空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

昭和の未来像にあった「テレビ電話」は何故普及しなかったのか

私は小学校低学年の頃、『小学○年生』とか、学研の『○年の科学』といった本をよく読んでいました。で、私は昭和50年代生まれですが、この当時の記事では、たまに「未来はこうなる」みたいな特集が組まれ、21世紀にはどうなっているみたいな世界の想像図や記事が描かれていました。これは私たちの世代だけではなくその前の世代から描かれていたという話を聞きますね。それ以降(昭和60年代生まれや平成生まれの人の読んでいたもの)はどうなっていたのかよくわかりませんが。

さて、その未来想像図には決まって描かれていたものというのがありました。それは「タイヤのない車」、「道路を何故か立ったままで移動できるチューブ状の道路」、そして「テレビ電話」。ここで注目すべきはこのテレビ電話。もしかしたら平成生まれとかの若い人はイメージできないかもしれませんが、電話に小型ブラウン管のようなものがついていて、それが家庭に置かれていていつでも相手の顔を見ながら電話できるみたいなのが、家庭内における未来のイメージの一つとしてあったのですよ(で、ついでのその背後ではロボロボした自動掃除機が掃除していると)。

しかし、現在振り返ってみると、テレビ電話がどの家庭にも普及しているということはありません。だけどこれ、タイヤのない車とかチューブ状の道と違って、現在でも技術的には全然難しくないどころか、もう技術自体は存在しているのですよね。携帯電話では動画をリアルタイムで送ることは普通の機能としてありますし、固定電話でも専用の端末さえあればテレビ電話が可能です。しかし、それが過去の雑誌に載っていたような未来像みたいに、どこの家庭でも使われているということはありません。


さて、何故昭和で描いていたようなテレビ電話が普及しなかったのか。対応端末の値段の問題もあるでしょう。しかし何より、多くの人が実は必要性を感じなかったからではないかと。まず、テレビ電話のメリットは相手の顔を見ながら話せるということですが、電話の場合必ずしも相手の顔を見て話すことを望まない場合も有ります。たとえば寝起きのだらしない顔で電話に出ることを望まない場合もあるでしょうし、顔を見られなくない相手もいるでしょう。

さらには、昭和の未来像として予測の範疇になかったと思われるネット、とりわけ携帯電話の普及が大きいからではないかと思うのです。

以前、このようなエントリーがありました。

どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか? - aesthetica sive critica〜吉田寛 WEBLOG

たしかに、SFというか昭和時代の未来像には、携帯電話、それにインターネットというものはあまり存在していない感じなのですよね(この理由についてはいろいろ思うところはあるのですが、非常に長くなると思うのでまた今度)。しかし、現実的にネットと携帯電話は普及しました。さて、おそらくはここに主な要因はあるでしょう。

現在普及している携帯電話には、通話中に画像や動画を送ることの出来る機種はたくさんあります。これは断片的なものであり、常時顔を見せながら通話するのにはあまり向いていないように思われます。しかし、それ以上のものは望まれてはいなかったのではないかと。その理由は前述の「顔を合わせたくない瞬間もある」というのがあるのもひとつですが、そもそも電話での通話という文化が、長い時間をかけて顔をあわせないで声だけでするものとして定着してしまったというものあるのではないかと。つまり、電話というものにおいては、声以外はそもそも余分なものであるとされてしまったのではないかと。たしかに文字情報や画像、動画が必要な場合も有るでしょう。しかしそれはすでにFAXやメールで補完され、どうしても長時間、リアルタイムで顔を合わせて話し合いたいのだったら、パソコンのライブチャットを使えばいくらでも出来ます(携帯でもやろうと思えば出来るし)。つまり昔描いたような固定電話でのテレビ電話というのは、当時電話以外の通信イメージがなかったから出来たものであって、現実に代用があるとしたら必要とされるものではなかったと。故に一部の必要とされる状況を除いて、普及はしなかったのかなと思えるのです。たしかに「携帯電話の発展が未来の想像を凌駕していた」というのも大きいでしょうが、たとえ携帯がここまで普及しなかったとしても、最低限FAXがあればテレビ電話は生まれていなかったのではないかと。


これと同じことは他のものでもあります。以前、ドラえもんの道具の中で実現しているものとして「壁掛けテレビ」を挙げましたが、よくよく考えてみると現在の壁掛けテレビと言われているものとこの当時の壁掛けテレビのイメージは違うのですよね。今みたいに壁とかがしっかりしていてそこに工事を施して設置するのではなく、掛け軸とかタペストリーみたいに吊しても映る感じで、巻いて持ち運びすることとかも出来る感じ(イメージとしては小学校の授業で使ったつり下げる地図みたいな感じかな)。しかし現在、その巻いて移動するテレビが必要かというと、あまりそれを感じません。そんなものよりワンセグの方が携帯性にも優れていますし、かといって大画面で観たいなら、現行の薄型テレビで十分ですし。

■参考:今でも技術的には作れそうなドラえもんの道具 - 空気を読まない中杜カズサ


こんな感じで、未来像にあったけども現実的にはそれを必要とされなかった、もしくはそれ以上に便利なものが既存の延長線上で出来てしまったというものはたくさんあるのではないでしょうか。しかしこう考えると、パソコン&ネットってとんでもない発明なのですよね。

ただ、こういうものは発想が大事なのであって、実現しなくても無駄だったとは思いません。そういったイメージがきっとP2とかアシモに繋がっている面はあるでしょうし。

ちなみに現在の学習雑誌は、未来をどう語っているのか、そしてそれがどうなるのか見てみたいものがありますね。