空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

自分の経験は後の世代でも同じという幻想がジェネレーションギャップを生むのではないかという話

このようなニュースが。

asahi.com(朝日新聞社):内定取れる親 取れない親 - 週刊朝日・AERAから - 就職・転職

この記事を読むと、親が就職や面接にまで介入するのか、ということに対していろいろ思う人が多いでしょう。まあただ数に変動があるのかは知りませんが、このテの親は私の就職活動している10年くらい前にもいて、このようなものもニュースになっていたような気がしますので、今の世代全体がそうだと捉えるのは「近頃の若いモンは……」的で危険かもと思えます。つか、記事を読むと、若くない親のほうが子供の障害になっている場合もある感じがしますし(子供にその意識があるなしにかかわらず)。

■参考:母親が「息子に残業させないで」の「残業NGリーマン」:日経ビジネスオンライン

で、それより気になったことがあります。それは「親と子の意識の差」ということ。上の記事の場合は、親の世代(だいたい1980年代に学生だった世代)との就職状況の違いか来る意識のすれちがいについて書かれています。1980年代と言えばバブル前〜真っ最中の時期でまさに売り手市場。ほとんどの学生は内定を複数取れた中から会社を選んでいた時代、それに終身雇用制が一般的だった時代であり、最初の会社選びは一生勤める可能性が高いと思われていた時代でした。それに就職協定もあり、活動は4年の秋からだったはずです(けっこう破っているのもあったそうですが)。大学卒業者の就職率もバブル期は90%に迫る程。ちなみに1991年の就職人気ランキングなんてのがありましたが、今話題の日本航空が3位だったりします。

■参考:色々就職ランキング、イロイロ就職ランキング: バブル期就職ランキング(1991年)

しかし、近年の状況はもはや説明するまでもないでしょう。しかし、その世代に育った親たちにその定規で話されて、その中にはせっかくの内定を蹴られてしまうという場合もあると。そして勧められるところも公務員とかメーカーとかありますが、いまや公務員でさえいつ状況が変化するかわからないというのは、多くの人が察していることではないかと。このすれちがいで衝突が起きている親子というのは、それなりにいるのではないでしょうか。たしかにこの内定がなかなか決まらないような状況で急かされたら、反発したくなる気持ちはわかります。しかし親によっては素で今の状況を理解していないと。


この問題は就職ではなく、受験でも言えます。私は一番受験者数が多かった時代の受験生なのですが、よく「親の世代と今とは状況が全然違うのだから、そのことを理解してもらうこと」というのを言われました。下のデータで調べると、たしかに親の時の受験人数との差は大学で2倍程度、全体では3倍近くあるという感じ。

■参考:大学・短期大学等の入学者数及び進学率の推移(PDF注意)

そんな感じで、この「親子間の意識のズレ」というのが、「ジェネレーションギャップ」として、問題を引き起こしているケースというのはわりとあるのではないでしょうか。


でも、考えてみればこれはおかしな話ですよね。学校を卒業しての就職というのは(学校に入り直さない限りは)人生で一度きりしか経験していないもの。それなのに、また触れたわけでもないのにずっと同じものとして扱われ続けているということが。それは就職だけではなく、前述のように受験でも同じです。さらに言えば、全ての出来事についてそう言えるのではないかと。たとえば私が子供の時代は都内でもわりかし安全だったので、夜の6時くらいに遊んでいてもそこまで心配はされませんでしたし、防犯ベルを持ち歩いたこともありませんでした。しかし今は違うでしょう。よく最近携帯電話所持禁止の条例とかが話題になることがありますが、それはその状況を完全に理解しているのでしょうか。というか、子どもに関する問題は、当事者(子ども)の意思なしに決められることが多いのは、私の世代に有害コミック運動が起こったことから同じようなことを繰り返しているなと思ったりするのですが。

■参考:小・中学生の携帯電話所持を規制--石川県議会が条例案を可決:ニュース - CNET Japan


今騒がれている(盛り上がっている、とは言わない)婚活もそうでしょう。昔と今では収入状況や生活をとりまく環境も違います。しかし先の世代の人間は「自分が結婚時にあった状況」を基軸として、そこに論理を重ねていくので、上の世代が何故現代の20〜30代が結婚しないかというのを分析すると、おかしな話になっているというものも見受けられます。

あと、個人的には同じ大学を出た同門意識ってのもさっぱりわからないのですよね。同じ世代の同窓生ならともかく、10年、20年経てばその学校の文化(教育方針とかではなく、生徒達の活動という面で)というものはすっかり変わっててもおかしくありません。だって3〜4年経てば通常はほとんど同じ人はいなくなるのですから、それだけ文化が変わりやすいというのもあるでしょう。特に部活など伝承が強制されているものでなければ。実際、卒業してからその学校にわりと行っている人なんていうのは、ごくごく一部ではないでしょうか(実際自分も行ってないし。小学校だけは選挙会場でもあるのでちょっとだけ入るけどね)。それなのに同じ学校を出たから同じ文化を持っていて仲間意識がある、みたいなのは疑問なのですよね。でも、同窓意識はあり、学閥として担当者と同じ大学の生徒が入社に有利になったりすることはあるでしょう。で、自分の子どもに同じ学校に入らせる親もいますが、そこは自分たちの時とはすっかり文化が変わっている可能性もあるのではと。


このように、どうも「ジェネレーションギャップ」というのは、その世代の人が持っている「自分の経験した年代ごとの出来事は普遍」という意識があるように思えてならないのです。なんというか、人間は一度経験した人生の上でのイベント(たいていの場合は一度しかなく、二度と経験できないもの)を、未来永劫自分の時と同じだと思ってしまう、というか同じものだと思いたい心理があるように見えてしまうのです。おそらくそういった前に経験した世代の人の多くにも、「変化している」ということが知識としてはあるのでしょう。しかし、それを実感として考慮するのが難しいが故に、このような世代間の認識格差というものが生まれると。で、就職などで認識の違いが生じて揉めることになると。エジプトの古代遺跡に「近頃の若い者は」的な文章があったのは有名な話ですが、それはこのような経験の絶対視によって起きているのではないかと思えるのです。

ただ、いろいろな面で変化の大きい現代においてはそれが表面化する例が多く見られます(昔からあったのかもしれませんが)。その中で一番怖いのは、これと同じ事を政治を行う人々が持ってないか、ということです。つまり自分の時はこうだったから、という意識が、今の若年層に対して行われて、その結果就業対策や結婚対策がつけられない。で、その結果環境的な改善がされず、その世代に人間に問題があるように言われると。さすがに政治を行う人はそこまで安直な思考ではない、と思いたいのですが、どうも近年の状況を見ていると、そう思えてしまうのです。さらに言えば、介護関係であれだけ問題が吹き出ているのに介護士の給与増加などの対策がなされないのは財政的な問題だけではなく、「老人は家族が面倒を見るべき」という価値観をその世代の人が現在の介護する世代が社会的に置かれている状況を顧みずに思っているから、介護士など介護を外部に頼むことに対しての対策がなかなかなされてないのではとも思えてしまうのは考えすぎでしょうか。


ただ、私達の世代も当然同じ過ちを繰り返す可能性はあるのですよね。最近、若年層の対してよく「ゆとり世代」という言葉で処理されることがありますが、それは言ってみれば現在の20〜30代の人間がその上の世代に価値観を押しつけられて憤りを覚えるのと同じようなことを下の世代に振っているようなものではないか、とも思えるのです。その世代の置かれていた環境を考慮しないと、エジプトから続く同じことを言いそうで。いや、言うだけならいいのですが、それで根本の問題を看過してしまうということだけは避けなければならないかと思うのです。