何故自分は学生時代英語が読めなかったのか考えてみた

私は学生時代、英語が非常に苦手でした。しかしながら、日本では私だけではなく、現在英語がさっぱりという人は比較的多いと思います。

考えてみると、日本では中学でも高校でも一週間のうち数時間を費やして英語を学んでいるのです。それだけやってもできない人が多いというのはちょっと異常ではないかとも思えます。ですがそれはゆとり教育とかそういう問題ではないように思えます。だって私の時代、いやそれ以前からそういう人は大勢いるでしょうから(大勢いなかったら、もっと英語は普及しているだろうし)。

この理由ではよく「受験英語の弊害」、つまり実践の英語と学校教育で受験のためにやる英語の違いが言われますが、それがどういうものか具体的にはピンと来ません(英語教育系の本でも見ればしっかり載っているかもしれませんが)。で、自分が学んできたことと、それで何故英語が出来なかったのかというのを考え直してみて、具体的にそのポイントを挙げてみたいと思います。

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一単語につきひとつの訳という固定概念を持っていたミス

英語を始めた当時、英語を読むためには「英単語を覚えれば覚えるほど読めるようになる」と思っていました。ですので英単語帳を買ってきて、それを暗記しました。しかしここでつまづきが。たしかに中学時代はそれでよかったのですが、だんだん難しくなってくるにつれて読めなくなってしまったのです。どうしてか。それは単語帳に載っている意味を全部その英文に当てはめても、ちゃんとした日本語にならないので。

これは何故か。それは、ひとつの英単語の意味は、ひとつで十分と思っていたから。前述のように英単語は数を覚えることが重要と思っていました。そのためひとつの英単語に一つの意味を覚えるとその先に行ってしまいました。しかし、それが大きなミスでした。例えば「take」という単語、「取る」という意味だけではなく、辞書で引くと非常に多義的で「連れて行く」「引き受ける」「必要とする」「引用する」など非常に様々な用法で使われます。しかし、前述のように一単語一意で覚えると、そこで意味合いが通じずに混乱すると。しかし、英語を学ぶ前にはそんなひとつの単語が複数の意味を持つものというのはそんなにかなったのですよね。すなわちそれに適した別の単語がまた用意されていたので。ここをどうしていいかわからずに混乱したというのが、最初の躓きだったように思われます。

原義を理解しなかったミス

上からの関連です。単語を理解する時には「訳すための意味」を覚えてしまったのが間違いだったと思うのですよね。実は「take」にはいろいろな意味でも、それらの根拠となる「原義」が存在し、「制止しているものを取る」というものから派生しています。しかし、それを認識せずに単語を理解して、それで訳せないものが出てくると混乱したと。しかし、原義がわかれば応用が利くのですよね。

たとえば最近、一部で有名なジンバブエ系のニュースソースを海外からとってくるのですが、

Zimbabwe introduces $500 million note – CNN.com

これ、「note」というのが文字通り「ノート」と読んでしまうとわかりませんが、原義は「知らせるもの、こと」転じて「印」。つまりその関連であることはわかりますよね。よってここから連想ゲームのように「紙幣」が導き出せると(まあこのケースだとそれ以前に文章と写真から「紙幣」ってわかるでしょうが)。

全体を見るより、細かいところから日本語訳してしまおうと思ったミス

私が受けてきた英語の授業の場合、基本的には英語の長文を訳して、その日の順番の生徒が発表みたいな形式がとられていました。で、それにおいて訳し方のミスを教師が修正するという感じ(特にReader。今でもこういう科目名なのかわからんけど)。そして英語の定期考査でよい点をとるためには、それまで学んだところを全部訳し、それを覚える、単語、熟語を覚えるとそれなりに点がとれました。しかし、この日本語変換するというめんどい作業が苦手で、且つわけのわからないものを暗記するという作業もめんどく、これで点を大幅に下げました(だけど日本史は得意でした。その理由と学習方法はまた後日)。

しかし授業や受験から離れた場合、そもそも「日本語に訳す」必要があったのでしょうかと思うようになります。これは前述の単語を日本語訳する時に混乱した問題とも関係があります。

英語を学んだ時代から数年後、インターネットが普及し、自分も海外のサイトやら海外ツールの説明文を見ていたのですが、そこでは別に日本語に正確に訳す必要はありません。だいたいの意味がわかればいいのですから。すると、なんとなく理解できる。つまりツールなら使い方がだいたいわかるし、英文なら大まかな主旨はわかる。その文章を日本語に直訳しろと言われると困るけど、その意味合いをすくいとって、自分の言葉で説明しようとするならできるという感じ。そして「……もしかして、これでいいの?」と思うようになったのがしばらく経ってからでした。つまり、今まではその文章を理解するより先に、それを日本語に訳そうと思う意識の方が働いてしまって、結果挫折するというパターンが多かったのですが、別に全部訳さなくても大まかにわかればいいや、と思ったら、なんとなくわかると。ちなみに前述の単語を原義から理解するというのを認識したのもこのへんからでした。その理由は、そういう文章に難しい英単語が使われることがほとんどなかったからですが。

たしかに仕事などで正確に日本語訳をすることを生業としている人ならいい加減にはできないでしょうが、英語が全然出来ない人が一歩目を進むくらいなら、無理に日本語訳する必要はないように思えます。先述のジンバブエニュースでも、正直数字やわかる英単語で、「5億ドル紙幣発行のニュースだな」ってのはわかりますし。

間違いを許さない環境

英語の受験をしていると、適切な前置詞の問題などがよく出てきます。そしてそれを間違えると点が引かれます。同じように英文の問題でも日本語訳はよく出てきて、間違えるともちろん減点です。しかし、そもそもそこまで正確に訳す必要があったのかというのは前述の通り。さらにそこで細かいことにこだわりすぎてしまったばかりに、全体の意味合いを把握することが出来なくなってしまったようにも思えるのです。それだけならまだしも、自分が思った意味合いでは正しく、実際に合っているのに、その答えが設問で用意されているものにはなかったりする場合もあるのではないでしょうか(現代文の場合、これが多くて困った経験があります)。

たしかに間違いは好ましくありません。よくある英語ジョークで列車の二段ベッド上の席になった時に、下の席の女性に「May I sleep on you?」と聞いてひっぱたかれたという笑い話がありますが(この意味だと、「あなたの上で寝ていい?」という性的な意味につながってしまう。正確には「May I sleep above you?」)、そういう最低限の間違いは気をつけるべきでしょう(参考:英語に関する笑い話を教えてください。 例) 私の友人はイギリス旅行中に時間が知… – Yahoo!知恵袋)。

ただ、今の英語教育の場合、その間違いにちょっと過剰に反応しすぎる仕組みを作っているような気がするのですよね。まあテストなのでしょうがないといえばそうなのですが、それだと全体の文意を把握する前に、細かいところで躓いてしまうと。正直、ネイティブな人の文法でも、けっこうまちがえているケースはあったりします。昔はその間違いで混乱することもありましたが、最近はすっとばしているのであまり気にならない。

まとめ

というわけで、最初から出来た人からの立場ではなく、出来なかったけどなんとなくはわかるようになった人間の立場として書いてみました。まあTOEICとか受ける場合は違ってくるでしょうが、全く出来ない人が最初の導入とするあたりは、あまり過度に間違いを恐れず、全体をざっと把握して、単語の意味を類推する癖をつけておくという感じでよいのではないでしょうか。ただ、一部の問題は日本語でも言えるのかもしれません。全体の理解より、細部のところの意味合いで理解してしまうところとか、現代文の解き方の弊害かもなあと。

最近英語の文章を読むにあたって感じることは、別に英語圏の人も日本人も同じ人間なんだから、思考のロジックのに人間として逸脱するような大きな違いはないということ(たまに理解不能な時もあるけど)。それをふまえて考えると、英語も読みやすくなると思うのですが。ま、肩を張らずに気楽に読むのがいいのかなという感じで。さもプログラムを書くのが好きな人が、やりたいことがあるので新しい言語を読むように。結局は興味が一番の動力となると思うので。

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