藤子・F・不二雄の『定年退食』で、一番悲惨になり得る登場人物は誰か

以前、藤子・F・不二雄先生のSF短篇『定年退食』について書きました。
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これは、藤子・F・不二雄先生のディストピアSF短篇である『定年退食』の社会が、現実の社会の延長線上に来る可能性がある未来にもありえそうでシャレになっていないということを書きました。特に問題は、「老人に対する認識」で、この社会では実は社会的には現代と見た目変わっていないのに老人にだけこのような公的補助がなくなっているということは、「そうできない」のではなく「そうするつもりがない」という点です。つまり、社会的な現行の福祉を削ってまで老人を救うつもりがないというところが、一番怖さを感じるわけです。

気楽に殺ろうよ (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

しかし、この後さらにいろいろと考えてみました。

いきなりですがここで質問です。この『定年退食』の登場人物の中で、一番悲惨な人、もしくは一番悲惨になる可能性のある人は誰でしょう。まあグループディスカッションには絶対に出そうにないテーマですが、ちょっと考えてみてください。



ちなみにざっと登場人物をまとめると、以下のような感じでしょうか。
・主人公の老人
・主人公の息子&嫁
・吹山
・吹山の息子
・吹山の孫
・奈良山首相
あと何人か居るけど、モブ扱いなので省略。

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はい、おそらく多くの人は主人公&吹山と答えると思います。それは物語の主役は主人公であり、ラストページの「わしらの席は、もうどこにもないのさ」という場面もその二人の悲しさを示しているから。ですのでそれは物語を読む的には正しい見方だと思えます。

ただ、別の方向からよく考えてみると、この登場人物の中で一番悲惨になる可能性を抱えているのは、実は「吹山の孫」なのではないでしょうか。それは、ラスト近くでベンチに座っている老人2人に対し、席を譲れと言ってきた若者です。こう書くと驚かれる方もいるでしょう。なぜなら物語では一番自由奔放に見え、社会の受益を得ているように見えるから。しかし、彼を主体として置かれている境遇を考えた場合、かなり悲惨なことがわかります。


まず、この社会では74歳以上の公的保証がなくなります。ですが、よく考え見ればそれの適用を受けるのは主人公達だけではないのです。そう、あの孫も歳をとり、同じ運命を辿る可能性は非常に高いのです。

ちなみにその孫、もしくは主人公の息子達が74歳以上の公的保証がなくなるとわかった場合どうなるか。おそらくは蓄財に走るでしょう。つまり、これから先の世代は来るべき時にそなえて財産をためこまなくてはいけなくなるのです。そうしないと即死につながるから。

ついでに言えば、この奈良山首相の74歳以上の公的保証を一切打ち切るという政策は、実はとんでもない愚策であります。それは心情的な意味ではなくても、経済的な意味において。この政策が施行されたことにより、働き盛り世代はどのような行動を起こすかとなると、十中八九老後のための蓄財に走るでしょう。つまり働き盛りが娯楽のために金を使わずに、働けなくなった時のために蓄財するモードに入ります。おそらく家族の扶養も怪しくなるので、少子化も始まっているでしょうね。そうなると経済は停滞するわけですから、完全な不況状態になります。まあ、この世界では食糧難みたいですので、すでに現実社会のような経済が崩壊していて別の社会原理が働いているかもしれませんが。

ただ、これだけならこの物語の時代の老人達もそうでしょう(そして登場人物ではない老人達の中には、この保証打ち切りの数日後に死んだ人もいるでしょう。特に医療的、食料的な側面で)。しかし、さらに若い世代には大きな違いがあります。それは「老人に対する心情の違い」。

なんだかんだ言っても、主人公はラストシーンで子供達に食料を勧められたり、それ以前も「二次定年を迎えても私たちがどうにかする」と助けられている描写があります。おそらくこの後も主人公に関して言えば食料には困らず、親族の愛情には囲まれて生活していけたのでしょう。
しかし、この孫が老人となった時、そうされる余地は残されているでしょうか。この世界を見るに、どう考えても立ち直る余地は見えません。すると、ラストシーンで老人に席を譲れと言った若者は同じ運命を辿ることになります。なぜならこの世界では「席を譲れ」というプロパガンダがなされ、それが転換することがないなら同じようになるのが目に見えているので。
いや、それだけではありません。この傾向が続いてゆけば、物語の主人公が受けていたような親族間での待遇も保証されず、老人は邪魔者でしかないという扱いを社会全体がするようになる事もあり得ます。まさに楢山節考。

つまり、後の世代になればなるほど、老人になった時の風当たりが強くなるということです。こう考えると、一番の被害者はこの時点で一番あとに老人になる者、すなわち孫となるわけです。もっと言えば、公園で遊んでいる子供がそれを被るでしょうね。


さて、ここで抽出した要素を現実社会と照らし合わせてみます。

現代ではすでにこのままではという条件付きながら国民年金が破綻することは目に見えています。このままで無事に運営されると考える人はあまりいないでしょう。多かれ少なかれ、何か不安を持っているはずです。さらに、現代、結婚しない人が多いというのは、子供ができても扶養が大変というのももちろんありますが、同時に結婚をしたら老人になった時の蓄えがなくなり、生きてゆけなくなるからと考える人もいるのではないかと。

さらに、こんなニュースがあります。
J-CASTニュース : おカネあるのに使わない高齢者 それが若者の低賃金を生む

ただ、これは高齢者全員を責めることは出来ず、今の(これは現在ということではなくて、ここ何十年という意味で)社会や政治(扶助や福祉など)に対して信用がおけないために、よほど金が余っている人でもない限りは、自分の生活を保障するためにおいそれと使えないという面が強いでしょう。特に若者と違って新規に仕事を得るのは非常に難しいでしょうし。*1ただ、図らずも現行の制度ではこの負担は若者にかかってくるわけで、上のようになると。そしてそうなった時、若者は老人に対して何を思うか。もちろん親族的愛情はあれど、世代的な問題として、はたして「老人」というだけで親愛を得られるか。今の世代はそれでも大丈夫かもしれませんが、今後20年、30年と経ち、私たちが老人になった時にどうなるか。そう思うと、この物語のシャレにならない度がさらに増すわけです。


ただ、今日のネタはあくまで『定年退食』の世界から引っ張ってきた「ネタ」ですが(そこまで人間愚かではないと思いたい)、物語であれ現実であれ、高齢者問題というのはその時点だけではなく、長い年月、自分が高齢者になった時の状況も含めたとてつもなく深いものだと思わされます。それは誰もが高齢者になるから。

*1:これに関しては、老人の低所得者は補助を受けるかわりに、高額所得者はその分の税金を納めるという、その世代でそれをまかなうというシステムがいいのではないかという気がしたのですが、このへん税についてあまり調べていないので、今日はメモ程度にしておきます。