空中の杜

旧名「空気を読まない中杜カズサ」。

商業行事としての恵方巻きは案外需要があるのかもしれない

最近、コンビニなりスーパーなり、駅前の持ち帰り専用寿司屋(京樽など)の前を通りかかると、節分用の恵方巻きの販売告知なり予約なりのポスターが貼ってあります。あれを見て「ああ、また新たな商機にしようとしているな」と思ってしまう人はそれなりにいるでしょう。だって少なくともあんな風習、昔の東京では全くありませんでしたからね。やっぱり節分と言えば豆まきに柊、それに鰯の頭って感じで。

ただ、現状に即して考えてみると、これは案外受け入れられる土壌があるんじゃないかなあと思ったわけです。それもバレンタインみたいに無理に、ではなく、わりと歓迎される方向で。まあ熱烈歓迎ではありませんが「あってもいいかな」レベルでは。その理由をちょっと書いてゆきます。

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需要があると思われる理由

さて、まず最近豆まきをしている家庭ってどのくらいあるのでしょうか? おそらく関東圏でも昔よりはだいぶ減っているのではないでしょうか。息子さん、娘さんがいる家庭なら、情操教育にもよいということでやるところも多いでしょうが、そうではないとやらない感じ。その理由を以下に挙げてみます。

一人暮らし

東、特に東京では多くの一人暮らしの人が増えていると思われます。そんな家で豆まきをするか……となるとちょっと一人ではつらいものがあるのではないかと。他にもグリルを使っていない家も多いでしょうから、鰯も焼けません。

豆が散らかる

しかし、一人暮らしではない家庭でも豆まきを躊躇する理由があります。それは単純に散らかって、掃除が面倒だから。有る家庭ではやる際に奥さんに巻く方角を決めさせられたとか。あと、数ヶ月経って掃除している時に豆が出てくると、ちょっとブルーな気分になります。

声を出せない

あと、家の中で「鬼は外」と声を出すのも恥ずかしいかと。いや、恥ずかしい以前に近所迷惑になる可能性があるので、マンションとかでは大きな声自体出せないのではないかというのもあります。


まとめ

こんな感じで、東京では昔からあった「節分に豆まき」というのはかなり縮小しているのではないでしょうか。前述のように子供のいる家庭が豆を買ってきて玄関に撒いたら残りを食べる程度で。

しかし、そんな折恵方巻きが登場しました。これが関西圏で本当に盛んなのかどうかはわかりませんが、とりあえず商業的チャンスだと狙った業界があるのでしょう。ただ、これは心理的に受け入れられる土壌があったのではないかと。

さすがに豆まきはしないとはいえ、せっかくの行事に何もしないというのも抵抗のある家庭はあるでしょう。なら、恵方巻きを食べることで、その行事をしたことになるのだったら、豆まきをしないかわりにそっちをしようと思ってもそんなに不自然ではないのかなあと思うのですよね。つまるところ、行事はしたい気持ちがないわけじゃないけど、豆まきのリスクを背負いたくない人用の「便利なアイテム」として恵方巻きが登場したと。これに売る側が目をつけていたのかどうかは知りませんが、結果としてそういう側面があるような気がします。

そもそも、恵方巻きの場合バレンタインと違ってそんなに押しつけがましくないのですよね。だから食べたくない人はスルーすればいいし、やりたい人はやれるしという感じ。それに一人暮らしの人でもついでの夕食にできるし、値段もせいぜい数百円だし。

まあ、商業としていろいろなイベントを作り、何かを売りつけてくるというのはそれこそ平賀源内の時代(もしくはそれ以前)からあったものですが、肝心なのは買い手にとって負担にならず、それをすることがプラスになると信じさせることかなあと。


ちなみに『今年のトレンド』とかいうの恵方巻き煽っているものを見ますが、トレンドにするとあとは流行遅れ→衰退の流れが待っているので、そんな煽り方しないで、地味に長く売り続けた方がよいとは思うのですが。



◆追記
そういえば恵方巻きって黙って食べないといけないらしいんですよね。でもなんだか今の方向だと、クリスマスにチキンみたいなもの(七面鳥ではなくチキン)になりそうな気がする。まあ2月なんてほかにイベントないから(バレンタインはめんどい部類に入るし)、これくらいはいいかも。……自分、商業に乗せられているかなあ。