空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

広告媒体は時間が経つ毎に広告避けの手段も発達するのではないかという話

この前電車に乗った時、自動改札の切符挿入口と取り出し口の間にビールか何かの広告がありました。その時はたまたま気になっていたのですが、普段は私の場合、気に留めることはほとんどありません。でもこの広告が出始めのころは「こんなところに広告出すんだ」と妙に感心したのを覚えています。しかし、いつからかそれがあるのが当たり前になってしまって、注目することが殆ど無くなってしまいました。

これと同じことは、他のものにも言えます。例えばプレイステーションの登場した1990年代中盤、SCEは今までゲームの広告とは無縁だったところに広告を配置して注目を集めます。それは例えばマクドナルドのトレイの上に乗せる紙や、電車の広告など。車内でのゲームソフト広告ってのは、当時としてはわりと斬新だったのですね。私の場合当時からゲーマーだったのでやや視点は異なるでしょうが、おそらくはゲームに関心のないユーザーに対しても注目を集め、PS成功の一因となったのではないでしょうか。しかしそんな電車内広告も今では、当たり前のものとなっていて、存在していても記憶する迄に至るものというのはそんなありません(まあ、山手線のテレビで表示される任天堂やSCEの番組はつい見てしまうけど)。

このように、新しい広告媒体は登場時にはインパクトがあっても、次第に注目度が低くなると。それはその広告媒体があるという状況に慣れてしまうからに他なりません。で、正直世の中で目に入り得る広告のうち、大半はその個人にとって無用なもの、あるいは邪魔なものと言えます。残りの有用な情報なら自ら目に入れようとしますが、そうなるものは意識で排除してしまうと。


さて、ここで思ったのが、テレビのコマーシャル。既存広告の最大手と言われてきたテレビコマーシャルですが、実はそれが出来てから50年近くの間に、そういった慣れから来る「CMを回避する方法」みたいなものが、視聴者の間に手法として成立してしまったのではないかと思えるのです。それは意識的なものばかりではなく、電車広告を見ないなどの様に無意識に近い形として。

たとえば土曜8時ドリフの時代から、「CMの流れている間にトイレに行く」みたいなことはよく言われていましたようです。まあまだビデオデッキのない時代ですね(ちなみにこんなかんじでCMの時にトイレに行っとけみたいな発言をした乱一世が一時期干された事件があったなあ)。そして現在でも、CMの間に何かするというのは普通ではないでしょうか。たとえばチャンネルを他の番組がやっている局に変えるとか、ザッピングするというのも、ある意味CMを見ないために回避する技術と言えるわけです。さすがにテレビの黎明期においてCMがどう見られていたのかはわかりませんが、少なくとも私の生まれていた時点ではこのように「ほとんどのCMは回避するもの」であり、「回避するための方法」が確立されていたのではないかと。

そして、その需要によりそれが「技術」という形で現れたのが、CMカッターではないでしょうか。知っている人も多いでしょうが、昔の放送はモノラルが基本だったので、ステレオになるCMだけCMをスキップするという装置があったのですね。最近のレコーダでも仕組みは違えどCMスキップを容易くする仕組みはあるようですし、リアルタイムで見られる番組でも、録画してCMだけ飛ばすという人も多いのではないかと。少なくとも視聴時間が数分短縮できますしね。


つまり、ひとつの広告媒体というものは、このように生まれてから年月が経つごとに、慣れという回避技術も同時に成長させているのではないかと思えるのです。もちろん媒体の拡大に応じてその大きさ、目の当たりにする人の数は増えてくる可能性はあるでしょうが、それと同時に「注目させないための技術」も大きくなってくると。

最も顕著なのは、インターネット広告かもしれません。1990年代、ネットではポップアップ広告というのが大量にありました。無料ページなんかではかなり見られました。しかしそれを回避するフリーソフトが生まれ、そしてセキュリティソフトに標準装備され、今ではあまり見られなくなったか、存在するサイトは「ウザイ」と回避されるようになった感じです。

そんなわけで、実は大きい様に見えても回避技術もそれだけ拡大し、その規模から見える広告効果的に期待しているほどはない媒体というのも現代では多いのではないかと思えるのです。

もちろんそれをわかって、広告の提供側でもその媒体におけるマイナーチェンジが行われています。たとえばCMなんかでは流すタイミングをずらしたり、チャンネルをザッピングしにくい様にかヒキにしたり、リアルタイムで見ていると携帯での参加など利点をつけられるようにしたり等。まあ、それが視聴者にとってどれだけ効果があるのかはわかりませんが。まあウザイのになってチャンネル回したりテレビ消す羽目になっているのもあるでしょうが。でもこれもそのうち慣れて、結局回避のいたちごっこが行われるのかなと。

さて、現代ではタイアップなどで番組ごとCMが含まれている様なものもありますが、それが広告だと気づかれた時、その番組自体が回避の対象になるのかどうかというのは注目すべき点かもしれません。


しかし、「慣れ」が一番の敵ってのは、広告だけにとどまらず、「注目」させるもの全て、例えば娯楽などにおいても同じようなことが言えるかもしれませんね。まあそう考えると広告も、「慣れ」を楽しませるようにしてしまえばいいのかな。