この『定年退食』というマンガ、あちこちで名作としていろいろ書評が書かれていますが、その通り、読めば読むほど深いものだというのがわかるのです。

ただ、あと半世紀近くある身としてはいいのですが、問題は今から10年後の、団塊の世代の人達が本格的に高齢者となる時代。そこまでにこのようなシステムが構築されているかとなると、まだ無理のような気がします。

一番の問題は、その世代の人達はまだ多くの人がネットに馴染みがあるわけではない点です。せいぜい携帯電話の電話とメールくらいで。いくらよいシステムが出来ても、使う方にそれを使いこなせなければどうしようもありません。故に、個人的にはもしそのようなシステムを構築する動きがあるのだったら、むしろ先にやるのは「高齢者に対してのパソコン教育」だと思うのです。むしろ今後社会で学ぶであろう子供に教育するよりも重要かもしれないなんてことを思います。

高齢者こそパソコンを必修にした方がよいのではないかと思う話
私には介護の必要な身内がいるのですが、頭の働きははっきりしているのでそのへんの苦労はせずにすんでいます。そして、パソコンをやっていたために、メールもなんとか打てるので、うまく字が書けない今となっても、手紙のやりとりは(時間はかかるにしても)出来ているという感じです。そうなってから介護用品についてもいろいろ調べてみたのですが、極論、この分野ではいろいろな研究が進んでいて、稼働可能な部分のみでパソコンが操作できるなんてものも存在するのですよね。極論、眼球が動けばOKとか。■参考:日立ケーイーシステムズ【伝の心】概要そういえば最近も、瞬きのみでパソコンが操作できるもので、本を書き上げたって人がどこかで紹介されていましたね。

★追記(2017/3/9):今読み返して、この手の介護問題における技術とか、最近のAIの話題も含めて『老人Z』を思い出しました。

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