空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

『マイナス効果広告』は存在するのかしないのか

さっきふとテレビの前を通りかかったら、私とは主義主張の全く合わない女性タレントがテレビのバラエティに出ていました(誰かはあえて書かない)。で、そのテレビたまに見るくらいはしていたのですが、これを見て「ああ、この人持ち上げるような番組なら、もう二度と見ないな」と思ったりしました。

さて、このようなこと、皆さんも体験したことないでしょうか。もちろんその番組がとても好きというのならともかく、まあどっちでもいいやレベルならそれが引き金になって逆に見なくなるってこと、あるのではないでしょうか。とはいえこれってテレビ番組だけではありませんよね。テレビと同じように流れているコマーシャルでもそのようなことが起こりえますよね。

でも、これはちょっと考えるとおかしな話です。CMというのものはそもそも広告の最終目的のほとんどはその製品を購入させたりサービスを利用させること、すなわち広告主にとってその広告をしたことによって何かしらの「対価」を得ることを目的としていますよね。たしかに知名度を上げる、イメージをよくするといったものも存在しますが、それも間接的に金銭利益など「対価」を得ることを目的としているでしょう。この対価は金銭に限らず、例えば政党CMをすることにおける支持や票なんかもそうですし、社団法人のCMをすることにおける寄付なんてのもあるでしょう。対価を目的としているのは、公共広告機構で流れるような非営利の告知くらいでしょう(まあこれも「そういう広告を流すことでのイメージアップ」いう対価があるといえばあるのですが)。にもかかわらず、その得られるかもしれなかった対価をその獲得のために流したCMで失ってしまうことがあるのですから。

しかしこれは何もタレント嫌いだけではありません。たとえば昔、大人の頭を子供がはたくCMがあったのですが、それを見た年輩の人がその製品を買うのをやめたという話がありますし、近年でも男女にいきなりその製品のアピールを初めて、怖がって逃げるその人を追いかけるという、人によっては笑いを通り越してき不快を覚えさせるといったCMもありました。いや、それだけではなく、CMってのはそもそも番組の合間に入りますよね。ということは見方によると、その番組を見るという行為を中断させている、すなわち邪魔しているとも言えるわけです。つまり、そこで視聴者にとって不快感を与えているという可能性はあるわけですよね。ということは、対価を得るのとは逆の方向に心理が働いてしまう用になる可能性もあるわけです。言ってみれば「マイナス効果広告」とでも言うものでしょうか。

これはもちろんすべての広告に言えることですが、雑誌などの場合は嫌ならそのページを見ないという選択肢がありますし、インターネットの場合も多くの場合はその広告と見たいものはその「場所」に平行しておいてあるので、ウザったくはありつつも、スルーすれば時間を無駄にすることはありません。あと広告禁止のソフトを入れるとか色々回避手段もあるし(ただ、昔あった一定時間広告を見ないと次に進まないっていうのは非常にウザかったですね)。しかしながらCMの場合強制的に入り込んできて、その媒体の前にいる限りスルーをすることは出来ません。いわば「テレビを見ている時間を邪魔するもの」なんですよね。それはCMに時間トイレに行くという行為も同じで、いわば「時間」を強制されているのです。

このマイナス印象はよほどのものでなければ「その製品を積極的に拒否する」とか「周りにも買わないように言う」ということはないでしょうが、その製品が他社の類似商品との二択になって選ぶのに困った時、気に入っていればその製品を手に取りますが、このようにマイナスの印象を与えられていれば反対を選ぶようになる可能性は高いと言えます。つまり広告は必ずしもプラスに働かず、このようなマイナス面を持っている気がするのです。


この点から、CMというものについて昔から非常に不思議に思っていました。つまり時間をとられることで嫌われる可能性があるのに、どうして高額を出してまで出稿するのか。それを考えた結果、広告というのは何も好かれることを目的としてはおらず(勿論好かれれば最高ですが)、とりあえず知ってもらうという目的を果たすのが一番だったのではないかと。つまり極論、少しくらいなら嫌われても名前を知られれば成功だったと思っていたのではないかと。もし、本当にそんな感じで知名度のアップを第一目標としているのだったら、「マイナス効果広告」というのは存在しないはずです。しかし、何故か昔からクレームに対してはこの手のCMは敏感で、何か問題が起きそうになるとすぐにやめていました。そして近年ではネット上でクレームが起きると、スポンサーが一気に撤退するようなことも起きていますよね。しかし、これは矛盾していると思うのですよ。もしこのように目立つ要素最優先なら、逆にこのようなクレームが起きた方が全然目立たないよりはよいはずです。しかしながらどうもこの反応はそうではない感じ。これに矛盾を感じていました。

で、その理由として思ったがふたつ。ひとつは別にそういったクレームに対する反応とかはポーズで、実は企業はそれほどは気にはしておらず逆に「目立った」と喜んでいると。つまりは広告にはプラス効果しかないということになります。ただ、これはどうも最近の対応から納得できません。

しかしもうひとつの可能性として、そもそも広告のマイナス効果というものに気づいていなかったという可能性もあります。つまり、広告をすれば得をすることはあっても損をすることはないと、長い間信じられてきたという可能性が考えられたのです。

ただ、さすがにそれを考えつかないほど広告を出す側も愚かではないでしょう(たぶん)。で、もうちょっと考えてみると、今と昔とでは状況が違うという可能性も考えられました。

つまり昔は広告の絶対量が少なくて目にする機会も少なかったので、それにコンテンツとしての価値観みたいなものがあって反発も少なく、いわば広告自体に「足し算の効果」があったと。そこではよほど下手を踏まなければ反発を買うことは少なかったと。少なくとも放映しただけでストレスとなることはあまりなかったという感じ。実際昔のCMって、その番組内において放映する時間が均等で、量もタイミングもなんとなく予想がつきましたしね。そしてそこではマイナスは少なくほとんどの広告がプラスの効果でしかなかったと。

しかし時代が進むにつれて広告の量が莫大な数になって、目に触れないことがないくらいになってしまった結果、その受け取り手からの価値が大幅に下がってしまったのではないかと。で、今の広告はそういうようにどれだけ反発を食わないかという「引き算の効果」、すなわち「マイナス効果広告」が出てきてしまったのかもしれないなと。

もしこれが当たっていたとしたら、広告市場の広がりが逆ベクトルの要素を発生させてしまったということで皮肉なような気がします。


どちらにせよ、これからの広告は出せば出すだけよいというのではなく、時と場所をしっかり選ばないと、逆にマイナスになることはあり得ると思えます。まあ、本当に広告にプラス効果しかなく、目立てば勝ちだったら今まで通りでもよいのですが、個人的にはそれは違うような気がするので。


実は今日書いたことはCMだけではなく、とある分野の広報手段において昔と今の受け取り手の印象はだいぶ違うと思ったからなのですが、その話はまたの機会に。


◆追記
あくまで推測ですが、もしかしたら今までずっと「広告はプラスの効果しかない」という広告が広告主から発せられてきたが故、マイナス効果広告がないことにされてきたという可能性も考えてみた。